朝の八時ころ、京都駅の八条口の前に来たとき正気に戻った。運転手に一言「やってくれ」というと、タクシーの運転手はメーターを「貸切」に倒しUターンして疎水沿いを下って東福寺に向かった。琵琶湖から引いたという疎水は鴨川とは対照的に豊かな水量で流れていた。
夕方からの高専時代の同窓会に参加する為昨日京都駅前のホテルに行き、40年余り前のクラスの連中に会い旧交を温めた。別の宿泊先のホテルに移り深夜まで2次会を楽しんだ翌朝だった。ゴルフをやる連中は既にチェックアウトし、残ったものは夫々の都合で三々五々解散、私は特に予定も無く四国の実家に戻るつもりでタクシーを拾った。
四国の田舎から半日かけて京都に来て酒を飲み、何もせず田舎に帰るというと、運転手が「今京都は紅葉の最盛期、観光しませんか」と持ちかけてきた。予算を聞き、「現金持たない主義」の私の財布を覗くと何とか足りる。考えているうちに駅に近づいてきた。
次に京都に来る機会がいつかわからないと思った時、スイッチが入って観光しようという気持ちに切り替わった。何て馬鹿なことをしようとしてたんだと。何事も目的があって有用でないことはしないという私の功利主義が、時に行き過ぎになるのは自覚していた。
運転手のプランは紅葉が綺麗で人気のある東福寺、南禅寺、永観堂、銀閣寺に行き、午後一の新幹線に間に合わせるというもの。任せると一言。東福寺に着くと、貸切のタクシーは入り口の便利なところに無料で駐車でき、もみじ観覧コースの拝観料も運転手は不要だという。その時は切符販売窓口に並ぶ列が延々と続いていた。運転手は今年秋一番の人出ではないかと言う。
東福寺のもみじは境内を流れる小川沿いに植えられたもので、3つの橋とか斜面の上り下りから見た景色とか、もみじの赤とお堂や鐘楼などの古い建物との組み合わせが美しかった。木によってまだ葉っぱが青いものから、黄色や赤に染まったものの自然な組み合わせが美しかった。それにしても人が多い。拝観者が写真撮影に忙しく列が進まず大渋滞になった。木造の古い橋が落ちそうな位の人又人だった。
最も紅葉が美しかったのは永観堂で、その頃は日が昇ってきたせいで逆光で見る真っ赤なもみじが光り輝いていた。運転手はここが一番好きで2,3日前のテレビニュースで紹介されたという。それに比べると銀閣寺の紅葉は地味な感じだが、それが手入れの行き届いた庭とマッチしてそれはそれで味があると感じた。話は違うが、銀閣寺といっても別に銀箔が貼り付けてある訳ではないと説明書きを見て初めて知った。金閣寺に対比させる意味で銀閣寺といったのだそうだ。
残りのお寺も全部そんな感じで、朝京都駅前をUターンしたころは少なかった車が増えてきた。南禅寺では運転手は駐車待ちで車から出られず、ガイド無しで私一人歩く羽目になった。最後の銀閣寺についた頃は駐車待ちすらできなくなった。運転手は駐車禁止エリアで車に残った。今回はもみじの見物だからガイドがいなくても気にならなかった。最後の銀閣寺を出る頃は切符売りの窓口に並ぶ列が遠く離れた門まで続いていた。駅に戻る頃は狭い路地まで車が溢れていた。
半日のもみじ観光を終え、又半日かけて新幹線で岡山まで行き、美しい夕日の瀬戸大橋を渡り夕方実家に戻ってきた。満足感で暖かい気持で帰ってきて、車を降りると灯りの消えた真っ暗な実家の玄関に立ち、鍵穴を探しながら急に心が冷えてきた。■