かぶれの世界(新)

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短命政権の構造

2011-08-09 17:04:39 | 国際・政治

菅首相退陣真直に迫る

野田財務相が次期首相に立候補を意思表示し、菅首相の退陣が近づいてきたようだ。週末に行われた世論調査では内閣支持率が18%、月内の退陣を求める人が45%になったと報じられた。バイアスがかかっているといわれる読売新聞の調査結果でもそれ程差はなかった。

安倍首相以降、毎年繰り返されてきた首相交代が今年も繰り返されそうだ。鳩山氏を除けば正に「首相の寿命は1年」である。短命政権が我国にとって良い事は一つもないのは誰の目にも明らかなのに、又もこの悪弊を繰り返すことになりそうである。悪いと分って何年も同じ事を繰り返すのは、我国が自らを正すことの出来ない国であることを世界に露呈したと言える。

首相の賞味期限1年の原因

安藤毅氏は「首相の賞味期限はなぜ1年か、安定政権阻む「制度」と「人材」の壁(日経BP8/4)で、短命政権の原因は①国会運営や選挙などの制度の問題(特に政権運営上の大きな障害になっているのが強すぎる参院の存在)と、②政治リーダーを養成する仕組が壊れた(首相を生み出していく有効な仕組みがなく、「人気」や「空気」が決定要因になっている)と明快に切り込んでいる。

だが、短命政権の原因追求としては踏み込み不足で表面的と私は感じる。ネジレ国会になった今では力が強すぎる参院が問題なのは、衆院に比べ参院が1票の格差が大きく任期が長い為その時々の国民の声を正しく反映しにくいからだ。又、政治リーダー養成はその場凌ぎの人気でなく米国大統領選のように長い選挙戦の中で徹底的にテストされ培われていくものでなければならない。

言い換えると、安藤氏の原因分析と改善案を私が不十分と感じるのは、そこにマスコミを通じた間接直接の国民の関りがないからだ。月並みだが「政治は民度の表れ」である。政治と国民の間で情報を伝えフィードバックするメディアを総合してその国の政治システムが構成され政策が決定されて行く。この政治システムがどう機能するかが、最終的に我国の政治レベルを決定する。

政治を機能させない構造

最近の政治システムが機能しなくなった直接の理由は、参院で与野党逆転した時からであるのは議論の余地がない。以来、緊急かつ重要な政策をネジレ国会で人質にとり内閣を追詰め、倒閣に持ち込む妥協のない与野党対決のスタイルが定着した。我国にとって悲劇なのはリーマンショックや大震災という国家の一大事にあってもこの構造から抜け出せず政治の停滞が続いてきたことだ。

この悲劇的な構造を喩えると「土壷に入った日本」がピッタリ来るように感じる。以前から指摘しているように、この構造に参加しているのは何も三流の政治家だけではない。非生産的な与野党対決のもう一方の重要な参加者はマスコミである。安倍内閣の大臣がつまらない理由で辞任を繰り返し、麻生首相が漢字を読めないと揶揄され首相の資質まで問われ追い込まれていった。(福田・鳩山両氏はもう一つ別の小沢ファクターが加わった。)

最後の参加者は勿論国民だ。常々「政治は民度の表れ」というからには、我々国民の政治を見る目の不確かさも白状しなければならない。三流とはいえ政治家は我々が選んだ訳だし、マスコミの見識のない報道を無批判に受け入れているのも我々なのだから。何れにしろ、これで我国の短命政権のフレームワークが完成する。

政局を見つめる世論

嘆くのはここまでにして、我々に希望があるのか少し論じてみたい。先ず世論調査の結果について言うと、冒頭のNHKの調査では菅首相及び民主党の支持率が僅かながら上昇し、震災復興より政局優先のように見える自公の姿勢を批判する世論が伺えた。端的に言うと過去1ヶ月マスコミの圧倒的な量の政局報道の影響を世論は受けなかった。物は言い様だ、新聞テレビは逆に言うが。

以前からネット世界でマスコミ批判が多かった。今回の震災報道の問題について的を射た指摘が増え、マスコミが無視できないレベルまで来た様に感じる。今までマスコミが自説に都合のよい三流の海外新聞記事を選びつまみ食いしてきた。だが、経験を積んだ記者が海外主要メディアを総ざらいして論じる記事がネットで流れ、読み比べられマスコミは信頼を傷つけられている。

マージナル・メディアの奮闘

同じマスコミの中でも中島聡氏が、東京新聞を高く評価した記事は良く出来ている。そのまま引用させていただくと、『「原子力村 vs. 菅内閣」「菅おろしをしたくて仕方がない与野党」という構図の中で、どちらの側にも立たずに、きちんと事実関係を捉えて記事・社説を書いている。』 かつてなら購読者しか知らなかった見識がネットで全国に伝えられ、テレビと違う考えもあると教えてくれる。東京新聞をマージナルと呼べないかもしれないが、週刊誌はそういっても差し支えないだろう。

マスコミと異なる最も際立った震災報道を展開したのはその週刊誌かもしれない。週刊ポストが「菅下ろし」に熱中する新聞テレビの政局報道から一線を画し政策の是非を論じ、マスコミ記者が権力闘争大好きだからと批判した。普段下司な三流記事を見ると「週刊誌ネタ」と揶揄する私だが、これにはその通りと予想外な批判に我が意を得た。

週刊誌報道を十羽一絡げで評すべきではないと思ったのは他にも見識ある記事を見つけたからだ。それは懸案の特例公債法を人質にとって「子ども手当撤回を迫る自民党はさながらチンピラ、ヤクザのイチャモンだ」(ゲンダイネット8/7)との一寸ドギツイ指摘で、NHKの世論調査で民主党に比べ自公の支持が上がらなかった理由ではないかと推測する。

海外だから良い訳でもないが・・・

米国の財政赤字を巡る大統領と議会の駆け引きは、日本顔負けの酷い泥仕合だった。その影響はとてつもなく大きい。議会のネジレはちんまりした妥協しか許さず世界中のマーケットを恐怖に陥れることになった。だが、日本では長年先送りしてきた財政赤字を、結果は別として米国では正面から取り組み、国民は次の選挙の判断材料を得た。米メディアは来年の大統領選に向けたカブキ(政治ショー)と酷評した。民主主義の根幹の制度である選挙が政策を誤まらせている。

だから海外メディアに文句言われる筋合いはないと思わない。新聞テレビが絶対に引用しない痛烈な日本マスコミ批判を最後に紹介したい。「この国のメディアはその本来の使命を果たすどころか、政治の混乱を助長している。政治家同士の泥仕合に加担し、パフォーマンスをあおり、些細な問題をあげつらってヒステリックなバッシング報道を展開する──。その結果、首相の首が何度もすげ替えられてきたが、一方で政治の本質的な問題がメディアから伝えられることはほとんどなかった。」(ニューズウィーク日本版7/14) 是非反論を聞きたいものだ。■

コメント (3)
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