今度はリーマンショックとは違う
米国財政危機を巡る政府と議会のゴタゴタとその後の国債格下げ、南欧諸国の財政危機が伊西仏に飛び火してユーロ危機の噂が駆け巡り、世界の株価は大きく値を下げる一方円高が進行した。個人的には海外ファクター比率を高めていた私の金融資産も値打ちが7-8%下がった。参った。
だが、今回の先進国財政危機の連鎖はサブプライム焦げ付きに端を発したリーマンショックとは様相が明らかに異なる。先月末の記事「誰も信用できない時」で指摘したように、市場にとっては今回の騒動は想定の範囲内で新しい事態に粛々と対応しているように感じる。
正に「パニックなき暴落」(高井宏章氏日本経済新聞8/11)という呼び方がピッタリ来る。リーマンショック後に提唱された「ニューノーマル」がウォールストリートの人々の口の端に上り、エコノミストは米国が「日本化」していると警告し始めたという。関連記事からその背景が何か探ってみたい。
パニックなき暴落は想定内
高井氏の記事を参照すると、リーマン破綻後13日間の株価下落に比べ今回の国債格下げ後は倍のペースで株価が下落している。しかし、金融機関の貸付は変わらず企業活動への影響が殆ど出てない。ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)は、今回の方が格段に上昇幅は小さかったという。信用不安は起こらなかった。行き場を失ったリスクマネーは皮肉にも格下げされた米国債に緊急避難し、受け皿の小さい金市場に向い金が暴騰した。
言い換えると、市場は日米欧や新興国・資源国の経済指標を眺めて、冷静に世界経済の先行きに悲観的になっているのだ。その背景は欧米政府の経済政策効果が切れてきたうえに、リーマンショック後世界経済を牽引してくれた新興国の経済成長に陰りが出てきたからである。
事態はより深刻、打ち手がない
それ程深刻になるのは他にも訳がある。リーマンショック後より深刻なのは、状況が悪化しているにもかかわらず先進国政府の取りうる対策の手札が限られていることだ。米国は議会との妥協の結果景気回復のために巨額な財政出動は取れなくなった。財政赤字削減のために景気刺激策を打てず悪い影響がでると不安視されている。
一方FRBは既に2013年までゼロ金利維持を発表しており、残された手札は量的緩和(QE3)しかない。米国の専門家は日本の「失われた10年」と類似した状況になってきたと言い始めた。このままでは何年にもわたり失業率が高止まりし、消費が増えず経済が停滞する恐れがある。これが、米国債が買われ株が暴落した背景である。
共通問題は歯止なき社会保障費増加
日欧米ともに財政悪化の直接の原因は民間の不良債権を政府に移した結果であり、今回の格下げは政府財政自体が万全とは見做されなくなったためである。私はその底流に民主主義国が抱える共通の問題、先進国が抱える最大の債務「社会保障」が横たわっていると考える。東日本大震災でも人々はまるで自助の精神を失ったかのように何かと「国が、国が」と言うようになった。
困難に陥った人々の当座の生活を支える役割から、社会保障は恒久的に生活水準を維持する役割に変化した。民主主義はこの役割を加速させた。だが経済が順調な時には機能しても、経済が停滞し人口構成が変化すると維持できなくなる。各国毎に多少の色付けがある。例えば米国は消費する為に世界から借金し、ギリシャは生活水準を維持するために豊かな独仏の金を頼りにした。
ニューノーマルの構図
際限なく増える社会保障費で政府が信頼を失いつつある状況で、バブル崩壊後の処理コストは政府の財政赤字を一挙に増やし事態を深刻にした。新しい状況に逸早く対策を打ち業績を回復させた企業と裏腹に、一向に改善しない雇用状況とそれに適切な対策を打てず支持を失い機能しない政府、という構図が先進国の世界に広がった。民主主義が生み出した社会福祉が人の心を変え、財政赤字を悪化させバブル崩壊で化学変化した経済、これが私の「ニューノーマル」である。
実はこれこそバブル崩壊後日本が抜け出そうともがき、いまだに解決策を見出せず苦しんでいる「失われた10-20年」の現在の姿である。「日本病」はバーナンキ総裁を始め世界で研究されてきた。今、世界はどうしたら日本化しないかその研究成果が問われている。世界の株暴落は、事態はそれ程容易ではないと思い知らせた。
この記事を書いている間にS&Pに捜査が入ったとニュース速報が飛び込んできた。理由は別でも国債格下げを余程腹に据えかねた懲罰的な手入れのように感じる。■