広 |
島に原爆投下された日の前からお盆が終る頃まで、今年も戦争回顧録モードになった。何故無謀な戦争をし、早期講和に向けた努力があった等々戦争秘話が紹介される。悲惨な戦争や被爆体験を語り伝える為生き残った兵士や従軍看護婦とか当時の子供達が経験を語る。私には何かが欠けているように違和感があった。
今年は福島原発事故が原爆反対運動に多少の色を添えたが、恒例となった年中行事として実施されたと思う。高校野球大会が終ると戦争回顧、そしてお盆が終ると一気にモードチェンジする年中行事の一環である。気になるのはそのあと何事も無かったように少しも後を引かないことだ。
私が考えるに、その理由は戦争回顧モードになると誰もが被害者になることだ。被害者意識になることで無罪放免されたと勘違いし、そこから思考停止することが最大の理由だと私は考える。戦争の体験者も被爆者もその直前までは、戦争推進の尖兵であったり戦争を支えた裏方だったはずだが、その意識は微塵も感じられない。
戦争では300万人が亡くなり、それ以上にアジアの国々の人々が被害を受けた。マスコミも国民も殆どが米国との戦争を煽り、勝てば提灯行列してはやし立てた。だが、敗戦後に被害者意識を持った瞬間から戦争を後押しした責任を逃れた気分になれた。それは被爆者であっても被害が大きかった分だけ、尚更変わらないように感じる。
私は戦争回顧モードの期間中、この被害者意識のオンパレードにうんざりした。子供達に戦争や原爆の悲惨さだけを訴えさせている映像を見ると、中国の反日教育の形を変えた歴史教育みたいに感じてしまった。ここは原因と結果を切り離して考えるべきではない基本のところだ。これなくして物事をキチンと認識して判断できる大人になれるだろうかと。
明 |
治以降、新聞に煽られて圧倒的国民が過激な主張や運動を何十年にも渡り繰り返したことが、軍部が非合理な主戦論に傾き暴走していった。先の大戦は軍部が主役だとしても国民とマスコミが強力に後押しした戦争で、何百万人の命が失われ原爆が落とされたのである。
被害者であると同時に、直接間接に加害者であったことがすっぽり抜けた毎年最も暑くなるこの時期の戦争回顧は、正直まがい物の反省のように毎年感じていた。半藤氏や田原氏が著書の中で歴史を見直し、新聞や国民の支持なくして戦争はありえなかったと説いても何も変わり無かった。
今年もこんな思いをしているのは私だけかと思ったが、「原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?」と題して池上彰氏が加藤陽子東大教授にインタビューした下の記事(日経BP8/9)を読み、私の思いを見事に代弁してくれていると思いいささか元気になった。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110802/221831/
題名だけで大よその内容が予想されると思うが、興味のある方は是非読むことをお勧めする。若い頃大岡昇平氏の戦記物を殆ど読んだが、著者が「戦争批判したつもりが実は許容していた、その前提で戦争や軍隊のことを書かねばならないと決意した」事は知らなかった。記事はここから始まり、戦争も原発もマスコミの報道姿勢の変わらない問題を指摘している。
弱 |
者必ずしも善ならずが私の口癖だ。大震災や原発事故の被災者だけでなく社会保障や一次産業の問題でも、弱者や被害者が一方で受益者や既得権益者でもあるとみる必要があると繰り返してきた。
だが、メディアは言論の自由な戦後になっても、自衛隊の合憲性や原発の安全性、現在では増税などの問題になると妥協を許さない神学論争にしてしまった。万が一原発が大事故を起したらどうすべきか議論すること自体をタブー視する風潮を作ったのはマスコミだった。
原発だけではない。国論が割れるような他のテーマについて議論が深まらなかった。内々で最悪ケースを検討したというだけで、不祥事の犯人みたいな扱で報道されてきた。それが、今回の事故では官僚や東電の隠匿体質を助長し、政府の初動が批判されることになった。
先日、子供達が官僚に放射能汚染の状況を解決せよと迫るニュースを見た。子供達の厳しい質問と返答に詰まる官僚の場面を見て、子供の思いは嘘ではない本物だと思うが、極端に言うと利用しされているように感じた。純真さは強い武器になる。
上記記事を引用すると「事故が起きる当日まで、電力の大量消費の便利さを積極的に享受していたのは、私たち一人一人だ」という認識がニュースに全く感じられなかった。このままでは子供達は被害者として可哀想にと同情され大人になり、被害者歴史観を繰り返すと思うと切なくなった。■