かぶれの世界(新)

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人生の転機20周年

2015-03-20 19:06:05 | ニュース
その日は本社の会議に出席する為、いつもより早く起きて都心に向かう電車に乗っていた。異変に気が付いたのは調布を過ぎた頃ラジオで聞いたニュース速報だった。地下鉄霞が関駅で沢山の人が倒れていると緊急ニュースが繰り返し流れていた。その頃はまだサリンガスが原因だとは分かってなかった。

私は神保町で千代田線に乗り換え田町に向かった。事件の核心に向かっているのは分かっていたが、殺人ガスの存在など知り様もなく電車は何事もなかったように大手町を通り過ぎて行き危地を脱した。会議中は誰も話題にすることはなく、会議が終り昼食頃になって大事件が起こったのを知った。何も気付かないまま事件現場をやり過ごしたと知った。

多数の乗客や駅職員を死傷させたのはサリンガスで、オウム真理教の犯行だと分かったのはずっと後になってからだった。私は事件現場をニアミスしたのに、後年になって思い出しても恐怖感も何も殆ど感じなかった。マスコミが20周年と報じても未だに文字通り他人事のように感じた。

というのも、この年は私の人生の転機を迎えた年でもあったからだ。前年から円高が進行し、私の勤める会社は米国ワシントン州の倉庫を工場に転換し生産する決定をした。私は上司からその工場に赴任を打診された。技術者上がりで海外向け製品のマーケティング責任者で生産の素人だったが、私はたった一度の自分の人生だ、何でも経験してみたいと思いきって引受けた。中学から大学まで子供がいたのに家族に相談もしなかった。

私は事件後1か月余りで米国に向かいワシントン州の小さな町ファイフの工場に赴任した。それから米国の片田舎町の誰も知らない小さな工場で慣れない仕事の悪戦苦闘が始まった。家族はほったらかしだった。オウム真理教のサリン事件というと、同時に私はワシントン州の片田舎を思い出す。人生の転機となった年だった。■
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