90年代のIT産業は世界のトップを走りながら、世界的な普及時代に入ると存在感を失う歴史を繰り返してきた。私は2003年までIT産業に身を置き立ち上げから繁栄の時代を経験した。良い経験をさせて貰ったが、ITバブルが弾けて厳しい状況に追い込まれ辛い経験もした。
この実際に体験した盛衰記が新技術の時代が来る度に頭をよぎる。26日に「改正地球温暖化対策推進法」が成立したとの報道を見て昔を思い出した。記事は脱炭素に関わる有力な技術の全個体電池と水素関連技術の分野で、日本は世界の最先端を走っていると報じていた。
90年代初頃に私は半導体や光ディスクなど最先端部品・ユニットの調達に関わる品質技術を担当していた。その頃日本は米国と並ぶ世界最先端の技術を保有する企業が何社もあり激しい競争を繰り広げていた。私はその為に内外のベンダーを頻繁に訪問し調査・購入の交渉をした。
その後90年代半ばから米国の工場で働き99年に帰国した頃には、日本メーカーは生産どころか技術面でも主要サプライヤーから後退し、2000年代にITバブルが弾けると徐々にビジネスから撤退していった。多くの知人が別会社に移動するか、海外の会社に転職し情報が流出した。
当時の業界紙は、「国内には同じような部品・製品を作る会社が多すぎ激しい競争をしていたが、次第に勝敗が明確になって行った。経営が苦しくなった下位の数社は海外(当時は韓国・台湾、後に中国)に買収され人や技術が流れて行った。」という記事を何度も見た。
同じ分野で最適な会社数は多くて3社程度だったと今も思う。更に勝ち残った会社の中にも出世出来なかった敗者がいて、市場全体が縮小するなかで海外会社に引き抜かれ情報流出に繋がったと私は疑う。そして、技術と生産は切り離すべきではなかったと考える。
真偽のほどは明らかではない。だが、生産のリーダーシップを失うと、徐々に技術のリーダーシップもマイナス・トレンドに入るという想定外のことが起こった。新聞では現在の技術優位を守る条件を「システム志向の分業体制をグローバルに築けるかどうか」というが、私には疑問だ。
私は世界最先端という全個体電池や水素関連技術に関しても同じ轍を踏む可能性が高いと懸念する。現在第一線で活躍する経営・技術トップの人達はITバブル時代は20代だったと想像するが、一企業としてではなく我が国のビジネス全体として理解しているのか懸念がある。
多分、このたびの改正地球温暖化対策推進法を成立させたのは、政府が業界全体を眺めて関与して行こうというメッセージでもあるのではないかと推測する。今後も我が国の脱炭素技術が人を得て順調に開発され世界をリードしていくことを祈りたい。■
この実際に体験した盛衰記が新技術の時代が来る度に頭をよぎる。26日に「改正地球温暖化対策推進法」が成立したとの報道を見て昔を思い出した。記事は脱炭素に関わる有力な技術の全個体電池と水素関連技術の分野で、日本は世界の最先端を走っていると報じていた。
90年代初頃に私は半導体や光ディスクなど最先端部品・ユニットの調達に関わる品質技術を担当していた。その頃日本は米国と並ぶ世界最先端の技術を保有する企業が何社もあり激しい競争を繰り広げていた。私はその為に内外のベンダーを頻繁に訪問し調査・購入の交渉をした。
その後90年代半ばから米国の工場で働き99年に帰国した頃には、日本メーカーは生産どころか技術面でも主要サプライヤーから後退し、2000年代にITバブルが弾けると徐々にビジネスから撤退していった。多くの知人が別会社に移動するか、海外の会社に転職し情報が流出した。
当時の業界紙は、「国内には同じような部品・製品を作る会社が多すぎ激しい競争をしていたが、次第に勝敗が明確になって行った。経営が苦しくなった下位の数社は海外(当時は韓国・台湾、後に中国)に買収され人や技術が流れて行った。」という記事を何度も見た。
同じ分野で最適な会社数は多くて3社程度だったと今も思う。更に勝ち残った会社の中にも出世出来なかった敗者がいて、市場全体が縮小するなかで海外会社に引き抜かれ情報流出に繋がったと私は疑う。そして、技術と生産は切り離すべきではなかったと考える。
真偽のほどは明らかではない。だが、生産のリーダーシップを失うと、徐々に技術のリーダーシップもマイナス・トレンドに入るという想定外のことが起こった。新聞では現在の技術優位を守る条件を「システム志向の分業体制をグローバルに築けるかどうか」というが、私には疑問だ。
私は世界最先端という全個体電池や水素関連技術に関しても同じ轍を踏む可能性が高いと懸念する。現在第一線で活躍する経営・技術トップの人達はITバブル時代は20代だったと想像するが、一企業としてではなく我が国のビジネス全体として理解しているのか懸念がある。
多分、このたびの改正地球温暖化対策推進法を成立させたのは、政府が業界全体を眺めて関与して行こうというメッセージでもあるのではないかと推測する。今後も我が国の脱炭素技術が人を得て順調に開発され世界をリードしていくことを祈りたい。■