かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

振り返れば私はハラスメント

2023-11-11 20:02:32 | 社会・経済
このところ「ハラスメント」という横文字言葉をよく見かける。日本的な英語の省略言葉「パワハラ」、「セクハラ」、「モラハラ」等々には違和感がある。それはともあれ、今世紀に入り職場の働き方が多様化し、働きやすい職場をつくる為の義務化・法制化が進んだと思う。一方、働き方は世代が移るごとに変わるのが現実とも思う。

だが、法制化したと言ってもハラスメントは個人の判断によるものが多く、人事部門は難しい判断や対応が求められていると見られているようだ。昭和40年代にコンピューター開発技術者として働き始めた私には、現在とは全く違う世界が見えていた。

先日息子と義理の甥が実家に顔を見せてくれた時に交わした会話は思い出させてくれた。彼等もITに係る世界にいるが、甥は退職したばかり息子は40代半ばで既に第一線の現場に直接関わっているとは言えないかもしれない。だが、私が開発責任者だった頃に部下にポッポと呼ばれたと甥は教えてくれ、息子は子供の頃に女の子達を自宅に招き徹夜で飲み明かしたのを記憶しているはずだ。

それを聞いて会社の同僚たちは私がハラスメントをしていたと笑いものにするかもしれない。難しいのは今も言われるように、接した人達が指摘すればハラスメントになることだ。受け取り方は夫々だと私も思う。だが、私にとっては私自身が自分にハラスメントしていたと思う。勿論、その当時はハラスメントなんて言葉も概念もなく認識してなかった。

私達技術者にとって最大の競争者は次々と現れて来る米国のスタートアップであり、当時の彼らは自宅の車庫で24時間働いて新しい概念の新製品を世に出すと言われてた。その気になった我々は週60時間の残業規制を大幅に超え、100時間などは当たり前で凄い奴は200時間を突破していた。結果として私の給与は残業ゼロ時の倍以上だった。管理職になった瞬間に半分になったが。

しかし、私には上司に押し付けられたという記憶はない。振り返って多分問題だったのは、私自身が管理職になった時に部下の人達も同じ考えだと思っていたことだろう。自然とそういう考えで部下に接していたのだろう。私は管理職になって私自身に大して厳しい態度で接したと思う。そして職場の健康診断で不整脈と診断され、ボストンのホテルで倒れそうになった。

多分、私が自分自身が先頭に立ってやってるから当然と考え、部下の人達に同じハードワークを当然と考え要求していたと思う。この意識の違いが今日までパワハラの要因の一つになっていると感じる。現実は人夫々だ。それが会社などの組織の中で起こるとパワハラと言われるが、単独のスタートアップ組織で起こる場合は生き残りをかけた戦いと見なされることを忘れてはならない。

というのが私の「振り返れば私はハラスメント?」の退職20年後の反省だ。今のマスコミの一律「ハラスメント批判」が続き誰もがそれに倣うと、10年後の日本は競争力を失い衰退しているだろう。幸いなことに私は寿命が尽き最悪の日本を見ることなくこの世にいないと思うが。予想が外れればそれはそれで良いけど。■

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田舎暮らし雑感2023(16) | トップ | 失望のシティポップ »

コメントを投稿

社会・経済」カテゴリの最新記事