やり得の世界
岐阜県の隠金騒動に続き、今日は福島県の談合仕切り屋の逮捕と税金の無駄遣い不祥事が続く。そのたびにメディアは声高に問題を指摘し、責任を追及する。しかし官にまで追求が及ぶことは少なく、摘発された民間も頭を下げてじっと我慢するとそのうち忘れてもらえる。何故談合がなくならないかというと単純、需要がありやったほうが得だからだ。
談合で摘発された会社は社会的制裁を十分受けてない、史上最高の業績をあげたところもある。三菱重工業、石川島播磨、川崎重工業、荏原、住友重機械・・・と我国を代表する名前が並ぶ。しかもこういう会社は一度だけ過ちをした訳ではなく、談合の「ハシゴ」をする常習犯である。
ゼネコン業界では大林組などの大手だけでなく、今日摘発された福島県の例のように大手に押され経営の苦しい準大手以下の談合も表面化している。社会的制裁を受けさせようにもそのリストは延々と続き、終いにこの国から会社がなくなりそうな様相である。笑い話にもならない。
スリー・ストライク・アウト
対策は「やり得」を無くすことに尽きる。例えば上記の三菱重工業は昨夏から汚泥処理・水門・トンネル設備の談合疑惑で公取委から立ち入り検査を受けたと報じられた。談合疑惑の三冠王である。このような懲りない再犯者には厳罰をもって臨むべきである。
米国では麻薬犯罪者はスリー・ストライク・アウトと言って三度目には厳罰を受けると聞いたことがある。幾ら取り締まっても減らない麻薬犯罪に業を煮やした挙句のことだ。談合もこのレベルだ。二度目に談合の摘発を受けると以降1年間は営業停止、三度目はお引取り願うのが良い。談合に係わった会社は不名誉罰(ボランティア活動など社会貢献)を受け、利益は全て国に還元させなければならない。
業界の構造改革
これら会社には立派なコンプライアンス・プログラムがあるそうだ。コンプライアンス違反に対する社内罰則強化・情報公開はすべきだがそれだけでは効果は限られている。それは日本特有の垂直統合されたゼネコン業界がチェック機能を弱め、談合などの不正を見逃している構造的な側面があるからだ。
言い換えると企画設計から施工・検査までゼネコン一社がプロジェクトを取り纏めるため、品質管理や監査部門の社内影響力を弱め不正を隠蔽してしまう。各工程が独立会社によって管理されていれば不正が見逃される余地が無くなる。この水平分業化は専門性と独立性を高め公共事業を透明なものにする。実は水平分業化はそれ以上の効果がある。
我国の半導体産業が海外の専業メーカーに無残に敗れたように、現在のゼネコンの国際競争力は全くないといわれている。垂直構造は官には都合がいいが競争力を失わせる。ゼネコンはいまや日本国内で仕事を見つけないと生きていけない。ゼネコンの水平分業化(専業メーカー化)を推進することがチェック機能を高めると同時に国際競争力をつけることにもなるのである。
信を失った官
しかし談合は需要と供給の関係があって起こることである。需要は官にある。昨年「官僚は責任を取れ」と題した書き込みをしたが、小泉改革も天下りの実態を変えるところまで到達しなかった。国が国なら地方も地方、この人達の動機は個人(の老後)と組織の権益のためである。どう言い訳をしようと極めて志が低い人達が満ち溢れている。
国民の殆どは、今では役人は裏で薄汚い事をしているという最早偏見とはいえない偏見を持つに至った。悲しいかな公僕のそもそもの意味など信じている人は余程世間知らずだ。幾ら何でもこのままでは国が乱れ衰退していく、と私は思う。
さすがに放置すれば国民の信を失うと見て法改正され特捜部・公取委の最近の追求は厳しさを増したが、全国に蔓延したこの’公金横領病’は一罰百戒程度の効果しか得られてない。彼ら官の手にかかると必ず新たな権益を創造性豊かに発明する。このままでは格差解消の名の下に次期政権が見直す可能性が高い公共事業が、又、談合のネタになる可能性は極めて高い。
談合したら損をするシステム
昨年ブログに「官僚は責任を取れ」と書き込みをした内容の繰り返しになるが、官僚は名前で仕事をすべきである。政治は選挙で結果責任を取るように、行政は「誠実実行責任」をとらねばならない。談合とか公金の無駄使いには徹底して厳しく責任を追及し、個人も組織もやったら損する仕掛けが必要だ。端的に言うと個人には不名誉罪の公表、組織には主要幹部を政治任命することである。
志ある我国の俊英達が公僕になり、いつの間にか組織の利益(権益)拡大と先輩の老後(結局自分の老後)ケアに精力を傾け、業界と密着し自前の団体に公金を横流しするようになるのは寂しい。いまやこういう仕組みの無い組織を見つけるほうが難しい。しかし彼らも生身の人間、不誠実だったら損するシステムにしない限り解決しない。
天下りを民間との人材交流に生かせ
一方で官と民の人材交流はもっと徹底的に活性化すべきだ。これは飴と鞭ではない、もっと長い目で見て考えるべきだ。優秀な官僚とシステムが日本の繁栄に貢献してきた。老齢化に向かう我国が、最高の人材を無駄にして台頭する新興国と伍してやっていけない。
如何にして我国のベストアンドブライテストを前向きに貢献させていくかと言う観点が必要だ。失われた10年の間に道路や新幹線を始め全国各地に広がる箱物で我国の蓄積を使い尽くした。国の借金は国民が税金で返すしかない、無駄使いしたといっても官僚や政治家が返してくれる訳ではない。残された我国の財産は人材の活用しかない。そういう軌道修正を次期安部政権に期待したい。
報道によれば中国官僚の汚職は桁違いで日本の比ではない。彼らが巨額の個人蓄財に向かうのに対し、日本では組織への忠誠心で筋を曲げる傾向が強い。しかし、国家への不利益と言う点でどちらの罪が深いかよくよく考えて欲しいものだ。■
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