かぶれの世界(新)

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06夏の田舎暮らし(3)

2006-07-28 00:09:10 | 日記・エッセイ・コラム

昨日梅雨明け宣言と同時に猛暑が戻ってきた。大洲市は盆地だけれども標高40-50mしかなくその中を肱川が蛇行しているので、単に気温が上昇するだけでなく湿度が非常に高い。大洲の夏の高温は全国区でニュースの常連である。しかし緑豊かで夜になると山の谷間から涼しい風が静かに流れほっとする。

しかし、ほんの1週間前の大雨は凄かった。昨年行った道後温泉が気に入ったらしかったので20日の母の誕生日にホテルを予約した。前日に続き大雨の為JRの海周り路線が運転中止、やむを得ず電話でキャンセルした。丁度豪雨で九州に大被害が出た時だ。当日の朝にもかかわらず事情が事情だけにキャンセル料は免除してくれた。

表を流れる肱川の支流の様子を見に行くと消防団員が一人監視していた。水位はそれほど上がってなく我が家の田畑はセーフだったが、川の向こう側にある低地は一部の道路が冠水しておりローカル・ニュースで映像が流れていた。既に排水ポンプが出動して動いているとドブさらいで馴染の団員が教えてくれた。

昼間暑くてたまらないので一番涼しい玄関の土間で大の字になって寝ていると、先日山の写真を見せてくれたSさんの父君が北海道旅行の土産を母に持ってきてくれ、一話していった。大洲市の交通事故の2/3は高齢者だそうだが、父君は88歳になるのにしゃきっとしていて車を運転してこられた。

お年寄りの昔の思い出話はいつも興味深い。昔は(多分戦前)肱川の水が綺麗で川藻が少なく川幅が広かった気がする、そこを大瀬(大江健三郎氏の生家がある山村)から切り出した材木で筏を組んで長浜港まで運んだそうだ。

当時道路は舗装してなく1t積みトラック6台分の材木を筏の先頭と後尾に人が乗り、自転車を乗せて行ったらしい。これが最も効率のいい運送法だったそうだ。午前中に長浜港に着き、午後上手い具合に風向きが変わると帆を張って戻って行ったらしい。

私が子供の時には見た記憶がないので多分戦前の話だろう。召集令状が来たとき長浜港から船で香川県の善通寺の連隊に行くのが最も早い交通手段だった時代のことだそうだ。

大雨のおかげで折角耕した畑の表土が又固まっていた。母もさすがに根を上げて近所の人に頼んで昨日農機具で耕してもらった。今日の夕方涼しくなったところで母と大豆の種を蒔いた。50cm間隔で10-15cmの深さの窪みを作りカラスよけの薬に浸して妙に紅い種を蒔いた。1列終わると約2m離して同じことを繰り返した。5時過ぎでもかなり暑かったが小一時間で何とか終った。■ 

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