コロナ感染が広まった頃から「ソロキャンプ」が人気だとテレビで見た。面白かったのでネット等で調べるとキャンプだけではない、バブルが弾けた90年代頃から日本特有の「お一人様文化」が始まったらしい。私は別の意味で筋金入りの「お一人様文化」実行者、単独行の男だ。
30代から始めたバイクは常に一人で駆け巡った。私には爆音を立てて走るバイク集団が理解できない。30代で本格的に始めたバイク運転は下手糞だったし、逆に慣れてくると山間部のワインディングを攻めるのが好きだった。どちらにしても集団で走るスタイルではなかった。
同僚に連れて行って貰い始めた山登りも、気が付くと単独行になった。仕事でも経験を積み慣れると上司は躊躇せず単独の海外出張を命じた。40代後半に米国工場に出向を打診された時も、家族状況を考えて単独出向しかないと判断し即答、大した相談もせず家族を残し米国に向かった。
自分一人なら自分のペースでやりたいことを即やる。私も同行者がいると彼等の意見を聞き合意して次に進む、或いはリーダーに従って進む、チームプレイだ。だが仕事でなければ自分のやりたいようにやり、問題が起これば自分の責任というのが性分に合っている。
米国生活は文字通りおひとりさま状態だった。3つの家に住んだが、隣の家とはお付き合いはなく誰が住んでるかも知らなかった。口を利いた人達といえば、会社の同僚とバドミントン仲間、週一で通ったマッサージ・セラピストと家を紹介してくれた不動産屋といったところだ。
週末はバドミントン練習をやり、その後マッサージを受けた。バドミントンをやらない時は日帰りかもしくはテントを背負って「ソロキャンプ」に出かけた。周りはカップルだったが。シアトルのREIで買い揃えた登山用具一式は帰国後も利用したが、今では殆ど消耗して使わなくなった。
欧米では基本おふたりさま文化だと聞いていた。洒落たレストランはカップルが前提の造りで、「ノー天気」の私でも一人で入るのは気が引けた。自然と気軽な安いお店にしか行かなくなった。ある時、シアトル郊外のヤロウ湾沿いの評判のレストランを紹介され思いついて一人で行った。
中年のウェイターに何人かと聞かれ「一人だけ」と答えると、一人だけという員数はない、「大事な一人」だよと言われ広いボックステーブルに案内された。その時は少し胸が熱くなったことを覚えている。だが、周りは全てカップルか家族連れだった記憶がある。何を食べたか記憶がない。
退職後に田舎の実家に長期滞在するようになり、4年前母が死んでから文字通りおひとりさま独居老人になった。管理の負担に耐えかね山林や田畑の一部を処分し、余裕ができ近場の山裾歩きをするようになった。だが、米国時代の山の道具の多くは消耗が酷く使えなくなった。
山の道具は概して割高でコスパが悪かったが、最近手ごろな値段で手に入るお店を見つけた。ハイキング程度なら堅牢で防水の靴やポケットが多くて丈夫な衣服、ちょっとした小道具等を安価に買える。そこはワークマン+、更なる実用的なおひとりさま用途に進出するのを期待している。■
30代から始めたバイクは常に一人で駆け巡った。私には爆音を立てて走るバイク集団が理解できない。30代で本格的に始めたバイク運転は下手糞だったし、逆に慣れてくると山間部のワインディングを攻めるのが好きだった。どちらにしても集団で走るスタイルではなかった。
同僚に連れて行って貰い始めた山登りも、気が付くと単独行になった。仕事でも経験を積み慣れると上司は躊躇せず単独の海外出張を命じた。40代後半に米国工場に出向を打診された時も、家族状況を考えて単独出向しかないと判断し即答、大した相談もせず家族を残し米国に向かった。
自分一人なら自分のペースでやりたいことを即やる。私も同行者がいると彼等の意見を聞き合意して次に進む、或いはリーダーに従って進む、チームプレイだ。だが仕事でなければ自分のやりたいようにやり、問題が起これば自分の責任というのが性分に合っている。
米国生活は文字通りおひとりさま状態だった。3つの家に住んだが、隣の家とはお付き合いはなく誰が住んでるかも知らなかった。口を利いた人達といえば、会社の同僚とバドミントン仲間、週一で通ったマッサージ・セラピストと家を紹介してくれた不動産屋といったところだ。
週末はバドミントン練習をやり、その後マッサージを受けた。バドミントンをやらない時は日帰りかもしくはテントを背負って「ソロキャンプ」に出かけた。周りはカップルだったが。シアトルのREIで買い揃えた登山用具一式は帰国後も利用したが、今では殆ど消耗して使わなくなった。
欧米では基本おふたりさま文化だと聞いていた。洒落たレストランはカップルが前提の造りで、「ノー天気」の私でも一人で入るのは気が引けた。自然と気軽な安いお店にしか行かなくなった。ある時、シアトル郊外のヤロウ湾沿いの評判のレストランを紹介され思いついて一人で行った。
中年のウェイターに何人かと聞かれ「一人だけ」と答えると、一人だけという員数はない、「大事な一人」だよと言われ広いボックステーブルに案内された。その時は少し胸が熱くなったことを覚えている。だが、周りは全てカップルか家族連れだった記憶がある。何を食べたか記憶がない。
退職後に田舎の実家に長期滞在するようになり、4年前母が死んでから文字通りおひとりさま独居老人になった。管理の負担に耐えかね山林や田畑の一部を処分し、余裕ができ近場の山裾歩きをするようになった。だが、米国時代の山の道具の多くは消耗が酷く使えなくなった。
山の道具は概して割高でコスパが悪かったが、最近手ごろな値段で手に入るお店を見つけた。ハイキング程度なら堅牢で防水の靴やポケットが多くて丈夫な衣服、ちょっとした小道具等を安価に買える。そこはワークマン+、更なる実用的なおひとりさま用途に進出するのを期待している。■
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