翌日曜日は遠出はせずゆっくりすることにした。娘夫婦は愛媛は初めてではないし、それも良いと思った。朝食後新聞をチェックしていると二人は家中の掃除を始めた。私が一人暮らしでろくに掃除をせず、二人の訪問の前に慌てて掃除したのがバレバレだった。台所や居間には原因不明の黒ゴマ大のゴミが散らかっていた。多分友人のゴキブリの糞だというと、気持ち悪がられた。
普段手をつけてないところにも掃除機を掛けてくれた。じゅうたんやカーペットは全部買い換えろ、コロコロを買ってきてくれてカーペットだけでなく床や畳も転がせ、ゴキブリはしっかり駆除しろ、等々約束させられた。娘でなければ言ってくれないことだ。最初は「俺の行動基準は面倒臭いかどうかだ」とふてくされたが、月曜に娘夫婦が帰京する時には礼を言ってやると約束した。
母は二日目の日曜日の午後3時頃予定通りに実家に戻ってきた。専用車は思ったより大きかったが、何とか実家の庭まで辿り着き小型クレーンみたいな自動アームで母を車椅子ごと下ろした。最初は母の希望の東屋で皆とお茶を飲み、娘が額に入れた刺繍とお見舞いを手渡した。勿論お見舞いは私が預かったが。
その後付き添いの介護員と運転手の助けで母の望み通りに実家の内外を見せて回った。何処を見たいか聞くと、母は即座に炊事場と答えた。新築したサンルームから車椅子ごと母を台所に連れて行き、その後車椅子は気にしなくて良いからと畳敷きの居間、応接、座敷から縁側に行き庭を見せた。
後で後悔しないように庭や家の周りも一周し、ついでに別棟のお風呂も見せ最後に東屋に戻った。母は途中何も言わなかったが、最後にどうだったと聞くと「草ぼうぼう!」と一言。「えー、それかい」(とは言わなかった)が、家庭菜園は雑草だらけなのは事実だった。無口になった母だが、話す時はためらわず本音を言う。合計1時間足らずの一時帰宅だったが、「もう時間だ」というと母は素直に従って車に乗り帰って行った。無事に終ってホッとして娘夫婦と顔を見合わせた。
娘夫婦は5年ぶりの田舎だということなので、初日には家内の実家に行って義兄夫婦に挨拶し、最後の日に入院中の義母を見舞った。義兄は70を越え体力が続かない、いよいよハウスミカン作りは今年が最後だと聞いた。その話をして年齢を聞くと義母は80歳と答え、計算が合わないというと80になって以来年をとらなくなったのだと朗らかに言って皆を笑わせた。
その後施設を訪ね、娘夫婦に母がどういうところに住んでいるか見せた。施設の担当に聞くと帰りの車中の母はずっと機嫌が良かったという。娘のくれた額入りの刺繍を大事に抱えていたと。母は若干疲れが見えるものの、血糖値や血圧は正常だったのを聞き安心した。母は娘に「気をつけて帰れ」と私に一度も言ったことのない言葉を掛けた。喜んでくれてよかった。
その後、道後温泉の近くで娘の希望のおうどんを頂き、空港まで送って行った。その日の夜明りのついてない実家に戻ると何ともいえない寂しい気持ちになった。こういう時必ず思い出すシーンがある。米国赴任時のクリスマスイブに娘が来てくれ仕事で来た知らない人達も含め30-40人の盛大なパーティをした翌日、帰国する娘を空港に送りがらんとした大きな家に帰った時だ。頭の中が真っ白ではなく、真っ黒になった気分だった。あの時ほどでは無いが今虚しい気分だ。■
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