かぶれの世界(新)

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1年後の素人・健康生活

2017-11-15 16:55:09 | 健康・病気
1年余り前に末の息子が東京マラソンに備えて始めたプロティン・ダイエットをマネて食習慣を変えた。朝昼食は炭水化物をガッツリ食べ、夕食は炭水化物以外を軽く食べ、以後翌朝まで何も食べない12時間ダイエットを取り入れた。だがトータルでは摂取カロリーは増えたはずだ。ウエイトトレーニング後に甘味と牛乳を摂る様にした。

その後1年間で何が起こったか報告する。総じて体調は良くなったと感じたので、続けられた。先ず、摂取カロリーは増えたが1年前と体重は変わらず、腸は調子よくオナラがしょっちゅう出るようになった。

その間に運動能力を維持する為にNHKのTV体操をやり始め、血圧や痛風対策の為の減塩といった食事の見直しなどの微調整をした。TV体操を始めて私の場合、膝が酷く弱く併せて平衡感覚が劣化していると気付かされた。TVを見ながら膝の回復の為の体操を追加して始め、老化が原因と半ば諦めていた色々な運動を再び楽しめるようになった。いまだに膝のサポーターを付けないでバドミントンが出来るのはちょっと嬉しい。

5ヶ月前に投稿した記事「食生活習慣改善2.0」(6/7)で真面目に実行していると報告した。そして9-10月に定点観測を実施した。健康診断で生化学指標は悪化せず、血圧は押しなべて標準値を保ち、懸案だった運動能力も山歩きとサイクリングに挑戦し回復したことを確認した。薬と合わせ「食生活改善2.0」のお蔭で徐々に尿酸値が下がり年中行事だった痛風が発生せず、1年間通じて運動を続けられたのは大きい。

実施1年を経過して今や私の「食生活習慣改善2.0」は、体力と運動能力を維持し(出来たら高め)つつ、体内の健康(つまり生化学指標)の維持改善を図る手段として、しかも楽に無理なく実行できる自分に合ったやり方と証明できた感じる。このやり方で今後齢を重ね高齢者としてなるべく人に迷惑をかけず、元気に生きて行けそうな気がする。今まで後何年生きられるかとマイナス思考だったが、前向きに進めそうな気がする。

この数年は痛風に加えてガン疑惑、自転車事故や生爪はがしで動けなくなり自宅養生を強いられた。その度に、回復後の体力低下を実感させられ寂しい思いをした。だが、この1年間は風邪以外に病気らしい病気もせず元気に過ごせた。子供達も夫々に節目を迎え頑張る姿を見て、私もガンバレと勇気づけられた気がする。後何年続くか分からないが、「第3の人生」のプラットフォームをしっかり確立した気分だ。そして今月末に帰京すると早速バドミントン交流会に参加(もちろん最低ランクで)し、気分と実体のギャップを知ることになる。■
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田舎暮らし雑感2017(8)

2017-11-12 15:46:57 | 日記
帰省中の義弟と昼食後いつもの喫茶店に行き、政治談議から経済動向までよもやま話に花を咲かせた。窓越しに見える観光客が一段と増えた。大半は中高年女性で、今回は米国人団体客が目立って多かった。最近はSNSやグルナビ等のIT情報を見て来る県外客の比率が増え、東京や大阪など遠方から古い街並みを見に来る観光客も珍しくないという。団体客は通り過ぎるだけだが、個人客は喫茶店に来てくれるという。

その為だと思うが、日本式旅館以外に一軒もなかったこの内子町に鉄筋コンクリート造りのホテルが出来た。その際に田舎の小さな町に一騒動が起こったという。これを機会に観光業で盛り上げようとお店の営業時間を現在の5時(!)から夜中まで延長しようと提案したら、ホテル建設と時間延長に反対する運動が起こったという。

跡継ぎのいないお年寄りの店主にとってこれ以上無理して働きたくないということだろう。日本では東京大阪など大都市を除けば観光客のナイトライフの為のお店や施設が少なく、観光客の落とすお金が海外に比べ圧倒的に少ないという。色町じゃなく夜夫婦が普通に外出して食事や買い物するところがないのだ。田舎の小さい町でそれをやれと言っても難しいという事情も分かるが、やり方次第でもっと観光客は来ると思う。

その前に義弟は実家にコンビニ・コーヒーを持参して来てくれた。偶然母君から電話があり会話が耳に入って来た。話を漏れ聞くだけで彼女の認知症がかなり進行している印象を受けた。以前経営していたお店で働いた女性が世話をしてくれているらしいが、専門の介護施設に頼まなければならない日が近づいているという。そうなると空き家になる実家を3人兄弟でどうするか、私の様な一人息子よりかえって難しいかも知れない。

先日回覧板が回ってきて今年の秋祭は神輿が出ないという。お宮の宮司が寄付金を勝手に使い裁判所からの仲裁が出たのに従わず、地域の氏子が反発して年中行事が中止になったという。騒動は県の神社庁まで持ち上がったが埒が明かず決裂と回覧文書にあった。宮司が開き直り使途不明の会計処理で揉めて、秋まつりの神輿が出無くなるなんて前代未聞というかみっともない話だ。おや、まあ。

このところ快晴が続き、朝晩は寒くなったが朝霧が消えると、暖かい日あたりで心地いい。こんな時は20km下流の長浜町に、夜の間に溜まった大洲盆地の霧が海に流れ出す「肱川嵐」現象が起こっていると天気ニュースが伝えていた。何時もの川沿いの散歩コースを暖かい日差しの中を歩くと、先月いた鴨の大群が二組のつがいに減っていた。いよいよ3日後に鉄砲解禁されるが、それまでに旅立つ積りか。■
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プロセスか、決定内容か

2017-11-11 18:35:23 | ニュース
加計学園の獣医学部新設が決まった。だが、依然としてその決定プロセスに官邸の関与の疑いが取りざたされ、野党は次の国会で重点的に追求して行くと報じられている。私は少し違うのではないかと思う。他にもっと重要な政策テーマがあるのは当然として、本件についても間違ったアプローチだと思う。

そう思う理由は、この問題は「間違ったプロセスで(正しい)決定をしたのがいけない」と言ってるように聞こえるからだ。言い換えると、「正しいプロセスで決定したなら内容は問わない」と聞こえるということだ。もしそうなら無責任も良い所だ。何故そんな皮肉を言うかといえば、野党やマスコミは加計学園の獣医学部新設が「間違った決定」だとは一言も言ってない、多分正しいと思ってるからだ。

今迄の報道を見る限り安倍首相が直接かかわらずとも、官邸から何らかの意向が示された可能性があると私も思う。親分のご機嫌取りをするやからはどの世界にもいるから、出世したい官僚の忖度も推測される。その方が評価されたりする。その結果間違った決定がされたら困るからこそ追求するのだろう。それは理解できる。

だが、野党もマスコミも「間違った決定」をしたとの指摘は聞こえてこない。決定のされ方が捻じ曲げられたという主張のみだ。寧ろ文科省と獣医学会が参入制限をして来た疑いが濃いと思う。この疑いがあるものだからマスコミ報道に素直にうなずけないところが残るのだ。あるべき姿はこの方向での掘り下げをした上で、決定プロセスと決定内容を突き合わせ国としてあるべき姿を追求すべきなのだ。

そうすれば、時々のポピュリズムに押されて間違った報道や政治決定がなされた過去の失敗を繰り返すことが避けられる。最優先なのは「正しい決定をすること」であり、避けるべきは「間違った決定をしないこと」なのだ。野党やマスコミのプロセス追及はそこを取り違えないという決意が感じられず、国民の為というより党利党略を優先していると思わせる理由だ。だから追求をやめろとは言わない、よく考えて欲しい。国民は見てる。■
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単独行な男

2017-11-09 21:33:10 | 日記
9月に一時帰京した時は高尾陣馬山縦走、先週は田舎でしまなみ海道サイクリングをした。どちらとも一人だけの単独行だった。私は趣味の登山やバイクとか自転車等を楽しむ時、大抵は単独行動をする。山歩きや自転車と言っても私と同年代の知人で目標を立てガツガツ距離を稼ぐような楽しみ方をする人はいない。私は誰かとペースを合わせて楽しむことが苦手なのだ。特に退職後は友人とつるむより一人で何かをする方が多い。

何故そうするようになったのか自分の性格を分析してみる。

初めての山歩きは職場の同僚に誘われ高尾山から陣馬山をハイキングした時で、その後時々奥多摩の山々を日帰りで歩くようになった。それから大学時代に登山部にいた同僚に連れられて北アルプスに行き、山小屋を利用して何日もかけて歩く本格的な山歩きの楽しさを経験した。だが、サークルで活動するとかに発展しなかった。

職場が変わり責任が出て来ると徐々に山から遠ざかった。そんな時、市の商工祭で偶然バイクを見つけて衝動買いした。確かホンダの原付50㏄だったが、見かけはロードバイク(CBX50?)だったと思う。30才過ぎ子供もいて心配だったはずだが家内は黙認してくれた(今でも申し訳ないと思っている)。それから毎年排気量の大きい中古車に買い替え、最後はレース用カウリングを付けたスズキ・カタナの改造車を買いあちこちに行った。

大抵は単独行で週末に富士五湖とか軽井沢、清里等に行き、たまに家内を後ろに乗せて走った。東京から愛媛県の実家まで往復したことがある。母もバイクを見て驚いたが何も言わなかった。ツーリング・クラブに入ってグループで走るのは躊躇った。思い返すと自分は初心者で自己流で好きなように走りたかった、思いついた時いつでも走れ都合の良い時間に戻って来る、他にもやることがありその為の時間も絶対的に重要だった。

同じ頃に始めたのがバドミントンで、最初は職場の昼休みの遊びから始まった。同僚に誘われて世田谷のママさんクラブに加入、そこでコーチに勧められ大学教員のパートナーと区民大会に初心者として参加し、トップクラスの階級まで上達した。これで仕事以外の知り合いが一気に広がった。後に米国に赴任した時、土地のクラブや大会に一人で飛び込んででも参加する素地を作ったと思う。ある意味、これも単独行だった。

もう一つ単独行を後押しした人がいる。40半ばを過ぎて米国に単身赴任した時のことだ。専門家の先輩達が断った結果、技術者上がりの私が工場責任者として米国人を使う立場になった。その時助けてくれた優秀な部下の一人が全米一二を争う経営大学院卒だった。彼は「休みに日本人村に行くな、独り立ちして地域コミュニティにゆけ」と強く勧めてくれ、現地のバドミントンクラブに加入しそのネットワークで知人を作るきっかけになった。

米国はバドミントンは秋から冬のシーズン・スポーツだったので、秋から夏は若い頃を思い出し山歩きをすることにした。毎週末がらんとした大きな家で一人で過ごすのは地獄、もう知らない山でも単独行でも行くしかない気分になった。REIで道具を揃え週末になるとテントに寝袋とガイドブックを持って山に入った。そしていつも単独行だった。初めは怖かったが少いなりにハイカーに出会うし、熊や鹿も用心すれば大丈夫と思うようになった。

こんな風に、引っ込み思案な田舎育ちの私は会社勤めを経て20代後半頃に、「単独行癖」が徐々に芽生えて行った気がする。技術者として会社勤めの中で私の性格を育てたと思う。言い換えると「我儘で他人と協調しない」、良く言うと「自分の目標に執着し妥協するのが嫌な性格」だったのが単独行癖を育てたともいえる。

単独行が遺伝的に引き継いだ性格かどうか分からない。田舎の地主のおぼっちゃまだった父の性格はよく分からない。一方、母も人付き合いの良い方ではなかった。母方の叔父がエキセントリックな人と周囲に見られていた。60年前頃に田舎の農家の息子でスクーターに乗り、趣味の写真や音楽に大金をつぎ込んでいるのを見た。田舎では他にそんな人は見たことが無い、その意味では単独行の人だった。遺伝したとすればその程度だ。

田舎で育った私は積極的にものを言うことも行動することもなかった。学生時代に友人と四国自転車旅行や北海道一周旅行をしたが、当時は一人でやろうなんて思わなかった。一人でやるっきゃないと思うようになったのは、20代半ばで技術者として認められて結果で評価される仕事を担当した時だ。自分だけが頼りだった。そういう踏み台を経て仕事以外の趣味から生活そのものまで単独行な男になってしまったと思う。

それが体に染みつき、退職後15年経ち古希になってもまだ単独行の山歩きやツーリングをする。だが、多少の変化もある。3年前旅行会社が企画したバスツアーに家内と参加して楽しい経験をした。それまでは国内外のパッケージツアー等はお仕着せの旅行と馬鹿にしていた。ところが、パックツアーは訪問地や宿泊・食事など合理的によく考えられ楽だった。今ではパックツアーのファンだ。単独行に拘り過ぎていたかもしれない。■
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天邪鬼・政治経済ニュースの見方

2017-11-05 10:58:43 | ニュース
このところマスメディアが伝えるニュースが変だと感じる。私が変なのか、それともマスメディアが変なのか。要点は、私には従来メディアは気付かずに危機が迫っている様に感じる。

衆院選後のマスコミ報道
先ずは与党が圧倒的な勝利を収めた衆院選結果について、野党が得票の割に議席を獲得できなかったのは一本化出来なかったことと選挙制度の問題を指摘する声が大勢だった。指摘は間違いではない。だとしても、トータルで議席を減らした野党の主張ばかりを伝える報道が目立つ。それで良いのだろうか。

制度に拘らず最も多数の国民が期待し投票した政策を取り上げ、それをどうやって実現するか取り上げ深掘りし論評するのが重要なのではないか。それ無しではひねくれた報道と感じる。テーマによっては「沖縄の心」と伝えるのに、最大多数の「国民の心」は無視するのは異常で不幸だ。我が国の最大のテーマが脇に置かれ、地球温暖化対応などで世界に取り残される一因になっている。それで本当に国民の為に役立っているのか。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式報道
日米マスコミからは初来日するトランプ大統領の悪評と不安ばかりが聞こえてくる。直近の深刻なニュースは「ロシア疑惑」で選挙参謀だった2人が逮捕され、今後彼等が司法取引をして事実が明らかになり大統領を窮地に追い込んで行くと半ば期待を込めて報じられている。アジア外遊どころではないという声と、逆に話題を外交にそらせる効果があると報じられている。

しかし、その中で明るいニュースもあった。米国経済が思いの外好調なのだ。ハリケーンの影響等を乗り越え7-9月の実質GDP成長率が予想以上の3.0%、10月の雇用も順調に増加、株価は史上最高値を付けた。これを受けて米大手マスコミは大統領就任以来の「勝利」と報じた。殆ど悪評ばかりのトランプ大統領だが、米マスコミには「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」式報道でなく、全体像を見せる報じ方に驚きと羨ましさを感じた。

世代間対立はメディア対立の反映
再び衆院選に戻る。大勢が判明した数日後に出口調査等の分析データ(日本経済新聞)が再び報じられた。直後の報道通り老人世代の立憲民主党支持と若者世代の自民党支持、中年世代は五分五分の支持という傾向が確認された。これが世代特有なのか、10年後にこの傾向がそのままシフトしていくのか興味がある。

私は何故マスメディアがこの傾向を無視しているのか、平気なのか理解できない。というのは従来のメディア(新聞テレビ)が老人世代、新メディア(インターネット)が若者世代の情報源になっており、それがそのまま政党支持のトレンドになっているからだ。この関係は明確で固定的にさえ感じる。

若者世代はどこに向かう
従来メディアにとっても見逃せない重大なトレンドのはずだと思うが、何故か静かだ。従来メディアは経営者から論説委員やコメンテーターまで全て老人という現実の現れだと私は推測する。それとも若者世代が中年世代になると考えが変わるのか、それとも従来メディアが世代変わりするのか注目だ。私のテーマは、生きてその変化を見守れるかどうかだ。■
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