先週土曜日に予定した雲取山登山を中止した直後に、長男の提案で昨日あきる野市の弁天山に娘の家族も参加しハイキングに行った。2000mクラスの百名山から292mの低山に変更した。朝食後立川に行き青梅線に乗り換え、拝島で五日市線に乗り換え終点手前の武蔵増戸駅で下車した。
20年以上前に青梅線に乗った時の記憶はまるでなく、家内の助言で余裕をもって出かけたのが良かった。立川で乗り換えのホームが分からず駅員に頼った。拝島でやっと長男家族に合流、増戸駅から小一時間住宅街を歩きいたところにある里山と言った感じのところに登山口があった。
弁天山の登山口から眺めの良い山田橋を渡り右折して暫く歩くと弁天神社の参道に出る。途中から左折すると険しいハイキングコースになり、洞窟を経由して更に険しい山道を歩くと山頂に着いた。数日前から左肩から首筋に痛みが出て体調不良だった私は、家族についていくのが精一杯だった。
昨日は百名山どころか低山を歩くのでさえ四苦八苦したというのが正直なところだった。一方、元気だったのは小2と小4の孫達で、文字通り飛ぶように登って行った。体調が万全じゃないと言ってた娘にでさえ、弁天山から城山に続く登坂で追いつかない、まさに惨状だった。
300m程度の低山なのにこの体たらく、雲取山登山など所詮無理だった。今朝は起きると胸のあたりに痛みを感じた。首の痛みが転移したのだろうか。この1週間余り首筋以外にも痛みを感じ、体がだるく体調に異変を感じていた。これでは低山ですら最後になりそうだと思った。
弁天残を取り巻く山道を「厳しい」コースと「緩い」コースに分け、私と娘は後者を「まゆちゃん」コースと命名して歩いた。子供達は当然のことながら聞いた瞬間に「厳しい」コースを選んだ。娘宅は改築した時に、子供の希望を取り入れて壁にボルダリングと雲梯を設置していた。鍛えられている。
でも、家族揃っての山登りで皆で楽しく話せたのは良かった。残りの人生で何回こんな楽しみを経験できるだろうか、無理してでも低山ハイキングに参加して良かったとつくづく思った。小峰公園で一休みして、帰りは五日市駅から電車に乗った。次の武蔵増戸駅で車で来た娘家族と別れ、更に拝島駅で長男家族とも別れ一人自宅に戻った。今朝も体がだるいが首の痛みは楽になった。■
20年以上前に青梅線に乗った時の記憶はまるでなく、家内の助言で余裕をもって出かけたのが良かった。立川で乗り換えのホームが分からず駅員に頼った。拝島でやっと長男家族に合流、増戸駅から小一時間住宅街を歩きいたところにある里山と言った感じのところに登山口があった。
弁天山の登山口から眺めの良い山田橋を渡り右折して暫く歩くと弁天神社の参道に出る。途中から左折すると険しいハイキングコースになり、洞窟を経由して更に険しい山道を歩くと山頂に着いた。数日前から左肩から首筋に痛みが出て体調不良だった私は、家族についていくのが精一杯だった。
昨日は百名山どころか低山を歩くのでさえ四苦八苦したというのが正直なところだった。一方、元気だったのは小2と小4の孫達で、文字通り飛ぶように登って行った。体調が万全じゃないと言ってた娘にでさえ、弁天山から城山に続く登坂で追いつかない、まさに惨状だった。
300m程度の低山なのにこの体たらく、雲取山登山など所詮無理だった。今朝は起きると胸のあたりに痛みを感じた。首の痛みが転移したのだろうか。この1週間余り首筋以外にも痛みを感じ、体がだるく体調に異変を感じていた。これでは低山ですら最後になりそうだと思った。
弁天残を取り巻く山道を「厳しい」コースと「緩い」コースに分け、私と娘は後者を「まゆちゃん」コースと命名して歩いた。子供達は当然のことながら聞いた瞬間に「厳しい」コースを選んだ。娘宅は改築した時に、子供の希望を取り入れて壁にボルダリングと雲梯を設置していた。鍛えられている。
でも、家族揃っての山登りで皆で楽しく話せたのは良かった。残りの人生で何回こんな楽しみを経験できるだろうか、無理してでも低山ハイキングに参加して良かったとつくづく思った。小峰公園で一休みして、帰りは五日市駅から電車に乗った。次の武蔵増戸駅で車で来た娘家族と別れ、更に拝島駅で長男家族とも別れ一人自宅に戻った。今朝も体がだるいが首の痛みは楽になった。■