かぶれの世界(新)

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雲取山転じて弁天山

2023-04-10 15:47:57 | スポーツ
先週土曜日に予定した雲取山登山を中止した直後に、長男の提案で昨日あきる野市の弁天山に娘の家族も参加しハイキングに行った。2000mクラスの百名山から292mの低山に変更した。朝食後立川に行き青梅線に乗り換え、拝島で五日市線に乗り換え終点手前の武蔵増戸駅で下車した。

20年以上前に青梅線に乗った時の記憶はまるでなく、家内の助言で余裕をもって出かけたのが良かった。立川で乗り換えのホームが分からず駅員に頼った。拝島でやっと長男家族に合流、増戸駅から小一時間住宅街を歩きいたところにある里山と言った感じのところに登山口があった。

弁天山の登山口から眺めの良い山田橋を渡り右折して暫く歩くと弁天神社の参道に出る。途中から左折すると険しいハイキングコースになり、洞窟を経由して更に険しい山道を歩くと山頂に着いた。数日前から左肩から首筋に痛みが出て体調不良だった私は、家族についていくのが精一杯だった。

昨日は百名山どころか低山を歩くのでさえ四苦八苦したというのが正直なところだった。一方、元気だったのは小2と小4の孫達で、文字通り飛ぶように登って行った。体調が万全じゃないと言ってた娘にでさえ、弁天山から城山に続く登坂で追いつかない、まさに惨状だった。

300m程度の低山なのにこの体たらく、雲取山登山など所詮無理だった。今朝は起きると胸のあたりに痛みを感じた。首の痛みが転移したのだろうか。この1週間余り首筋以外にも痛みを感じ、体がだるく体調に異変を感じていた。これでは低山ですら最後になりそうだと思った。

弁天残を取り巻く山道を「厳しい」コースと「緩い」コースに分け、私と娘は後者を「まゆちゃん」コースと命名して歩いた。子供達は当然のことながら聞いた瞬間に「厳しい」コースを選んだ。娘宅は改築した時に、子供の希望を取り入れて壁にボルダリングと雲梯を設置していた。鍛えられている。

でも、家族揃っての山登りで皆で楽しく話せたのは良かった。残りの人生で何回こんな楽しみを経験できるだろうか、無理してでも低山ハイキングに参加して良かったとつくづく思った。小峰公園で一休みして、帰りは五日市駅から電車に乗った。次の武蔵増戸駅で車で来た娘家族と別れ、更に拝島駅で長男家族とも別れ一人自宅に戻った。今朝も体がだるいが首の痛みは楽になった。■
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かぶれ者なのに永住権を断った訳

2023-04-08 21:58:28 | 日記・エッセイ・コラム
3日前の日本経済新聞に興味深い記事を見た。連載記事「人口と世界」で日本も人口減少に対応して、EUや韓国などの例を挙げて「複数国籍」を認める様に提案する内容だった。世界を見渡しても78パーセントの国が複数国籍を認めているという。

出生率が世界最悪の韓国ほどではないにしても、日本も長年出生率の低下が続き深刻な労働者不足に見舞われ、200万人近くの外国人労働者数が働いている。散歩していると外国語を話す人達と良くすれ違う。都会だけではない。実家がある四国愛媛県大洲市でもスーパーで買い物をしていると、フィリピン語や中国語らしき言葉が聞こえて来る。何故か、殆ど女性だ。

私が90年代に米国で仕事をした頃は様々な人種の人達がいた。仕事が終わりオフィスから出て行く時、スペイン語を話す掃除婦の人達をよく見かけた。メキシカン・レストランに行くとメキシコ移民らしき人達を見かけた。彼等は正規の移民かどうか分からないが、子供が生まれると米国籍になったはずだ。一時期私の上司はハンガリー動乱の難民の娘でハーバード大MBAの才媛だった。

サクラメントに移住し半年くらい経過し職場に慣れた頃、個人的な事情があって会社の弁護士と面接した。その時、彼から永住権をとりたいのなら何とかすると申し出があった。私は「アメリカかぶれ」と自称する位に中学生の頃からアメリカ大好きで、突然の申し出に一瞬心が躍った。

だが、余り考えることなく申し出を断った。その頃通っていた日系医者との雑談で、彼のところのロシア系の看護婦が永住権を取得する為だけに米国人男性と結婚するのを何度か見たと聞いた。そのイメージが残っていて永住権と聞いただけで汚いイメージがあった。想像するに、合弁会社のトップが私を配下に置いて都合よく使おうとして永住権をエサに申し出たと疑い断った。

何れにしても私は結婚して3人の子供を持つ父親だった。アメリカかぶれなのは私だけだったし、3年以上も単身で米国に住み日本の生活に戻りたかった。米国の自由な文化は大好きだったが何年も一人で済む気はなかった。日米を往ったり来たりしながら生活を楽しむのがベストだった。今になっても永住権を欲しがって間違った判断をしなくて良かったと思う。■
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最後の百名山登山は中止

2023-04-07 18:24:56 | スポーツ
朝ドラを見ながら朝食をとり、いつもの様に洗濯物干しに2階のベランダに出た。手摺と物干し竿を拭き洗濯物を取り出して空を仰ぐと、気付かない程度ながら霧雨が降っていた。やむを得ず客間のカーテンレールに洗濯物を干し、直ぐに1階に下りて長男からのメールをチェックした。

土曜日に孫二人を連れて雲取山登山に行く予定だったが、西日本が雨の天候では明日も良くならず登山道の状況が悪くなりそうだと思った。都心では雨が降っている、登山を中止しようと長男からの連絡だった。私も雨中か雨後の道を子供に歩かせたくなかった。関東ローム層の道は緩むだろうと。

ネット検索すると、雲取山小屋の情報では山道は積雪はないが凍結箇所がありアイゼンかチェーンが必要とのこと、端から子供の登山は無理だった。登山中止に同意して事前調査の不足を詫びた。私が最後に雲取に登ったのは2001年11月だったとガイドブックにメモが残っていた。末の息子と一緒だった。今私が行けるのは夏か秋のハイキングシーズンだけだった。

実は朝起きて昔米国で山歩きしたのを思い出して、何年かぶりにREIで買ったシャツとズボンを履いた。履き心地は余り良くなかったが、明日の登山に備えて体を慣らしたかった。今日は年上の孫の中学校の入学式で、翌日に記念の雲取登山をしようという長男の計画だった。残念だった。

私も、この機会に人生最後の百名山登山を孫達としたいと思っていた。その代わりに息子は日曜日に天候が回復したところで、近場で低山のハイキングを提案し私も参加すると返事した。思い付いて朝着た登山用のシャツとズボンに登山靴を履いて、夕方多摩川の堤防を上り下りした。

生憎のしょぼつく雨で2時間足らず約7キロを家内のステッキを借りて歩いた。防水加工無しの部屋着を登山用シャツの上に羽織ったが、ずぶ濡れになった。が、気分転換にはなった。出来れば体調を整えて夏か秋に孫達と再チャレンジしたいと思う。余り自信はない。■
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免許証更新の第2段階パス

2023-04-05 18:26:48 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の午前中に調布自動車学校で高齢者講習を受けた。人生初めて柴崎駅に下り歩いて数分のところにある自動車学校に行った。受付でマスク着用を求められ何でと思ったが、念の為に持参したマスクが役立った。4月から値上げしたという8000円を支払って手続きが終わった。3階の待合室でスマホを見て待って10分余り、8人の老人が全員スマホをチェックしていた。

最初に10分程度の実技講習を受けた。実技講習には初めての電気自動車だった。運転席に座ると見たことも無いボタンやランプが並び、見た瞬間に運転できるか不安になった。戸惑って講師に電気自動車は初めてだと言うと、運転に最低限必要なギアチェンジ法等を教えてくれた。だが、いざ運転を始めると、電気自動車そのものの乗り心地はスムーズで不安は消えた。

実技講習は狭いテストコースを右や左に行けと言われ、ウィンカーや信号チェックなどの簡単な操作をしただけ。10-20キロの速度でゆっくり走り、信号待ちで側面とか対抗車・バイクなどと安全にすれ違えたかだった。最後に段差の運転に少し手間取っただけ。苦手なバック運転はなかった。講師は交差点や角を曲がる時の私の運転の癖を指摘しただけで何とか終わった。

その後教室に戻り、視野角度・静止視力・動体視力・夜間視力テストを実施した。私は昨年夏の物損事故の後、廃車手続きをし運転してない。数年前から夜間視力に自信がなくなり夜の運転は控えていた。対向車のライトを受けると瞬間的に視力が低下し、ハンドルを握るが怖くなった。だが、テスト結果は意外にも夜間視力は平均値、全体でも75歳以上の中ではやや優れているとの評価を得た。

実技講習と視力検査と簡単な説明を終えて8人の老人は無事講習を終えた。帰りは送迎バスを利用して調布駅に向かい電車で帰宅した。高齢者講習の受講者は全員男性の老人だったが、バスの中は私を除くと男女の若者達だった。近年は若者が車に乗らなくなったという。一方、高齢者は男性のみ車を運転するのだろうか。近所を走る車の運転手はオバサンが多いと私は感じるが。

これで今月半ばに一旦田舎に戻り実家で過ごす計画通りに行けそうだ。7月に帰京して免許証を更新する積りだ。その為の高齢者講習の第2段階をパスした。田舎暮しには車が必須だと考えていたが、昨夏の事故を機に自転車で食料など買い物をするようになった。それでも万一の場合にレンタカーを利用して対応する為に免許証が必要だと思う。■
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最後の家族パーティ、かも

2023-04-03 21:44:12 | 日記・エッセイ・コラム
昨日の午後娘夫婦宅に家族が集合して孫の誕生を祝った。毎回孫達に会う度に彼らの成長ぶりに目を見張る。今回は今春から中学生になる一番年上の孫の変化が著しく、昨日はまるで他人の子のように感じた。昨年末頃から声変わりしていたが、昨日は子供のような体つきじゃなくなっていた。

長男によると孫は最近体の骨が伸びたせいか身体に痛みが出たという。普通は足の骨だと思うが、孫は胸のあたりの骨に痛みが出たという。私も小学6年生のころ身長が伸びた記憶があるので、体の成長も遺伝を反映するのだろう。

だが、遺伝だけではない。誕生会に参加した娘の夫君の姉さんの今度高校生になる子供は半端なく、両親は小柄なのに、彼は180センチを越え私の長男と並んでも頭一つ飛び抜けていた。だからと言ってスポーツ選手を目指す訳でもなく、趣味はピアノらしい。

彼ら子供には彼らの人生がある。すべて親に倣って生きて行く訳ではないと痛感した。ましてや私のような爺さん婆さんの思う通りになるなんてありえない。思い起こせばその年齢の頃から、私も両親の期待した通りに生きた訳ではない。そして、孫達にもそう欲しいと思った。

娘夫婦が改築した家は全く変わっていて驚いた。一階のLDKやユーティリティを2階に移し、1階を子供部屋や寝室に仕事部屋に入れ替えた。殆ど建て替えた感じだ。目に付いたのが、机だけでなくボルダーリングや雲梯を供えた子供部屋だった。だが、ベッドはなく親と川の字に寝るらしい。

パーティの後半になってネットの音楽ややスマホの動画を見ながらした雑談が私にとっては一番楽しかった。40代の子供達はリアルタイムで見てないはずのシティポップスが意外にも受け、子供達の卒業式の動画を見て思い出話が弾んだ。驚いたのは50過ぎた息子の嫁さんがダンス発表会で生き生きと踊る姿だった。しかし、孫達はプレゼントに気をとられ興味が無い様だった。

一方で帰宅後に報じられた坂本龍一の訃報に驚かされた。蛇足ながら彼は給電の生まれだそうで、私と家内が通った小学校のバドミントンクラブに参加した時、彼と離婚した嫁さんと娘に出会ったことを思い出した。合宿で鹿島に行った時、我が家の子供達をまだ旧姓のままだった奥さんに良くして貰ったという。家内によると息子や娘も奥さんの事を記憶していたという。

パーティの帰りに息子や孫達と一緒に来週雲取山に登山しようと再確認した。坂本氏の事を思い出しながら、今年を逃したらもう子供や孫と百名山に登ることも無いだろうと思った。坂本氏の訃報と重ね合わせ自分の体の衰えを実感しながら、何とか頑張ろうと思った。■
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