画像は、「江戸紋章集」の「亀甲」の頁からです。我が家の紋の確認のために、積ん読く本から拾い出した。今の世の中は、ネットで閲覧できるので、いずれは廃棄をする。あらためて、家紋はといつても、現在は必要がない。普通の人は、和服を着る機会がない。たまぁーに街中で、見かけられるのは、お茶会か、お花会か、謡いの会なのかも。亡くなったばあちゃんが、娘のために、慶事用に、三着。仏事用に、羽織付の、夏用の紗織と、冬用と、タンスに入っていたが、体形の変化で、着れなかった。小生は、浴衣と、夏用の白絣と、久留米絣の羽織付と、ウール生地の羽織付がある。紋は無し。老後は、着物を羽織って、老後なりの日々と、思った時期もあった。着用すれば、後始末で苦労をする。何十年もタンスの中なので、しみがでているかも。大分前のことだが、親戚の葬儀のあと、精進落としの会食の席で、その家のお嫁さんが挨拶にきた。初対面で話題も無く、「どうもどうも」だった。喪服に紋が付いていた。隣の席の年配の人に「家紋をみると、この方には、たやすく声など掛けられないねぇ」なんて、冗談をした。家紋が、テレビで、「静まれ、鎮まれ。この紋どころが、目に入らぬかぁ」だょと、はなすと、冗談の意味が分かって、お嫁さんが笑った。家紋の事は、ネットで、あぁそうなんだぁと、読んでいる。