画像は、ほぼ55年前に、使い始めたもの。5年ほど前に、分解修理をした。当時、町の時計屋さんが、廃業すると聞いた。直接面識はないが、知人に、修理はどうかと、廃業前の最後にと、聞いてもらった。ゼンマイ式なので、手巻きする軸が、汗でさびが出ただけだったという。修理のあとは、末代まで動くと云っていた。長い年月使っていたが、腕に付けるのは、仕事で出張する、月に数回だった。修理をする前、十年くらいの間は、電池で動くのを、電池切れだぁと、その都度買って、八個か九個、型が気に入ったのが、今、二個残っている。来週、運転免許更新前の、適性か否かの検査がある。前回、受付の女性の前で、この時計のゼンマイを、じょこじょこじょこと巻いていたら、その女性は、それはなんですかぁと、びっくりしていた。時計とは、何ぞやと、辞典を開いた。そこには、「時間を計ったり、時刻を示したりする機械」とある。ならば、その「時」とは、何ぞやと、また、辞典を開いた。「過去から未来へと限りなく流れ過ぎて、空間とともに、一切の出来事がそこで生起する枠のように考えられているもの」とある。スカスカの脳では、わかったようで、わからないと、自嘲をしている。
地植えのが、咲き出した。花が、一樹が終わるとと、また一樹と咲いている。古木のものでも、地植えの花は、勢いがある。鉢植えは、限られた容積の中から、栄養分を吸い上げる。その栄養分は、与えていない。鉢植えのも、咲くには咲くが、勢いがない。幹そのものも、勢いがない。地植えすれば、幹にも勢いがでるのかも。別のことだが、サツキツツジの花ことばは、六月一日の、「協力がえられる」とある。六月二十四日は、レンゲツヅシの「情熱」とある。キリシマツツジは、四月十八日で、「燃え上がる愛」で、四月二十二日は、ヤマツツジで、「燃える思い」とある。元気が出るような、花ことばだなあと、見ていた。ついでに、四月二十六日は、ケンマソウで、「あなたについていく」。四月九日は、オキナグサで、「告げられぬ恋」。四月六日は、イカリソウで、「あなたを離さない」。五月二十九日は、セッコクで、「あなたは私を元気づける」。五月十日は、カーネーションで、「あなたを塾愛する」。八月十三日は、ミソハギで、「切ないほどの愛」とある。書いた花の名は、カーネーション以外は、見たこともない。恋とか愛とかに、目をやる年でも、ねぇべぇーと、またまた、自嘲をしている。
今朝、水やりをした。数日前から、つぼみがふくらんできていた。サツキと、つつじノ違いは、わからない。なんか葉を触ると、ちょっと粘っこいのが、つつじなのかも。つつじは、道端とか、庭や公園などに広く、植栽してあるようだ。花は、四月から五月に、咲くのという。季語は「春」とある。サツキは、川岸の岩の割れ目などに自生しているのを、いうようだ。観賞用に植栽されているのを、いうとある。季語は、「夏」とある。、分類は、ツツジ科ツツジと、ツツジ科サツキという。ツツジの漢字は、躑躅とある。さつきの漢字は、皐月とあるサツキは。昔しから、園芸品として、盆栽用にと、品種改良をして、楽しんでいたという。画像のは、古木状になってしまつたので、花が終わったら、地植えにする。幹に勢いが出たら、また鉢植えにする。サツキのにわか愛好者になっている。そうか、肥料のことも、考えたが、地植えは、肥料は、なくてもいいようだ。
一月に載せたのを、拡大した。画像の、、左軸は、気温、横軸は、ひと月を、五日ずつ、六等分した。緑色の折れ線グラフは、、日中の最高気温の平年値。青色の折れ線グラフは、勝手に予測をした平年値。五月から八月までは、平均すると低めなのかも。気温は、かなり高い日、肌寒い日があったりの、荒れる気温になるかも。過去の八月の気象のことを、一口で言い表した言葉は、「低温情報三回」とか、「記録的な猛暑」とか、「北冷西猛暑」とかがある。かなり荒れたお天気になるのかも。グラフの値は、いわき市の、「海洋性気候」のものです。いわき市は広く、山間部は「内陸型気候」と、気候の特徴がある。日々の生活では、暑いなぁ、涼しいなぁで、お天気様のことは、お天気さまのことと、過ごしていればいいだけのこと。これまた、失礼しました。
画像は、いわき市図書館に所蔵してある、昔の新聞の、一コマ。多分、昭和十年の九月のある日のもの。目に留まったので、カシャッとしておいた。記事には、稲の開花期に、十数年来の、低温が続いている。降雨が続き、極端な冷気に襲われているとある。昨年以上の凶作、米価は、再び急激な沸勢を辿ってとある。手元の画像をめくって、のせました。
先日、さなぶりで、いただいた。辞典には、[さのぼり さ上り]とある。田植えが終わったあと、田の神様を送る儀礼のひとつという。米を生産をするには、土造りから苗造り、田植え等など、多くの手数がかかかる。豊かに実るのを願い、また感謝をする。米の字の、四つの点は、穀物の実を表し、十は、その実の分立を表すと、読んだ。または、穀物の穂を、束ねた形からともいうとよんだ。いただいた赤飯は、神棚と仏壇にも、供えた。毎日、ご飯を食べている。食べれることに、感謝をする日でもある。