神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

人生の事 できることを優先に今すぐ行動

2024年02月04日 08時09分05秒 | ライフスタイル
 日記の転記作業も昨年末から1996年正月で1か月停滞している
なんといっても目の衰えが邪魔をして、読書もそうだがなかなか前に進まない
本を読むのは、もう老眼鏡では間に合わなくなり今は裸眼で本や新聞を読む
高齢になれば本来近くが見えなくなるものだが、近視眼の傾向があると老後は逆に手元がよく見えるようになる
さすがに目の衰えで最近はそうでもないが、60代後半には指の指紋の一本一本を数えることが出来た、嘘のような本当の話である。
来年は免許証の書き換えがあるから、年内に眼科で目のチェックをしてこようと思う、この2年ほど目の見え方が芳しくない
来年の書き換えでは、普通免許と自動二輪免許を残し、いよいよ大型免許を返還するつもりだ、35年間マイクロバスを運転して全国を走り回った。
家から神戸で一泊、神戸から淡路島を通って土佐の高知、高知から瀬戸大橋を渡って宝塚で一泊、宝塚から帰宅 これがマイクロバス旅一番の思い出として残っている。
大阪市内、名古屋市内、東京23区内、磐梯熱海温泉、米沢、山形、温海の旅
福井若狭から若狭道で有馬温泉泊、姫路城、神戸の旅も
信州木曽路、志賀高原から草津温泉、箱根泊から小田原、東名高速で横浜泊
、千葉から房総鴨川温泉 ある時は木更津泊で金谷からフェリーで横須賀、横浜泊 横浜も何度も泊った、ホテルニューグランドがお気に入りだった。

同級生旅行でも毎年21年間マイクロの運転をした、京都は3回運転して行った
一等地なのに大浴場がありマイクロバスを駐車できる「東山閣」がお気に入りだった。
草津温泉、母畑温泉、水上温泉、富士河口湖温泉、長良川温泉、箱根湯本、西伊豆、磯部温泉、大阪、名古屋、石和温泉、岳温泉、湯沢温泉と奥只見と清津峡 いつも10~15人乗せて走った。
もちろん仕事でも一年200日以上はマイクロバスを運転していた。
思い出せば懐かしい、いつの間にか73歳も終わろうとしている
この前、古希の同級会だと言っていたのがコロナで潰れてしまい「そのうちそのうち」と言いながら主要メンバーが欠け、「あいつが死んだ」「あいつは入院」との声が絶え間なく聞こえてくるようになった。
今は昔のメンバーのなかから有志が集まって一年に数回の食事会を楽しむ
次回は公園での花見に決定した。 もう「そのうち」「仕事を辞めてから」は夢物語になった、今できるときにやってしまうのが悔いを残さない道だ。

万葉線電車


人の命などわからぬものだ、Y子みたいにスポーツイベントの最中に突然気分が悪くなって、そのまま語ることもなく亡くなったり、元気な人が朝になったら布団の中で冷たくなっていたとか
何が起こるかわからないのが人生、だからこそ「やりたいことはすぐにやる」「必要なことは、すぐに済ませておく」「伝えたいことがあれば書いておく」それが大事だ。




大晦日までの三日間 神社のこと

2023年12月29日 15時04分13秒 | ライフスタイル
 昨日のカニゆでは3時間もかかって終わらず、残った小さなカニは廃棄しようと思ったが、カニの命を思うと「命をいただいてこそ成仏」と思い直し、今朝から続きをやった、1時間で終わった。
それからが忙しくて、午前午後と友達の家を配り歩いた。

その後、市税、電気料、ガス水道料を郵便局とコンビニで振り込み
それから山の神社へお札をもらいに行った。
今住んでいる家は神社まで徒歩2分、山の神社は車で10分の所にある。
近くの神社は、延喜式にも出てくる古い神社で、町の中心となる一の神社、町の有力者が支えて大晦日から正月まで万人の参拝客でにぎわう。

一方、山の神社は1000戸ほどの地区の神社だが、半数以上は一の神社に行く
二年まいりも初詣も一の神社とは比べ物にならないほど少ない氏子の参拝だ
我が家は父が今のここに住んでから、一の神社のお札をお祭りしているが、ここは息子に任せて、私は山の神社のお札をいただいて前の家の神棚にお祭りする。

神社へは鬱蒼とした林を抜けていく

先日の雪がまだ残っていた


山麓から一気に30mほど登る

もう2年以上空き家だが、私が65年間住んだ家なのでホオッテおけない。
山の神社の神主さんとは三代にわたってお付き合いがあるから尚更だ。
能登半島から何百年か前に今のところにやって来た神社だと先代の神主さんから聞いたことがある。
故人となった先代は飲んべい神主で、いろいろ武勇伝がある、ある意味名物神主だった。 今でも時々思い出す、祝詞をあげていても酒の気が抜けていなかったり、結婚式のあとで刺身を肴に酒をコップ一杯飲むのが楽しみだった。
およそ神聖な神主ではなかったが、本人はそれをウリにしていた。
二代目は巫女さんで私より少し年上、今日も神主さんの自宅へ行ってお札をもらったが、その時出てきて「おやまあ久しぶりでなつかしいわ」とすぐに私をわかって話しかけて来た。
私は、この土地から離れたが、許す限り空き家の我が家には、山の神社のお札を祭って守ってもらう。

今日は、これから風呂の大掃除をして、そのあと年賀状を書く。
明日は新湊へ今年最後のドライブ、帰ったら神棚の清掃と飾りつけをしてベランダの掃除をする。
31日は正月の「おせち」を作る
はんぺんを使って伊達巻を作り、数の子、鮭の焼き物、越中かまぼこ、鮭の昆布巻、海老フライ、海老の黄身焼き、自家製大根の鱠、つー君に頂いた山菜塩漬けの煮物、タラコとツキコンの子和え、煮豆、椎茸、人参、細竹、焼き豆腐、コンニャクの煮物、チーズなど

31日の歳とりは、妹夫婦がすき焼き用の極上牛をお歳暮にくれると言うから
すき焼き、そして年越しそばを食べて、つー君に頂いたシャンパンを飲む。
正月は実業団対抗駅伝を見てから初詣、久しぶりにおみくじでもひいてみようあとは酒でも飲んでのんびりかな、
2日3日は箱根駅伝を見ながら一杯やるか・・・・・
そうだ3日は友達同士の新年会に招かれているから、そこで初顔合わせかな
今年の正月はのんびりのんびり。

2024年まで、あと5日

2023年12月28日 15時53分18秒 | ライフスタイル
 昨日書いた記事です。

2024年がやってくる、1970年には想像もしなかった未来に今いる。
午前中は何を食べたっけ? 考えないとすぐにパッと出てこない
作ったのも自分自身だから、もっとすんなり出てきてもよさそうだが

炊き立てのご飯があって、そうだみそ汁を作った
絹豆腐と白菜と、えのきだったな、少しいつもより出汁と味噌を多めに入れたら良い風味が出て美味しかった。
おかずは? そうだ野沢菜と、え~と・・・なんだろ?
ああ・・・昨日の夕飯に半分残したホッケの焼き魚、それで済ませた。
そのあと小さなカニを一つ食べて、息子は大きなのを一つ食べながらメジャーの話、安倍派のなんちゃらを話した。
それからコーヒーを一杯飲んでから居間で「ブギウギ」「寅さん」と阿部サダヲの市役所おみおくり課の映画を見た。

昼過ぎからは台所の掃除と整理整頓、いらない物の始末をした
14時頃小腹が空いたので、ちょうど一年前の鏡餅(プラだかの三段餅スタイルの容器の中に一口サイズの丸餅がいくつか入っているやつ)が2ケ残っていて
それを電気オーブンで焼いて醤油をかけて食べた。
買ったのは2022年12月で、賞味期限が2023年12月、どうかと思ったが食べた
一年もカビが生えない餅ってカビ以上に危険な気もするが、かまわず食べた
おいしかった。

そのあと乾麺のそばを茹でて食べたが、湯がもったいないから6本入りのウィンナーソーセージを2本、水から放り込んで茹でた、沸騰して浮き上がって来たのを熱いうちに食べた。
昨日は同じウィンナーをフライパンで乾煎りで食べたが美味しくなかった
でも今日の茹でたのは、脂肪分が甘くて、とても美味しかった
調理法で、こんなにも味が違うことを知って感動した。

船長からメールが入って、明日の5時15分入船予定とのこと、今夜は20時半の就寝だな。
たぶん明日の漁が今年最後だろう、29日もよさそうだが出番はないだろう。
29日が年賀状を書く日になりそうだ。




















戻って来た料理人気分

2023年12月25日 19時59分11秒 | ライフスタイル
 今日の富山県は小雨ではあるけれど黒部の義姉宅にカニを届けに行って来た
もっとも、それは「ついで仕事」で、クリスナスプレゼントと正月おせち用の材料を買いに行くのが目的だった。

ところが義姉から、お返しに手作りのクリスマスイチゴケーキと鎌倉小町通りの銘菓「半月」をいただいた、義姉の亡夫の実家は逗子なのだ。
ケーキをいただいたのだけど、我が家では今日が家族が揃うので注文したクリスマスケーキが届き、思いがけずケーキが2個になった・・・一人二分の一とは、これは「爆食い」だな、でも義姉のケーキは甘さが控えめですんなりと口に入っていった、さすがに一度に半分は食べないけどね。

スーパーへ行ったついでに安い国産牛を売っていたので買ってきた
それをステーキに焼いたが、味つけはうまく出来たが、交雑の固い肉で味もあまりなかった、やはり安い牛肉は銭失いだった、豚ロースの方が遥かに美味い。
それにしても今夜も夕食をしゃしゃり出て作ったのだが、大晦日は毎年食べるものが決まっているけれど、正月三が日はグータラな寝正月なので、今度は私がお正月のおせちを作ることにした。
それでこれから献立を作るが、なんだか料理人気分が戻ってきてワクワクしている。
仕事を辞めた一年目は何もやる気が起きなかったが、今年は何だかんだと夕食を作る日が多くなっている。
女房殿の家庭料理とは違った、ワンポイント料理なので、お互い邪魔になることもないし、パートアルバイトをしている女房殿の骨休めにもなるだろう。

やっぱり料理を作っている時は楽しい、50人前、100人前の料理を作っていたので、家族の料理などどれだけの労働にもならないから楽しいだけで少しも苦にならない。 
家庭の台所は狭くて専門道具も無いので、何かと不自由でもあるが、包丁だけはプロ仕様セットで持っているから刺身でも煮魚でもなんでもござれだ。
プロとしての腕前は???だった私だが、自分で食べる料理は好みに合わせるのでそこそこうまくできる。
毎日は嫌だが週一くらいなら生活リズムの一環として良いと思う。

ああ、肉厚の椎茸を焼いて甘口醤油を垂らして食べたくなってきた。





ふつうの一日

2023年12月10日 16時09分11秒 | ライフスタイル
 昨夜は眠気に負けて22時半に寝たが、今朝はぐっすり8時まで寝ていた
大谷選手じゃないが睡眠をたっぷりとることが体と健康のために一番良いことだと思う。

朝食は半熟のハムエッグを焼いて、みそ汁、とろろ昆布で簡単に済ませた
食後は愛媛の伊予柑とオレンジのかけあわせのような果物を食べた。
それから、妹宅や従兄弟、同級生などの所へカニを配って歩き、歳暮を発送した、それでだいたい午前は終わった。

午後からは、歳暮を贈った長野県の親戚や、従兄弟からお礼の電話が来た
今日はよく電話が鳴る日だなあと思ったら、また一本電話が鳴った。
友だちのつー君からで、 先日ブログに書いた「チコちゃん」の旦那さんが亡くなったと言う電話だった。
仲良し同級生グループで明日の通夜に行く約束をした。

ともあれ先週はカニ漁と新湊へのドライブなどで、ほとんど家の事が出来なかったが、ようやく今日終わらせることが出来た。
夜は「下剋上球児」「どうする家康」を見る、ここ2週間は月曜のカニ仕事があって21時に寝ていたが、今夜は少し夜更かしできそうだ。






広がる世界、人脈

2023年12月06日 04時15分07秒 | ライフスタイル
 缶ビールは冷蔵庫より、暖房をしていない部屋に置いた方がよく冷える季節になって来た。
朝夜は、ひんやりとした空気が充満している。 月曜は4時起きで港へ行った、そして今日もこれから港へ行く、先週とうってかわって晴れ間が続いている。

日曜は映画を見に行くつもりだったが、辞めた。 考えてみればなにも日曜日に行く必要はなかった
現役の時は日曜日、土曜日の終末は最高に忙しい商売で、魚屋の個人商売の時はそれでも日曜日は30%くらいは休めたが、板前になってからはゼロになった。
幼い子供たちには今になって可哀そうなことをしたと思う
フーテン猫のような自分の性格もあるが、家庭的な親父でなかったことは間違いない。

2年前、商売を辞めて第二の人生が始まった、なにより家庭人として生きられることが嬉しい。 ようやく家族になった気がする。

最初の一年は何をすればいいのか全く分からず、流されていたが、その後は退屈を無くするために同級生との付き合いの数を増やしたり、女性だけのボランティアグループに入って活動したりした。

近所の80代のおじさんや、おばさんとも仲良しになったし、今度は漁師の手伝いに行くようになって、そこに集う人たちと親しくなった。
ここで私と同じく手伝っているメンバーは富山の定置網の乗組員、工場勤めの青年、船長の恩師で水産高校の元教師(元校長かもしれない)と鯛釣りが趣味の先生の友人、船長の家族5人

船長は50歳くらいで、7代目だそうだから1700年代後半頃から200年以上漁師一筋の家系だ。
船長も中学生の時に漁師になるのは嫌だと言っていたが結局継ぐことになって水産高校に入り、そこで前出の先生と出会い、優等生で先生の目に留まり未だにつき合いをしているそうだ。
先生曰く「彼は他の船と同じように停船するが、速度、入船角度、風向きなどを繊細に計算して停船作業をする、そこが違うのだ」

この先生は昭和の先生の気骨がある、なので話していても楽しい、政治経済から水産業界、観光、相撲まで幅広く、地域貢献もされている方だ、同じく相撲好き&魚相手&観光業に生きて来た私と話が合う。
船長の奥さんは結婚前には漁業市場で事務員をやっていたので、その頃から私とは顔なじみ

そうそう今乗っている船は4年ほど前に新造した船で、初航海の時に「yottinさん、乗って見ますか」と言われたけれど船酔いしない自信が無かったので遠慮したことを覚えている。

こんな風に、先生など今まで何の関係も無かった人たちと知り合えて世間がまた広くなった、年取るほどに世間は狭まっていくけれど、逆に広げなくてはいけない
人は人と交わって人となるのだ、人との付き合いが終わればなから人生も終わるに等しい。
これからも機会あれば人脈を広げていきたいと思う73歳のじじいです(とは思っていないが)
まだ「どか~ん」と、ひと花もふた花も咲かせて見せようぞ。






寝ている暇がない

2023年12月05日 06時01分16秒 | ライフスタイル
 カニ漁がある日は寝ている暇がない
前の晩はアラームを4時15分にかけて21時には寝る
しかし23時、2時、3時と目が覚める、さすがに3時から起きても仕方ないから寝なおし、そして夢を見た、そして目が覚めて(そろそろ4時だろう)と電気をつけて時計を見ると3時10分? 狐につままれた気分、たった10分しか寝ていない、しかも夢を見ている。

4時15分にアラームで起こされる、それから朝食を食べて5時過ぎに港へ向かう
もう船は入港していた。
さっそくカニを網から外す作業が始まる、それが終われば絡まった長い網を元の状態に戻す立ち仕事の作業が始まる。
みんなベテランばかりだから、二度目の網引き上げに行った船が戻るより先に作業が終わる。
「みなさん、船が来るまで休憩してください」船長の姉さんが言う
おばあさんがみんなに温かなコーヒーを入れてくれる、しばし歓談の休憩時間
30分ほど経って船が戻って来た、また同じ作業の繰り返し
船は3度目の漁に向かっていく

また30分ほどの休憩、そして3回目の作業途中で昼飯のラーメンが届く
昼食後15分ほどで作業開始
そして終了、拘束時間は8時間ほどだが、実質作業時間は6時間少々
カニをもらって帰宅すると14時過ぎ、かなり瞼が重くなる
だが家に帰ると性分なのか、カニをホオッテおけずカニゆで作業を始める
約1時間半カニゆでが続く、終了してから30分ほど休んで、今度はそのカニを友達などに配って歩く
妹宅から帰ってきたら、もう18時だ、それから夕食を食べて風呂に入って寝ようと思ったが、たまには仲間の女将の店に顔を出して寝酒でも飲んでくるか。

カニをお土産に暖簾をくぐる、今日は珍しく5席のカウンターの内、4席が埋まっていて、私の為か一席だけ空いていた
熱燗2合とメギスの塩焼き3匹食べて、小一時間で帰宅した
風呂に入って、寝ればいいものを倅が仕事から帰って来たのにつき合って21時半、それからまたブログを書き始めて22時半
さすがに寝ます、寝酒のはずが目覚ましの酒になってしまった。



高齢者の黄昏 70代は高齢者なのだろうか? とも思うが

2023年11月26日 06時22分49秒 | ライフスタイル
 おはようございます
今朝は4時に目が覚めて、昨夜寝たのが22時半だったので、さすがに足りず、もう1時間寝て5時に起きました。

最近は漁業業(ギョギョギョ~)に参加したので、世間の高齢者並みに早起きになりました
本当は寒さに向かって朝寝坊したいところですが、雪が降ろうが漁のある日は4時起きの5時出動になります。

この頃の生活ときたら、時間が足りないほど何かに熱中する日と、存在感が否定されているような脱力感だけの日の相対的な一日が交代で訪れます。
「しなければしなくても良い」という日々はとても楽なようでありながら、むなしくもあるのです。
春から秋にかけては畑仕事やスポーツ、ドライブなど活動できますが、北国雪国の冬は暗く冷たく、そして外出もままならぬ非生産的な季節
雪国の老人の自殺率が高いのもうなずけるのです。

それでも閉じこもり生活にも何か活路があるのではとあれこれ考えますと
小説を書くにはもってこいかと思いつきました
そうなると机に向かってではセントラルヒーターでもないのでコタツに入って暖を取りながら書くことに
しかし、それは睡魔の誘惑との戦いにもなります

うたたね。コタツでのうたたねと言うのはまことに気持ちが良い
昨日も大好きな相撲を見ながらうたた寝してしまい、数番見逃しました
でも今は見逃し配信で即スマホで見ることができるので助かります。
その相撲も今日が千秋楽
昨日は事実上の優勝決定戦、大関霧島と前頭熱海富士が11勝2敗同士で直接対決
霧島が勝ち、一歩リード
今日、霧島が負けて、熱海富士が勝った場合だけ今度は本当の優勝決定戦一発勝負になる、展開的にはその方が面白いが、霧島の優勝確率は90%かと思われる

私がくどく何度も書くように、琴ノ若は26歳、学生相撲が台頭する今の角界では若手に属する、来年夏前には大関昇進確実の大器だが相撲に隙がある
それでも二場所前からみれば精神的に落ち着きが出て慌てない、足腰もどっしりとして腰も低くなって構えもできて来た
これで筋肉量が増えて、脇が固くなり、足腰を軸にした豊昇龍並みの投げ技を覚えたら横綱も夢ではない。
あまり派手さが無い霧島は先般書いた通り、来年にはステルス的に横綱になるだろう、またしても日本勢はモンゴル勢の後塵を拝することになるだろう。
熱海富士はいよいよ強くなり楽しみだ。

また相撲記事に熱が入ってしまったので今日はここまで
明日はまた4時起きで港です。





いよいよ冬かな

2023年11月23日 08時44分03秒 | ライフスタイル
 数日前、高校時代の同級生チコちゃんが自作の洋菓子を届けてくれた。
老介ホームの調理師として長年勤務していて、パンやケーキ造りは友達の間でも「店をだせばいいのに」というほどの上手である。
老介ホームでは女房殿と数年間同僚だったこともあって知り合いである。


信州安曇野の親戚からは長野県名産のリンゴが送られてきた
さっそくお礼にチコちゃん宅へ届けた。
産直のものは匂いも味もやはり一味違う
リンゴを見るといよいよ冬が近い、大晦日が近いと感じる
県内の天気予報は所によって雪マークが見えて来た
スノータイヤへの履き替え、年賀状の書きはじめ、インフルエンザの予防、大掃除は苦手なので小掃除はじめ、お歳暮の準備
いろいろとせわしい師走がやってくる。
今日はこれから定例の信州ドライブに出かける、信州はいよいよ秋が深いことだろう。







年賀状廃止はSDGs?

2023年11月10日 12時45分38秒 | ライフスタイル
  そろそろ「年賀欠礼はがき」が届き始める季節になった
ところが年賀欠礼ならぬ「年賀状終い」の連絡が友達から相次いでいる
完全な「年賀なし」ではなく、ライングループにはラインで一斉に「あけおめ」で新年のあいさつをするということなのだ。
なるほど、もう若い世代は10年も前からやっていることが、ようやく高齢者世代にも浸透し始めたと言うことか

そんなハガキが今日届いた、以前つき合っていた企業からだった
「SDGs」を推し進める一環として「年賀状」での新年のご挨拶は辞めることとしました。   そういう手紙だった。

ISOというのが一時期流行?して、それは大会社の製品の安全性向上とか従業員の安全管理とかの基準かな? などと、とうとう理解しないうちにSDGs
というのが出て来た。
これもぼんくら頭にはなかなか理解できないが、社会環境の整備というか、自然および資源保護というのか、または社員の安全性とか労働環境の整備とか
そんなんじゃないかとまた悩むが
この企業が年賀状をやめるのは紙が原因らしい・・紙すなわちパルプ、木材、森林伐採、はげ山、災害と連想ゲームは進んでいくが・・・そういうことなのか?

ISO基準とSDGs基準の違いがわからないが、友達の年賀状廃止もペーパーレスを目的としたのなら、それはすでにSDGsに参加していると言うことだ。
私が現役の時も「食料品の無駄をなくす=食べ残しを皆無にする」というお達しがあり、一時「御社の宴会等の料理の廃棄量を種別に書いて提出せよ」というのがあったが、いつの間にか消えた。
たしか一定量以上の廃棄だと罰則があるとか言われて、結構業界から「Boo!」が出たような記憶が(曖昧)ある。

SDGsが資源保護目的ならば、原料が石油か石炭か知らないがチョコレートや梅干しが一個ずつ包装されている、あるいは柿の種みたいなのが5粒くらい入って個別包装されている、あれはすごい無駄ではないかと食べながら思う

鉢にザっと出して、それを大勢でつまみ合うのが不衛生というのが理由だろう
それもたしかに一理あって、衛生重視かSDGsか、これもまた頭を悩ませる

今までさんざんやって来た無駄や資源枯渇の応援が消費であり、消費は生産に必要で、生産ー販売ー消費ー生産のサイクルが渦巻き線香のように拡大していくのが世界経済であった。
今はそれを見直そうと言うことになったのだと思う
その反動が世界中で勃発しだした戦争か?
戦争は天文学的な破壊と人間消滅を伴う、破壊は必要を産み、生産が一気に必要となり、雇用もそこに生まれる、経済が回り、産業は巨大な富を築く
そこにはSDGsがあるのか? それとも究極のSDGsなのか

私もこれからはSDGsの片棒を担いで、年賀状はやめてラインでのあいさつにしようかな
車の運転も減らしてバスや電車で動くことにしよう、もう既に始めているからSDGs参画だ。

今年2個目の白菜収穫しました、素人でも形だけはうまくできた
これで白菜漬けを作っています、残るは4ケ