そろそろ「年賀欠礼はがき」が届き始める季節になった
ところが年賀欠礼ならぬ「年賀状終い」の連絡が友達から相次いでいる
完全な「年賀なし」ではなく、ライングループにはラインで一斉に「あけおめ」で新年のあいさつをするということなのだ。
なるほど、もう若い世代は10年も前からやっていることが、ようやく高齢者世代にも浸透し始めたと言うことか
そんなハガキが今日届いた、以前つき合っていた企業からだった
「SDGs」を推し進める一環として「年賀状」での新年のご挨拶は辞めることとしました。 そういう手紙だった。
ISOというのが一時期流行?して、それは大会社の製品の安全性向上とか従業員の安全管理とかの基準かな? などと、とうとう理解しないうちにSDGs
というのが出て来た。
これもぼんくら頭にはなかなか理解できないが、社会環境の整備というか、自然および資源保護というのか、または社員の安全性とか労働環境の整備とか
そんなんじゃないかとまた悩むが
この企業が年賀状をやめるのは紙が原因らしい・・紙すなわちパルプ、木材、森林伐採、はげ山、災害と連想ゲームは進んでいくが・・・そういうことなのか?
ISO基準とSDGs基準の違いがわからないが、友達の年賀状廃止もペーパーレスを目的としたのなら、それはすでにSDGsに参加していると言うことだ。
私が現役の時も「食料品の無駄をなくす=食べ残しを皆無にする」というお達しがあり、一時「御社の宴会等の料理の廃棄量を種別に書いて提出せよ」というのがあったが、いつの間にか消えた。
たしか一定量以上の廃棄だと罰則があるとか言われて、結構業界から「Boo!」が出たような記憶が(曖昧)ある。
SDGsが資源保護目的ならば、原料が石油か石炭か知らないがチョコレートや梅干しが一個ずつ包装されている、あるいは柿の種みたいなのが5粒くらい入って個別包装されている、あれはすごい無駄ではないかと食べながら思う
鉢にザっと出して、それを大勢でつまみ合うのが不衛生というのが理由だろう
それもたしかに一理あって、衛生重視かSDGsか、これもまた頭を悩ませる
今までさんざんやって来た無駄や資源枯渇の応援が消費であり、消費は生産に必要で、生産ー販売ー消費ー生産のサイクルが渦巻き線香のように拡大していくのが世界経済であった。
今はそれを見直そうと言うことになったのだと思う
その反動が世界中で勃発しだした戦争か?
戦争は天文学的な破壊と人間消滅を伴う、破壊は必要を産み、生産が一気に必要となり、雇用もそこに生まれる、経済が回り、産業は巨大な富を築く
そこにはSDGsがあるのか? それとも究極のSDGsなのか
私もこれからはSDGsの片棒を担いで、年賀状はやめてラインでのあいさつにしようかな
車の運転も減らしてバスや電車で動くことにしよう、もう既に始めているからSDGs参画だ。
今年2個目の白菜収穫しました、素人でも形だけはうまくできた
これで白菜漬けを作っています、残るは4ケ
