勘介は「われは試合を好まず、凡人の性として勝てば歓び、負ければ憤るものなり、これ古今の通例である、某、壮年の頃より諸国を歩き幾度も試合に勝ち、そのたびに門弟の仕返し、闇討ちに遭い、このような不具者となってしまった、某が勝ったのは相手の未熟によるもので、それを逆恨みされるのは道理に合わず、今日のことも同じで、そなたの未熟が原因で某に負けて逆恨みいたすようなら、このまま某を返したまえ、潔く試合をするというなら此処で誓詞を交わそうではないか、なればあえて試合にのぞまぬものではない
某が諸国を巡り試合を行ってきたのは、禄を求めて徘徊したわけではない、優れた君子に会って己の修業を成さんがためである」と言った
門人たちは口々に「勘介の申す事、もっともだ、試合はやめた方が良い」という者あれば、大多数は「口先はうまく申すが、その腹はここから逃げ出すための方便だ」と言いぜひ試合に及ばんと期待する。
松田は、もともと自分の業に傲り、人を人とも思わぬ性分、あえて試合を辞める気はなく「某決して後怨を抱くことはない、万一某が負けることあれば、御屋形に某より推挙いたすことを約束する」
勘介は、ここまでと知り身支度を整え、試合の用意を始めた。
この時、松田の門弟たちは「松田に勝たせませ」と神水を飲んでひたすら伺いいる。
門人は竹刀を執って双方に与えた、勘介が竹刀(槍)を見ると柄の長さは二間ばかり、先には鹿皮の牡丹を縛ってある
彼の左手は指二本しかなく、されども親指の間に槍の柄を挟み、稽古所の中央に進み出ると、元より小兵にてしかも不具者のため、とうてい勝てるようには誰一人思わず、一方松田は身の丈六尺の偉丈夫、年齢四十有余にして、勘介と比べれば凄まじいい迫力である。
互いに近づき、槍頭を合わせ双方早業をもって突きあう、いずれも屈伸自在の名手、少しも隙ありと見えぬ
互角の振る舞いに、門弟たちは手に汗握り、勘助の槍術が非凡であることを認めて、由無き試合を求めてしまったと固唾をのんで見守る
(以後、勘助と書く)
次第に勘助の槍術が遥かに勝っていることに気づいた、身をひるがえして突き入れた時、松田の面に突き当たり、松田は敷居にドゥと倒れた
一座の門人はこれを見て皆驚き、誰一人として声を出すものなく互いに顔を見合わせるばかりである
松田は三度まで挑んだが、いずれも勘助の勝ちであった
松田は潔く勘助の槍の上手を認め、大いに反省した、そして門人らとともに勘助に上座に座るよう勧めた。
「まことに只今の手練れ、某の遠く及ぶところではなかった、今まで数多の武芸者と対戦したが、今の今までこのように目を驚かしたことはただの一度もなかった、七郎左衛門、貴殿の妙手の前には予の妙技も稚技に等しいと感じ申した、この上は我が家に逗留いただき、数日の後には老臣どもに推挙し当家への取り持ちを仕る」
勘助は松田の性根の善人さに喜び、十日ほど逗留した
松田はしきりに太守氏康に推挙続けたので「しからば勘助を呼び出すべし」との許しが出た。
松田に続き城中の大広間にまかり出る。 謹んで一座を見渡せば正面の上段には相模守氏康の席があるが、未だ姿は見えず
左右には、松田尾張守、大道寺玄蕃允、そのほかの諸士毅然として着座し、その体ははなはだ厳重であるが
諸士、勘助が一眼で足は片方が短いのを見て、互いに目と目を見合わせて薄笑いを交わしている
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