今日のエンゼルス対レンジャース 履正社対仙台育英 どちらを見るかと聞かれれば、迷わず「大谷の打席以外は、甲子園を見る」と答える。
力の差が歴然の捨て試合同様のメジャーの試合より、ベスト16で戦うのは勿体ない緊張の甲子園のカードの方が見て楽しいに決まっている。
一球一球に目を離せない
履正社の森田くんの3試合連続ホームラン期待は、大谷選手の42号への期待同様だ。
今見ているが、2回に互いに下位打線のチーム初安打から2点ずつ取った
3回は仙台が予想外の1イニング3失策をしてしまい、これは大差か?と思ったが失点1で終わらせるところはやはり全国制覇の力だ。
今のところ3回で3対3のがっぷり四つの横綱相撲、ただ仙台の失策が4回にもあり気になるところだ。
このような試合はエラーと四球と一発が試合を決めるだろう
だがどちらも攻守に隙が無い、黙って見ているより仕方ないだろう。
無職業になって1年半が過ぎた
無職で当たり前の年齢なのだが、90歳まで肩書があった父と比べてしまう。
私は別の意味で、あと10数年、80歳過ぎまで働かざるを得ない状況に陥っていたが、思い切って「やめた」
このごろ、自分の生活に対する感じ方が少しずつ変わってきたことを実感している、それは即ち「無職業」に慣れたからだろう。
最初の半年は、ただただ必死に生きて来た 次の半年もやはり心にゆとりなど無かった。
そして三回目の半年になって、ようやく自分の為の人生の形づくりに取り掛かることが出来た。
今は4回目の半年が始まっている、新しい人生の楽しみ方にいろいろチャレンジしている。
詳しくは言えないが、本当は無謀なこともしているのだが最近は「ケセラセラ」が身につき始めている。
結構人生を考えてしまうタイプである
私の相互フォロワーさんの中には、私から見れば無謀と思えるような積極性に富んだ方々が多くみられる
私の周りにも、そんな人たちが時々いる、そんな人から見れば私のやっていることなど「ふふ~ん」かもしれない
私は人生を考えてしまうタイプであるが、幸いなことに考えが続かない
飽きっぽいのだ
だから、いつまでも悩み続けることも無い、忘れてしまうのだ
結構躁鬱が繰り返し来る人間でもある、ただ気持ちが躁鬱なだけで態度として現れることはない
人によっては、今まで良い人だったのに、あるきっかけで突然不機嫌になって周囲まで嫌な気分にさせてしまう人がいる
それも一日ならよいが、二週間も続く人がいる
ありがたいことに私には、そういう症状はない
躁の時は積極的に人と交わり、ドライブなどを楽しむ
鬱の時は、家の中でものを書いたり、調べ物をしたり、料理を作ったり、畑をやったりして過ごす
まあうまく生きているのだ、多かれ少なかれ誰にでも躁鬱はある。
人間は地位や名誉があるから幸せかと思えば、そうではないようだ
芸能人やスポーツマンが自殺することは珍しくない
あれほどもてはやされ、新聞やテレビ、週刊誌に顔が出てくるのに
収入だって、私の生涯分を一年で稼いでしまうのにだ
幸せと不幸は、外に現れるものと中に秘められているものの二つがある
私が知っていた会長さんは、快活な紳士で親が始めた町工場を近代的な企業に育て上げて、地元経済界の次の担い手でもあった。
ふつうなら若造のわたしなど近寄れる気がしなかったが、毎年行われていた、ある団体の研修旅行で5年ほど一緒させてもらい
食事などをごちそうになったこともあるが、地元言葉で気さくに話しかけてくれた。
若いころの、この会長の姿も覚えている
ある奉仕団体に属していて、私はその団体の昼食を任されていて毎週顔を合わせていたが
いつも会場に一番にやってきて、インテリジェンスだが可愛い事務員さんと話をするのが楽しそうだった。
ある時、お土産を彼女に渡していたが
「〇〇さん、昨日関西へ仕事に行ってきてね、これお土産」と女子が喜ぶようなレアなグッズだか菓子だか忘れたが渡していた
事務員も満面の笑みで「わあ、いいですね嬉しいです」などと言っていたが
「これはねぇ、京都駅の〇番ホームにしか売ってないんだよ、それで京都で下車して買って来たんだ」とお土産に箔をつけることも忘れない。
それが嫌味に聞こえないところに、この会長のかっこよさがある
それを見て、私も(女の子の口説き方を)勉強させてもらった
勉強会は東京の台場と決まっていたが、東京に着くと一人でアジアの某国大使館へ行く、そこで大使に会うのだと言う
聞くと、会長は某国の支援友好団体に入っていて、某国ではビップ待遇なのだと聞いた。
そんな会長も、景気が下を向くとあえなく自殺してしまった
人間の快活さなど、たちまち霧散してしまうことをその時知った
心の内など誰にもわからない、人は誰しも明と闇を持って生きているのだと思った。

高校野球は、昔から、プロの野球の試合よりも、興味があります。
そこには、純粋な精神と、ドラマがあり・・・、見出したら、ずっと見ています。
いつも、感動をいただいています。
履正社対仙台育英・・・、試合結果は、先程、ネットで知りました・・・。
この夏は、忙しくて、高校野球は、まだ、見ていませんが、
関西出身なので、応援するとしたら、履正社を応援していそうです・・・。
きっと最後まで、観客もドキドキの、良い試合だっただろうな〜と、感じました〜
私の父は、70歳代まで、仕事上、重要なポストについて、働いていましたが、90歳まで肩書きがあったお父様、そして、80歳代も、お仕事なさっていたyottin様・・・、すごいですね・・・。
ちょっと、記事の内容から、お話それますが、
人は、死を迎えたら、それが、人生の終止符となりますが、実は、その人生は、近しい人達の心の中で、息づいていたりするな〜と、ふと思う事があります。
今日も、知人とお話していて、父が、幸せな人生を送っていた事を思い出しました。
その生き方は、私にとっても、生きる見本になっていますし、今も、とても尊敬しています。
たいへん苦労も多い人生ではありましたが、苦労しながらも、幸せを見出していましたね・・・
人生、まだまだ、これから先も、1日1日を、大切に・・・、1日1度でも、小さな幸せ感じたり、にっこりできる瞬間を、大切にしながら、生きて行きたいです・・・♫
>人は誰しも明と闇を持って生きているのだと思った。
↑↑
記事を拝見しまして、色んな箇所に、響きましたが、この一文・・・、一番響きました〜♪
ティーガーデン
最初に私の文章力がまずくて誤解を招いたので、訂正させていただきます。
本文は既に訂正しましたが、80歳まで働いたのではなくて
何も行動しなければ80歳まで仕事を辞めることが出来ない・・・という意味でした
私が仕事を辞めたのは71歳で、今は73歳です。 ごめんなさい。
ビオラ様の記事を拝見するにつけ思うのは
うまく言えませんが優雅で、ゆったりとした時間が流れていく
そんなことを感じながら読ませていただいているのです。
毎日が慌ただしく、時間との分刻みの戦いだった私には、本当に憧れの暮らし
写真を拝見しているだけでも豊かな気持ちになるのです。
>その人生は、近しい人達の心の中で、息づいていたりするな〜と、ふと思う事があります。
まったくその通りで、私は時々、そんな人たちを思い出しては語り合ったりしています。
特に私の父の人生はすべて私の中にコピーしたので、妹や弟に父のエピソードの数々を話すのが、まるで父になった気分で楽しいのです。
私も72歳を過ぎて、人生の終点を感じるようになりました
どこまで行くかは「神のみぞ知る」ですが
たしかに今日の一歩一歩を大切に過ごしたいと思っています。
まだ現役の時、私の店の喫茶でもサイフォンコーヒーを提供していましたが、自分だけの時はインスタントで済ませていました
これから更に時間が出来たら、豆から挽いて良い香りを楽しみたいと思います。