神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

手紙のこと

2024年11月21日 15時30分35秒 | 昭和という時代
 急に寒さが増して、新潟市では初雪が観測されたとのこと
今朝は寒さのせいかどうか知らないが、4時15分に目が覚めてパッチリだ
もう眠れないから、ネコの世話をした、それから手紙を書いた。

 信州安曇野の親戚からいつもの通り、大きく新鮮なリンゴが送られてきた
いつもは電話でお礼を言うのだが、先方は高校の校長を務めた人だが、いつも互いにぎこちなく終わるので、今回は手紙を書いた、因みに先方様はいつも達筆の手紙で来る。

手紙を書いていると、あれこれ互いの亡父母との事まで思い出して、思ったより長い手紙になった
言葉は一瞬で消え去るが、文章はいつまでも残り、何度でも繰り返し読むことができる。

封をしたが、新しい切手の金額がわからずネットで調べる始末
自分の高齢化のせいか、相次ぐ値上げブームのせいかわからぬが・・

時代、私の若いころは何につけても手紙だった
新年は年賀状、夏は暑中見舞い状、誕生日にはバースディカード
そのほか文通が流行して、子供向けの雑誌には「文通コーナー」があって、全国の子供たちが「・・・が趣味です、同じ趣味の人と文通したい」などと書いて出す
中学生の時、私の同級生で友達のT(市の課長60歳で急逝)とR(フーテン40代で行方不明)が文通希望に投稿したら、手に余るほどの文通希望の手紙が届いた
いずれも、「ダメならお友達を紹介してください」ということで、私に二人からお鉢が回って来た
*この話は前にも書いた気がするが再掲

Rの方は東京の西日暮里からで(ああ、たいていは男子には女子から、女子には男子からが相場、思春期の始まりですからね)
親のどちらかが私の町の隣町出身だそうで、Tの方は岐阜県の平田町(現海津市)の人だった
Rの方は2年くらいで終わったが、Tの方は20代前半、社会人になっても続いていた
60歳になったら会いに行こうなんて思ったこともあったが、結局行かずに74歳になった(友達が名古屋に居るので、何度も名古屋は行ったのだが、岐阜も長良川温泉に何度か行っているが)
今さら会うことも無いが、輪中の町を一度は訪れてみたい
そんなに遠いわけではないのだから。

この歳になるとなんでも懐かしく感じる
二人からの手紙は今も本棚の引き出しのどこかにある、ラブレターではないから見られてもかまわないが、たぶん息子がゴミとして処分してくれるだろう
断捨離べたな私はいつまでも思い出の品を捨てることができない
困ったことだ。

今年もまた年賀状書きの季節になった
同級生たちの大部分から年賀状じまいの手紙が相次ぐこの頃
私も仕事関係の年賀状は数年前にやめた、友達の8割が年賀状終い
一時は200通以上の年賀状が来ていたが、友達の多くはLINEで一瞬で挨拶が終わる
それでも親戚やお世話になった方々には年賀状は欠かせない、それも年々減っていくから出せる限りは出そうと思う
今年は20通くらいかな。





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