朝9時に葬祭場へ弔問に行って今帰ってきた
コロナ以後、葬儀の形式は全く別のものになった、通夜も告別式も95%以上が家族葬、親族葬になり10名前後での葬儀、おとき(食事)である
コロナも一時は鎮まって政府もコロナを第5類への移行を宣言したので、風邪並みに扱われるようになった
しかし葬式の様子だけはコロナ全盛時と変わらず、家族葬が大部分のままだ
地方によって異なるのだろうが、わが地域ではコロナ前までは、告別式の前日は通夜式で、一般の知人の大部分が弔問に訪れて香典をあげて通夜の法要にも参加して焼香する
翌日は告別式の本葬で家族、親戚、特に親しかった友人や故人の生前の仕事関係での恩人や有力者も、ママ参列して行われる
火葬場へは家族親族のほかにも、友人らが行き、人数に制限はない(たいていは20名以下だが)
葬祭場から出棺した後、家族、親族のほか招かれたゲストは料理店に移動して
そこでおとき(食事)となる
酒も出て結構盛り上がる場合も少なくない
もっとも、これは火葬場の職員と料理店と喪主の間にスムーズに進行するための連携があって、火葬場でご遺体がお骨になった時点で料理店に連絡が来る
火葬場で火を入れた時点でも喪主に骨拾いのおおよその時間は知らせてあるが、早かったり、遅かったりする場合もある
火葬場から料理店に連絡が入るのは火を停止したころで、まだ高温になっているのですぐにお骨拾いはできない
すなわちお骨を覚ます間に、料理店では喪主に伝えて喪主がおとき終了の挨拶をするように促し、そのあとごはんとみそ汁を出して約30分ほどのお食事
ゲストを見送ってから家族、親族は骨拾いに行き、その後初七日の読経を行う場合が多い。
これがコロナ前の葬儀だったが、コロナ後は多くが省略されるようになった
コロナ後は通夜式も本葬の告別式も家族あるいはプラス親族だけで行う
親族でも出棺後はおときに参加せず、料理が入ったパックをもらって帰宅するから、家族だけで食事となる
一般の人は通夜または告別式が始まる30分くらい前までに香典を葬儀場にもっていき香典返しをいただいて、喪主に挨拶して故人の顔を見て別れを告げて帰る(焼香できる場合もある)
式には参列しないから。10分ほどで終わる。
なんともあっけないものだが、いまだにこの形式がコロナ前に戻らないのはまだコロナ安心できないからもあるが、この簡素な形式が今の喪主世代にあっているからだろう
われわれ昭和世代が送られる側になりつつある中で、息子世代は伝統形式や派手なパフォーマンス幅広い人付き合いをあまり好まない
家に友人以外を招くことも少なくなり、しんぜきづきあいも減少している現代
すべての人がそうではないが、こうしたコロナ以後の葬儀形式は願ったりなのだろうと思われる。
今日、私がお参りした方は95歳で亡くなられた
市の教育長、地域の区長、社会福祉法人の理事長、文化財の保護保全、登山にも詳しく、文芸文化にも精通し生涯を尽くされた文化人、スポーツ人である
穏やかな人で、常に冷静で誰にも平等に接し、社会的地位はあっても決して威張ることなどない人であった
私が若いころ、問題が多い息子のことで親身になって自らあちらこちらに足を運んで第三者を説得してくれたりしていただいた
本当に困っていたので、あの親切は生涯忘れることができない
父母の葬儀の時にも過分な香典をいただいて驚いたことがある
奥さまは私の幼稚園の時の保母さんで、私が一年目と二年目の間ごろ姓が変わって子供だからわけわからずに驚いた記憶があるが、あのときお二人は結婚されたのだった
今日、喪主の息子さんとお話しして「奥さんはどちらに?」と聞いたら、「母は認知症で施設にいるんです」とのことだった、年齢は91歳だそうだ
なんで我が家とある程度の親しさがあるのか考え直してみた
この奥さまの姉さんが20代のころ、夫が仕事中の事故で子供3人を残して亡くなった
家が近所だったので、魚屋をやっていた我が家に勤めて店員さんをやっていた
その後、自宅で下宿屋をやっていて、客の県職員と40代後半で再婚した
このブログでも1~2回書いたが、私が高校を卒業して新潟市に行ったとき、真っ先に尋ねるように言われて行ったのが、このおばさんの住むアパートだった
旦那さんも歓迎してくれて毎月一回以上は行っていた、酔っぱらうと泊めてもらうこともあった
預金通帳も印鑑も預けて親代わりをしてくれた。
そんな関係もあって、今日の故人夫婦も接してくれていたのだろう
奥さんは、何年か前までも私に会うと「よ〇〇〇ちゃん」と呼んでは「また言ってしまった、もう、よ〇〇〇ちゃんなんて失礼だよね」などと笑っていたものだった。
春よ来い
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます