僕が小学生だった時、学校の帰りはいつも一人だった
300メートルくらい続く古い木製の雁木の一直線を家に向けてずっと歩いた
きっと明治時代から続いている、いや江戸時代からかな
だってそこの町名は戦国時代の名残り(例えば古河の白壁町みたいな)が残っているのだから。
雁木は突然T字路にぶち当たって左右の選択
僕の家は右に曲がってまたT字路にぶつかってまた左に曲がって、すぐに右に曲がって、またT字路になって左に曲がって100m
これは城下町の名残り
なんだが・・・この最初の右に曲がったとたん八田さんの玄関先のブルドッグが、わめき出した
それはものすごい威圧感で思わず腰が引けて一歩(ポーン)と飛んで下がった
この頃はまだ昭和のど真ん中で、飼い犬も、野良犬も放し飼いで町の中を闊歩していた
首輪をしているのが飼い犬で、していないのは野良犬だからすぐにわかる
どちらの犬も溌剌(はつらつ)としていて貫禄さえ見える
そんな中で、八田さんのブルドッグは小柄で短足がに股なんだがよだれをいつも口の両脇からみっともない程に吹き出していて狂犬病みたいで怖いが、それはべつに病気ではなく、のこぎりのような歯が並ぶ隙間から溢れているのだ
さすがに、こんな危険そうな犬は鎖につながれて玄関先にいる
それが彼のストレスになって人を見ると吠えて、特に子供には威圧的になるのだった。
それに比べれば危険度が低い犬たちは自由で、我が家のコロも近所の小型犬エスを子分にしていつも町内を堂々と歩き回っていた。
こうした首輪犬は幸せであったが、首輪の無い野良犬は保健所の担当者が捕まえて殺処分されていた。
その点、野良猫は少しはマシで御目こぼしされていたのだろう
猫だって飼い猫も飼い犬同様に自由に外を遊びまわっていた
だから雌犬も雌猫も飼われていてもしょっちゅう妊娠していた
我が家のコロも三毛猫のミ―も一年に何度も子を産んだ
コロの子は多くは生まれて間もなく川に流された(と思う)
ミーは近所でも評判の美人で「山本富士子」というセカンドネームがあるほどで、猫の中でも超美人だったらしくモテモテ
一年に2~3回くらい子を産んだと思うし、母は、ミーが生涯に100匹子を産んだと口癖のように言っていた。
ミーは美人だったから、その子も(毎回5匹くらい産む)みんな美男美女で、すべてもらわれていったのだから、結構な数の子孫を残した天晴な猫なのである、わが町で今もその血脈は続いているかもしれない。
いまや犬も猫もなかなか子孫を残せない時代になった
御いぬ様も、御ねこ様も一歩も家から自由に出ることが出来ず、飼い主様に引かれて散歩するだけで自由恋愛は禁止された。
毛並みの良い犬猫は家の中で繁殖することができるが、多くは一世で終わってしまう
野良猫も捕まって保護猫になり去勢されるからこれまた子孫は残らない
これからは犬も猫もその数を減らしていくのかもしれないが、ブリーダーという有料犬猫を産ませて販売する職業もあるので、そこまで絶滅の危機はないだろう
ところが管理が悪いブリーダーによって多くの犬猫の受難も起っている
日本人が未来に向かってどんどん減っている、人間に飼われる犬猫だけが生き残れる今、日本人同様に減らざるを得ないのだろうか。
Sam Cooke - A change is gonna come - 1963
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