虎千代は七歳と言えども性質勇猛な童なので、少しも怖れることなく現場の細道に差し掛かると、足で草むらを探りようやく死骸の傍らに着いた
手を持って首を探り、乱れ髪をつかむとそれをひき掴んで館に向かって戻りだしたが、童の細腕では重くなり、父よりもらった脇差で草藪の木の弦を斬って、首に括りつけて引きづって府内の城まで持ち帰った。
それ以前に為景に命じられた士が戻って来たので、為景は「虎千代の様子はどうであった」と聞けば
顔色青ざめたこの者は「某は先回りして木陰に潜んでいましたが、若君は恐れる様子もなく暗闇の中に首を探って見つけ、ただ一人で戻ってまいりました
この時ぞと思い立ちふさがろうと思い、若君の姿を求めましたが暗闇で何も見えず、されども若君の御眼の中の光だけが闇の中に浮かび、その瞬間、今立ち塞がれば切り殺される恐怖を覚えて足が動かず、見送るしかありませんでした」
と舌を巻いて申せば
為景は(このような不敵な振る舞いの童であれば末恐ろき者である、永く城中に置けば長尾家の災いにもなるであろう)と思い、早々に虎千代を府中から追い出すべしと思うようになった。
為景は虎千代が兄、晴景に優れていることを嫌い、祖父長尾信濃守重景の菩提所林泉寺の天室和尚に送って僧にさせることにした。
虎千代は七歳で林泉寺に送られ、和尚の教えに従い一年を通して勉めに励み、文学にも目を通されていたが、天性武衛の道に心を寄せ、出家得度は世を避けたる者であると嫌い、たまたま兵事を語る者が在れば時さえ忘れて、その傍らから離れることなく真剣眼で聞き入るのであった。
仏門の説を聴く時は大いびきで寝ている、昼は林泉寺の周りの童を数十人集めて山林の竹木を切って弓、鉄砲、長刀、太刀として十四、五歳の子供を選んで大将として敵味方の陣を立てて、合戦の真似を成し兵器の得失を考えて長短を計り、虎千代が大将となる時は決して敗れることがなかった。
陣の備え、士卒の牽引と采配は全て的を得ていて隙が無い、それを見ていた軍功ある老士は「この児は只者ではあるまい、いずれ大功を成す器量がある」と和尚に言えば、天室和尚も「虎千代君を見るに、とても出家穏遁世などする人ではない、武士となって家を興す人でありましょう」と言って、ついには府内の城に戻したのであった。
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