こんにちは、楠井誠前国分寺市議と親交のあった石井伸之です。
8月19日の午後、田中国分寺市議より連絡が入りました。
何気無く携帯電話を耳に当てると田中市議より「大変残念なお知らせです。楠井誠さんが亡くなりました」とのこと。
つい先日まで中川雅治参議院議員の秘書として活躍される姿を見ていた私としては、悪い冗談としか思えません。
本日の告別式に参列するまで受け止めることは出来ませんでした。
楠井さんとは、私が国立市議会議員二期目の頃、小川友一衆議院議員、中川雅治参議院議員の秘書として活躍されている時に知り合いました。
日本の伝統文化や歴史観を大切にし、人を思いやることのできる優しい人柄は、どこでもすぐに人の輪の中心となっていたことを思い出します。
そして、地元国分寺へ戻り、平成23年の国分寺市議会議員選挙に立候補しました。
国立市議選と同じ統一地方選挙なので同時期に行われます。
今でも忘れもしません。
その選挙終盤戦に、国立駅北口で夕方演説をしようとしたところ、楠井候補が演説していました。(国立駅北口は多くの国分寺市民が利用されています)
私から「一緒に街頭演説をしよう」と、声を掛けました。
その際に、国立駅周辺まちづくりにおいて国分寺と国立の連係が必要であり、地元を熟知している楠井候補を国分寺市議会に押し上げて欲しい事、その優しい人柄と誰からも好かれる性格は国分寺の明るい未来に欠かせない人材であるということを訴えました。←その当時の事を記したブログに詳しく内容が書かれていますので、ご覧いただければ幸いです。
すると、逆に楠井候補からは、私の様々な実績を述べていただいたことを思い出します。
そして、見事に楠井さんは国分寺市議会議員選挙に初当選されました。
当選後は、新人議員ながらも物事の本質を鋭く突いた質問で国分寺市政発展に貢献されました。
また、国立駅周辺まちづくりの問題については、国立駅高架下に国分寺市が保有する床面積を国立市と合体させて、両市の市民が活用できるスペースの創出に向けて努力されております。
さらに、楠井さんも銀河英雄伝説の大ファンということから意気投合し、堕落した自由惑星同盟の民主政治と清潔な専制君主による銀河帝国専制政治の比較、両体制に組する地球教という宗教の関係など飲み会の席で盛り上がりました。
もう一つ忘れられない出来事は、日本会議でとある講演会を開催し、楠井議員が司会をされていました。
講演会に入り、一時間ほどすると一人の方が体調を悪くされます。
すると「石井さんに後の司会をお願いします」と、私への伝言を残して、救急車でその方を病院まで付き添われました。
速やかな病院での処置もあり、その方は無事回復されました。
司会として舞台のそでから、観客を見守り、異常事態が発生した瞬間、速やかに行動することの大切さを教えられました。
その後、体調の関係で、一期だけで国分寺市議を勇退され、中川雅治参議院議員秘書として務められていました。
4年間体調を整えて再び国分寺市政や他の舞台にチャレンジしてくれると思いましたが、8月19日未明、38歳7か月という若さで帰らぬ人となりました。
弔辞を読まれた田中議員も言われていましたが、本人が一番悔しいのではないでしょうか?
だからこそ、残された我々として出来ることは、楠井さんの言葉をしっかりと胸にしまい忘れないことだと思います。
楠井さん、どうか安らかにお休みください。
8月19日の午後、田中国分寺市議より連絡が入りました。
何気無く携帯電話を耳に当てると田中市議より「大変残念なお知らせです。楠井誠さんが亡くなりました」とのこと。
つい先日まで中川雅治参議院議員の秘書として活躍される姿を見ていた私としては、悪い冗談としか思えません。
本日の告別式に参列するまで受け止めることは出来ませんでした。
楠井さんとは、私が国立市議会議員二期目の頃、小川友一衆議院議員、中川雅治参議院議員の秘書として活躍されている時に知り合いました。
日本の伝統文化や歴史観を大切にし、人を思いやることのできる優しい人柄は、どこでもすぐに人の輪の中心となっていたことを思い出します。
そして、地元国分寺へ戻り、平成23年の国分寺市議会議員選挙に立候補しました。
国立市議選と同じ統一地方選挙なので同時期に行われます。
今でも忘れもしません。
その選挙終盤戦に、国立駅北口で夕方演説をしようとしたところ、楠井候補が演説していました。(国立駅北口は多くの国分寺市民が利用されています)
私から「一緒に街頭演説をしよう」と、声を掛けました。
その際に、国立駅周辺まちづくりにおいて国分寺と国立の連係が必要であり、地元を熟知している楠井候補を国分寺市議会に押し上げて欲しい事、その優しい人柄と誰からも好かれる性格は国分寺の明るい未来に欠かせない人材であるということを訴えました。←その当時の事を記したブログに詳しく内容が書かれていますので、ご覧いただければ幸いです。
すると、逆に楠井候補からは、私の様々な実績を述べていただいたことを思い出します。
そして、見事に楠井さんは国分寺市議会議員選挙に初当選されました。
当選後は、新人議員ながらも物事の本質を鋭く突いた質問で国分寺市政発展に貢献されました。
また、国立駅周辺まちづくりの問題については、国立駅高架下に国分寺市が保有する床面積を国立市と合体させて、両市の市民が活用できるスペースの創出に向けて努力されております。
さらに、楠井さんも銀河英雄伝説の大ファンということから意気投合し、堕落した自由惑星同盟の民主政治と清潔な専制君主による銀河帝国専制政治の比較、両体制に組する地球教という宗教の関係など飲み会の席で盛り上がりました。
もう一つ忘れられない出来事は、日本会議でとある講演会を開催し、楠井議員が司会をされていました。
講演会に入り、一時間ほどすると一人の方が体調を悪くされます。
すると「石井さんに後の司会をお願いします」と、私への伝言を残して、救急車でその方を病院まで付き添われました。
速やかな病院での処置もあり、その方は無事回復されました。
司会として舞台のそでから、観客を見守り、異常事態が発生した瞬間、速やかに行動することの大切さを教えられました。
その後、体調の関係で、一期だけで国分寺市議を勇退され、中川雅治参議院議員秘書として務められていました。
4年間体調を整えて再び国分寺市政や他の舞台にチャレンジしてくれると思いましたが、8月19日未明、38歳7か月という若さで帰らぬ人となりました。
弔辞を読まれた田中議員も言われていましたが、本人が一番悔しいのではないでしょうか?
だからこそ、残された我々として出来ることは、楠井さんの言葉をしっかりと胸にしまい忘れないことだと思います。
楠井さん、どうか安らかにお休みください。