おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
今朝のブログのテーマを何にしようかと「アクセス解析」を見ていたら、2017年5月7日付けブログ 共感のトレーニング:"あたかも~のように(as if)" のところにかなりの数の人が訪れてくれたいたことがわかって、「これにしよう」と決めたのが今日のテーマです。
【As if(あたかも~のように)】に最初に触れたのは1973年、メーカーの営業部から販売会社に出張を命じられてしばらくのことだったようです。
メーカーの営業部当時は「営業」といっても営業企画のようなもので、担当するのは三井物産の子会社の販売会社1つだけでした。
出向を命じられたときは部長に対して「自信がありません」と言いました。
この当時は今と違ってまだ内向的な部分がかなりあったことも起因していました。
すると上司は「君がメーカーで発揮した手腕をディストリビューター(総代理店)でより多くの人たちに発揮してほしい」と説得され、承知するしかありませんでした。
ルートセールスマンとしての配属先の営業1課の課長は、慶應義塾大学のラグビー部出身の、かなり体育会系の気質の人でした。
早稲田大学で聴講生もやっていたこともあった人で、私と共に課内の勉強会を組織したりして私のことをかなり買ってくれました。
そんな時に1冊の本に出合ったのです。
今は手元にありませんが、『私はどうして販売外交に成功したか』という、試合中に腕を折り、選手生命を絶たれた大リーガーのフランク・ベドガーが、トップセールスマンになるまでの半生を記録した本でした。
当時はやりのポジティブ・シンキングに類する本で、内容の大半は忘れしまいましたが、強く印象に残っている部分が1つあります。
「一流のセールスマンになりたければ、一流のセールスマンであるかのように行動せよ」という部分でした。
「自分が内向的で営業に向いていない」とか四の五の言わずに持つカバン、履く靴から語り方まで、一流のセールスマンであるかのように行動すべしという内容だったように記憶しています。
こんなことが功を奏して翌年にはチーフと言われる係長クラスに昇進し、翌々年にはセールス・マネジャーに抜擢されました。
外資系企業だったからということと、体育会系の気質の上司と信頼関係が構築できていたこと、さらにその上の東京支社長、私に出向を命じた本社の部長の推挙があったことのお陰でした。
その意味では『私はどうして販売外交に成功したか』で学んだ「一流のセールスマンになりたければ、一流のセールスマンであるかのように行動せよ」の言葉は当時も今も、ずっとずっと私を支える金言であり続けています。
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<お目休めコーナー> 7月の花(8)
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