おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日はランチと買い物にカミさんと出かける以外は家にいながら自分自身と周囲の生活シーンを観察し続けた1日でした。
タクロウからは子どもを風呂に入れている動画と写真が送られてきました。
気持ちよさそうなソラ君、パパにすべてを委ねて気持ちよさそうにしています。
動画にはそのことを喜んでいる夫婦の声も入っていて私たちを喜ばせてくれます。
10:00にはカミさんの従姉の子のマコちゃんー私たちにとって姪のような存在ー ソラ君より1年と1日早く生まれたアキト君を連れて弔問にやって来ました。
マコちゃんは看護師(現在は休職中)として働いていますが、高校生の頃にはヒューマン・ギルドでカウンセラー養成講座やSMILEリーダー養成講座も受講し、子育ては手慣れたものです。
アキト君が私の立てる音にや動きに反応するので、楽しんでいました。
午後は葬儀社の人が納棺士を連れてやってきました。
亡き義母は昨日までドライアイスを利かせた低温冷房していた部屋でベッドに寝ていたのに、納棺を終え化粧を施してもらうと、まったく別の存在に変わってしまったような感じになりました。
それまでは、生と死の中間のような存在だった義母がより「故人」に近づいていってしまったのです。
一昨日から昨日は、お寺との告別式の日程調整、葬儀社との打ち合わせ、お斎の会場予約その他、かなり雑事に追われていましたが、かなりの難題がすべて順調に行き、後は9月17日(日)の告別式を迎えるだけになりました。
たった1週間ほどのうちに身近な生と死の2つの出来事を体験した私は、事実と心象風景(認知)の微妙なコントラストを感じ続けています。
それは「コト」と「ヒト」と「人」の3つで表現できるかもしれません。
生と死の出来事(「コト」)が生と死とではまったく別の営みになるのです。
誕生したばかりの孫は「ヒト」として生まれ、名前を授かり、多くの出来事(「コト」)を通じて「人」になっていきます。
一方、往生した義母は「人」として死に、多くの出来事(「コト」)に対応する家族の中でこの世とあの世の中間に位置する「ヒト」のように感じられました。
もっと極端に書いてしまえば、板の間の棺の中の義母の存在が、何だか「モノ」に近づきつつあるように感じられたのです。
2日後に予定されている告別式、そして荼毘に付された後にどんな心象風景になるのか、私は喪の儀式の当事者であると共に物語の観察者であろうと思っています。
(クリックして勇気づけを)
<お目休めコーナー> 9月の花(14)