おはようございます。新宿区神楽坂で研修&カウンセリングの事業を営む ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨晩、風呂の中で河合 隼雄の『「人生学」ことはじめ』(講談社)を読み終えました。
この本は、アドラー心理学で言うところのライフ・タスクにマッチしていてかなり勉強になりました。
章立ては、次のとおりです。
第1章 家族 ― 人生の“味わい”は我が家から
第2章 人間関係 ― 付かず離れずの妙を知る
第3章 学校・教育 ― 過去よりも今、今よりも未来のために
第4章 仕事・自立・人生―泣いても笑っても人生は1回限り
第5章 恋愛・結婚 ― 恋は終わってからが正念場
第6章 宗教・死 ― 「死すべきもの」それが人間
第7章 心・自我・幸福 ― もう一度、立ち止まって考えよう
第6章の「宗教・死」のところにこんな記述がありました。
日本は無宗教の国などと言われているが、私はそうは思っていない。
日常生活のこまごまとしたことに宗教性と呼んでいいことが融合していたのが、これまでの日本人の生活である。
この文章から次のような話を思い出しました。
宗教学者の山折哲雄氏がNHKのテレビ講座でこんな話をしていたことがあります。
1人の僧侶に率いられた観光客がある国に入国しようとしたとき、宗教欄に「無し(none)」と書きました。
宗教を大事にするその国では、宗教を持たない集団はテロリストに違いないと判断し、一行の入国を認めない態度に出ました。
そのことで困った僧侶は、「この人たちは仏教の『無』を信じる人たちで、テロリストではない」と苦しい釈明をし、やっと入国を認められたのです。
日本人の多くは「あなたの宗教は?」と尋ねられると、「ありません」と答えます。
しかし、私から見ると、生活様式の多くは神道の影響を受けています。
七五三をはじめとして、初詣から結婚式まで神道の行事で行うことが多いです。
神道の面白いところは、キリスト教の聖書、仏教の経本のような教義がないこと、ブッダやイエスのような教祖がいないことです。
伊勢神宮のホームページを見ると、英語の“Japanese mythology and the supreme deity Amaterasu Omikami”(日本の神話と最高神、天照大神)の部分を読むと“god”(一神教の神のこと)が使われていないのです。
私の分類では、神に2つのタイプがあります。
(1)厳格な神(一神教の神、god)と(2)寛容な神(仏教や神道のような多神教の神、deity)。
日本人は、四季の移り変わり、時として襲ってくる自然の猛威と、そして寛容な神への無意識的な畏敬の念によって育まれてきたため、昨年の3・11の大地震、大津波、原発事故に際も、他国のような破壊的な行為が行われなかったことにも立派に神道の精神が生きていたとも言えるかもしれません。
こう考えてみると、日本人の生活のあらゆるところに神道の精神が生きていると捉えています。
河合氏が書いているようの言葉を借りれば、「宗教とは言い難い宗教」を信じているのが日本人なのかもしれません。
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