先の大雪で、大きな枝が折れてしまった「はなみずき」ですが、それでも、たくさんの花を付けてくれました
4月27日、「認知症監督責任」について、とても、やるせない気持ちになった事を、聞いて(見て)貰いました。
世の中って、こんなもの!という、悲しいような捨て鉢な気持ちにもなりました。
私、毎日、きちんと新聞を読んでいないと宣言(傲慢な態度でスミマセン)しているとおり、27日付新聞を、5月1日に目を通したのですね。
「社説」欄で、「認知症と鉄道事故」の見出しに、「みんなの目で守ろう」と掲載されていました。
やはり、世の中、「知識と良識」を備えた人がいるんですね、ほっとした思いです。
以下、4月27日付、毎日新聞社説より抜粋。
・・・男性の妻は当時85歳、自らも「要介護1」の認定も受けていた。
夜中に介護で何度も起きており、疲れてまどろんだ数分間に夫は外出したのだったが、裁判所は妻に360万円の支払いを命じた。
・・・家族にばかり介護負担を求められる時代ではない。みんなで認知症の人を見守る社会にしなくてはならない・・・一つの家に大家族で暮し、
親族や隣近所とも濃密な助け合いがあったころは認知症もあまりなかった。平均寿命が伸びるに連れて認知症は増え、厚生労働省研究班の
調査では推計462万人に上る。
・・・「安心して徘徊できる町」を目指す福岡県大牟田市では10年以上前から徘徊する人を市民が見守る模擬訓練を行っている。
・・・また、各地の自治体でも、認知症の人が行方不明になったとき、警察やタクシー会社、郵便局、町内会などに一斉に情報が流れる「徘徊
SOSネットワーク」の取り組が広がっている・・・社会全体でリスクを分かち合い、認知症の人を支えなければならない。(以上社説抜粋引用)
遅ればせながらこの記事を読んで、やはり、あの裁判の判決は、不当ではないものの、承服できないものだと思ったのは、私だけない事に
安心しました。
今日の母は、ハイテンション状態で、私の言うことなど、どこ吹く風、朝から歩き回っています。
「監督責任」のある私と言えば、一昨日は遊びと言えども、一日、家と会場を行ったり来たり、昨日は、骨折で入院している知人の、一週間分
溜まった洗濯物を片づけるため、2時間かけて病院に行き、2時間洗濯をして、再び2時間かけて帰宅しました。
そして、今日、朝一に、買い出し(殆ど母の食料)に出かけ、帰宅後、午前中1回、午後から2回、母の「追っかけ」をしています。
疲れで、やさしい言葉など掛けられません。
裁判官の方々(陪審員かな?)、一日でも良いですから、認知症の人と過ごしてみてください・・・と言いたい気持ちです。
追記:
判決の中で、原告(JR東海)に対し、利用客への監視が十分で、ホームのフェンス扉が施錠されていれば事故は防げた可能性を指摘した。
白い花は、気持ちが落ち着きます・・・しばし、眺めています