見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

修二会のお松明

2005-03-07 22:19:24 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東大寺二月堂・修二会

今年も修二会を見に行ってきた(3月5日)。はじめて来たのは学生の頃だから、もう20年以上もむかしになる。その後も、時にはひとりで、時には友人と連れ立って、5、6回は来ている。最後までお堂に残っていたこともあるし、途中で帰ったこともある。

 

 去年は最終日の3月14日に来たのだが、出遅れて、お松明に間に合わなかった。あとひといきで二月堂が見えてくるという石段の途中で、「どっ」という歓声が聞こえ、広場に着いたときは全て終わっていた。しかたがないので、帰る人波に混じって駅のほうに流れ、夕食を済ませたあと、10時過ぎにもう一度、二月堂に戻ってきた。熱心な参籠客で埋まった座敷の外に立って、いよいよクライマックスを迎える行法を拝観した。12~14日深夜の見ものは、なんといっても「韃靼(だったん)」であるが、この話はまた後日にゆずる。

 今年は、去年見逃したお松明の「リベンジ」に的を絞ることにした。と、決めていたのに、和歌山から大阪を経て、JR奈良駅に着いたのはもう6時過ぎ。慌てて駅前のホテルにチェックインし、なんとかお松明上堂(7時)の10分前に、二月堂の下にたどり着いた。むかしは、お水取り(12日)の日以外は、もう少しすいていたと思うのだが、すごい人出だった。

 この日、3月5日は、修二会を始めた実忠和尚の忌日に当たる。二月堂の向かいの開山堂には、開基・良弁上人の像と背中あわせに、実忠和尚の像が祀られているが、良弁忌の12月16日以外はひっそりと門を閉じているので、知る人は少ない。お松明に熱狂する見物客は皆、開山堂にお尻を向けたままだった。二月堂の方角を向いて安置された実忠の像は、暗い扉の奥から、彼らの背中ごしに今年のお松明を透かし見ているのだろうか。それとも?

 実忠は、修二会の最中に謎の失踪を遂げた(遺体は見つかっていない)ため、暗殺説も根強いが、昨年夏、「実忠和尚は今も平和を願いながら、彼が消えた須弥壇の下を走っている」という、ロマンチックなコンセプトのアートプロジェクトも行われている。

■東大寺アートプロジェクト「実忠の三つの不思議な花」(関連サイトはリンク切れ)
 http://event.japandesign.ne.jp/news/1229040705/

 お松明のあとは「酒肆春鹿」で一献。奈良の夜を楽しんで宿へ戻った。
コメント (1)
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