見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

忘れられた時間/冷戦文化論

2005-03-24 23:39:38 | 読んだもの(書籍)
○丸川哲史『冷戦文化論:忘れられた曖昧な戦争の現在性』双風舎 2005.3

 冷戦は「終わった」ことになっている。しかし、韓流ブームとその対極にある北朝鮮バッシング、「台湾は親日である」という無邪気な思い込みと中国脅威論は、結局、今なお日本人の歴史意識・世界認識に冷戦構造が抜きがたく残っていることの証ではないか、と著者は提起する。

 そのとおりだろう。台湾や韓国における1970年代以降の民主化運動は、冷戦構造の動揺と終結を背景に、自分たちでおとしまえをつけた感がある。それに比べて日本の場合は、冷戦の勃発によって政治的安定と経済発展という2つの恩恵を受けたことに眼を閉ざしてきた結果、「冷戦の終結」にも対応できていないように思う。

 正直なところ、私はこの時期の歴史がいちばんよく分からない。1945年の終戦から1949年までの戦後初期は、まだしも構図が単純である。1970年代以降の消費文化論はよく分かる。その間に挟まった「冷戦期」というのは、本当にお手上げである。

 お手上げの理由のひとつは、文化社会を理解するための材料(メディア)が、あまりにも今日と違うことにある。1970年代以降の文化論は、テレビ、アニメ、ネット、雑誌、広告など、今につながる文化事象に現れている。しかし、それ以前、冷戦期の人々の考え方は、小説や映画、それも今では忘れられたような作品を読み解かなければ理解できない。

 本書は、大岡昇平、清岡卓行、竹内好など、教科書どおりの「戦後」文化人にとどまらず、映画『人間の条件』『星のフラメンコ』『馬鹿が戦車(タンク)でやって来る』、映画の原作にもなった『肉体の門』『春婦伝』、在日二世作家・高史明による『夜がときの歩みを暗くするとき』、沖縄出身の池澤聡による『カクテル・パーティー』など、さまざまな大衆文芸作品を取り上げ、丹念に分析している。しかし、私はそれらをほとんど知らない。著者の説明をたよりに分析についていくことしかできない。情けないなあ。でもまあ、分からないことを分かった顔をしてもしかたないので、ゆるゆる行くしかないよなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする