○丸谷才一『綾とりで天の川』 文藝春秋社 2005.5.30
私は丸谷才一ファンである。学生時代から読み始めて、かれこれ20年のつきあいになる。主要な著作はひととおり読んでしまったので、今は新刊を待つことが愉しみになった。
まず書店の棚で、その洒落たタイトルと和田誠さんの表紙を賞味する。毎回、意味シンのような、ただの語呂合わせのようなタイトル(ふむ、今回はこう来たか!)には発句の趣きがあり、和田誠さんの表紙は、これを受ける付け句の味わいがある。さて買い求めて、中味はゆっくり時間をかけて楽しもうと思いながら、結局、一気に読んでしまう。
もともと趣味が合うからファンになったのだが、知らず知らずに丸谷さんから受けた影響も大きいかもしれない。たとえば文体。まだまだ及びもつかないが、丸谷さんのエッセイは、私にとって文体の規範である。平易な言葉で、読者の耳に語りかける書きぶりだが、意味の正確な、伝統にのっとった言葉遣いを良しとする。背広姿で平然と閑談するおじさんの如し(靴下を脱いだり、ワイシャツの袖をまくるような無作法はしない)。
新語、造語、自分でもよく分かっていないような難しい言葉、感情が先走るような大仰な表現は避ける。一方、(学校教育では必ず嫌われる)常体と敬体が混じることはあまり気にしない。ね、そうじゃないかしら。
文学においては伝統主義者である。もう少し丁寧に言うと、「伝統」が生み出す価値と、それを「革新」する意義を正しく理解している。
それから、「祝祭」が好き。
もうひとつ、雑学が好き(やっと本書の話である)。しかも、かなりブッキッシュな(本に拠った)雑学である。「雑学百科100」みたいな、断片的な雑学本の話ではない。一般書店では見たこともないような、その道の専門家が書いた研究書をタネ本に、いちばん美味しいところだけを、分かりやすく料理し、手際よくサーブしてくれる。このとき、味付けの役割をするのが、著者の幅広い読書経験と、見事な記憶力で、この本の話題からあの本の話題へ、思わぬ橋渡しが見られるところが、丸谷エッセイの真骨頂と言っていいだろう。
本書でいえば、『薔薇の名前』のウンベルト・エーコがイスラム原理主義とヨーロッパの対立について書いた新聞エッセイをまくらに、ベン・ロジャース『ビーフと自由』(邦訳はないみたい)に拠ってイギリス人と牛肉の関係を論じ、最後はロースト・ビーフは厚切りに限る、という持論を展開する。
アランの『定義集』を読んで、ヘーゲルが『歴史哲学講義』で下した「英雄」の定義を思い出し、『フロント・ページ』という、20世紀の欧米諸国の雑誌の表紙を集め論じた本を紹介して、「スターとは雑誌の表紙になる人である」という定義を下す。等々。
こんな要約では、本書の面白さを伝えようがないので、もう辞めておこう。巻末に置かれた「野球いろは歌留多」がとても楽しい。これぞ「祝祭」気分。
私は丸谷才一ファンである。学生時代から読み始めて、かれこれ20年のつきあいになる。主要な著作はひととおり読んでしまったので、今は新刊を待つことが愉しみになった。
まず書店の棚で、その洒落たタイトルと和田誠さんの表紙を賞味する。毎回、意味シンのような、ただの語呂合わせのようなタイトル(ふむ、今回はこう来たか!)には発句の趣きがあり、和田誠さんの表紙は、これを受ける付け句の味わいがある。さて買い求めて、中味はゆっくり時間をかけて楽しもうと思いながら、結局、一気に読んでしまう。
もともと趣味が合うからファンになったのだが、知らず知らずに丸谷さんから受けた影響も大きいかもしれない。たとえば文体。まだまだ及びもつかないが、丸谷さんのエッセイは、私にとって文体の規範である。平易な言葉で、読者の耳に語りかける書きぶりだが、意味の正確な、伝統にのっとった言葉遣いを良しとする。背広姿で平然と閑談するおじさんの如し(靴下を脱いだり、ワイシャツの袖をまくるような無作法はしない)。
新語、造語、自分でもよく分かっていないような難しい言葉、感情が先走るような大仰な表現は避ける。一方、(学校教育では必ず嫌われる)常体と敬体が混じることはあまり気にしない。ね、そうじゃないかしら。
文学においては伝統主義者である。もう少し丁寧に言うと、「伝統」が生み出す価値と、それを「革新」する意義を正しく理解している。
それから、「祝祭」が好き。
もうひとつ、雑学が好き(やっと本書の話である)。しかも、かなりブッキッシュな(本に拠った)雑学である。「雑学百科100」みたいな、断片的な雑学本の話ではない。一般書店では見たこともないような、その道の専門家が書いた研究書をタネ本に、いちばん美味しいところだけを、分かりやすく料理し、手際よくサーブしてくれる。このとき、味付けの役割をするのが、著者の幅広い読書経験と、見事な記憶力で、この本の話題からあの本の話題へ、思わぬ橋渡しが見られるところが、丸谷エッセイの真骨頂と言っていいだろう。
本書でいえば、『薔薇の名前』のウンベルト・エーコがイスラム原理主義とヨーロッパの対立について書いた新聞エッセイをまくらに、ベン・ロジャース『ビーフと自由』(邦訳はないみたい)に拠ってイギリス人と牛肉の関係を論じ、最後はロースト・ビーフは厚切りに限る、という持論を展開する。
アランの『定義集』を読んで、ヘーゲルが『歴史哲学講義』で下した「英雄」の定義を思い出し、『フロント・ページ』という、20世紀の欧米諸国の雑誌の表紙を集め論じた本を紹介して、「スターとは雑誌の表紙になる人である」という定義を下す。等々。
こんな要約では、本書の面白さを伝えようがないので、もう辞めておこう。巻末に置かれた「野球いろは歌留多」がとても楽しい。これぞ「祝祭」気分。