見もの・読みもの日記

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骨肉の確執/南朝全史

2005-06-16 23:06:49 | 読んだもの(書籍)
○森茂暁『南朝全史:大覚寺統から後南朝へ』(講談社選書メチエ) 講談社 2005.6

 今年の1月、久しぶりに吉野を訪ねた。蔵王堂の特別拝観が目的だったが、如意輪寺、後醍醐天皇陵など、南朝ゆかりの旧跡もまわった。それから4月は河内長野の観心寺(後村上天皇陵あり)と天野山金剛寺に行く機会があり、この半年、なんとなく南朝づいている。そこに、ちょうどいい新刊が出たので、南北朝の歴史を復習するつもりで読んでみた。

 吉野も河内長野も、奥深い緑に囲まれ、煩瑣な日常生活を忘れて、心洗われるような景勝地だった。しかし、南北朝の歴史は、骨肉の確執の繰り返しである。なんと形容すればいいだろう。特別に「血なまぐさい」わけではないが、権力を前にした人間の業の深さが、どの時代よりも際立っていて、本気で付き合い始めると、かなり精神的に消耗する歴史である。

 まず発端の後深草(持明院統)、亀山(大覚寺統)の対立は、時節柄、若貴兄弟を思い出してしまう。そのあと、大覚寺統は分裂して激しい内部抗争を繰り広げ、非主流派は、対立する持明院統に接触して存命をはかる。これがまた、自民党の派閥抗争そっくりである。権力闘争の間隙を突いて、勝利を収めたのが後醍醐天皇だが、彼は「一代の主」すなわち、暫定政権としか目されていなかった(ちょっと小泉総理みたいだ)。

 この皇位をめぐる争いに対して、調停役の武家政権が、なぜか「両統迭立」の原則を崩さないことが、いっそう話をややこしくしている。片方を是、他方を非とすれば、源氏と平家、あるいは豊臣と徳川のように、戦闘の末、一方の集団が決定的な勝利を収め、他方は消えてしまうはずなのだが、そうならない。見せかけの和睦、くすぶる怨恨、再び訪れる離反、のような、まさに今日的「日本システム」の歴史が延々と続く。

 ただ一人、このシステムに真っ向から異を唱えた後醍醐天皇は、必然的に、武家政権と衝突せざるを得なかった。彼は自分の息子(皇子)たちを最大限に利用し、おびただしい数の綸旨を発して、天皇親政の徹底を試みたが、結局、志半ばに倒れる。

 しかしながら、本書によれば、南朝の朝廷は、初めから敗北必至の脆弱な抵抗勢力だったわけではなく、多数の人材が集っており、内裏には朝儀のための施設も備わり、「新葉和歌集」の編纂など、文化事業も行われていたという。さらに、海を渡って九州を制圧した懐良親王(後醍醐天皇の皇子)は、明の洪武帝から「日本国王」として遇された。

 実にややこしいが、面白い時代でもある。登場人物が、勇猛果敢な悪党から文弱の貴族までバラエティに富んでいるし、舞台も東国から九州まで、さらに海外にも広がりを持つところが豪快である。大河ドラマで扱わないかなあ、と思うが、戦前の南朝偏重のしこりがあって難しいのかも知れない。あるいは、天皇家が万世一系でも何でもないことが喧伝されると困る人たちが今でもいるためかしら。
コメント (1)
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