○子安宣邦『「アジア」はどう語られてきたか:近代日本のオリエンタリズム』 藤原書店 2003.4
2000年から2003年にかけて、雑誌『環』に連載された論考「東洋について」に一部加筆したものである。
著者は、近代日本の歩みに1850年、1930年、1980年という3つの画期を措定する。1850年というのは、1840年の阿片戦争、1853年のペリー来航、1859年の日本の開港、1860年の英仏連合軍による北京攻撃、と続く事件を集約するもので、日本および東アジアが、欧米先進諸国の軍事的圧力によって、「世界秩序」に組み入れられた時期を象徴する。
次に1930年代は、1931年の満州事変に始まり、日本が「国際政治の主要プレーヤー」=「東亜および大東亜の地域リーダー」と自己を位置づけ、欧米中心の「世界秩序」の再編成を積極的に要求していく時代である。
そして1980年代から1990年代にかけて、冷戦構造の解体とグローバリゼーションに見る経済の流動化は、ようやく古い「世界秩序」に終わりが訪れたことを告げている。
著者は1945年を画期と呼ばない。それは画期であるべきだった。しかし、敗戦後の日本は、すぐさま西側「世界秩序」の有力メンバーに復活し、圧倒的な経済力を背景に、アジアに君臨する地域リーダーという、戦前そのままの認識図式を、暗黙裡に維持してきてしまった。(そう、「戦後処理責任」というのは、国家による賠償とか謝罪だけの問題でなくて、日本国民の「認識の転換」の問題であったはずなのだ。)
では、ようやく訪れた、古い「世界史=世界システム」の終わりに、我々は何を転換すべきなのか。著者は提言する。「われわれにとっての『世界史』の終わりとは、『国家』を歴史における行為の正当化の究極的な根拠としてきた時代の終わり」でなければならない、と。
以上は、著者の基本的な視座を語る「第I章」の要約である。その他の章は、福沢諭吉の『文明之概略』、新渡戸稲造の『武士道』、内藤湖南、廣松渉、そして『国民の歴史』に至るまで、具体的なテキストを厳しい視線で読んでいく。
日本人が(日本以外の)アジア諸国に向ける視線には、西洋人がアジアに向ける視線(オリエンタリズム)が内在化されていることは、しばしば語られてきた。私は、西洋におけるオリエンタリズムの形成にヘーゲル哲学が大きな影響を与えていることを、本書を読んで初めて知った。
それから、私などは全く無自覚に使っている「東アジア=東亜」という言葉の来歴も。この言葉が、帝国日本に利用された地政学的概念であることは、はっきり記憶しておかなければならない。しかしながら、同時に、中国・朝鮮・日本そしてベトナムという、中華文化圏と呼んでも差し支えない地域を「東アジア」と名指すことは、文化の多元性へ視野を開く可能性を含んでいる。
思想史家である著者が語る歴史は、ストイックであり過ぎるかもしれない。「国家」を行為の根拠にしないのなら、代わりに何を根拠とするのか、という疑問も残る。この点について、著者の答えは必ずしも明確でない。私自身は、この答えを「近代国家以前」の歴史の中に探りたいと思っているのだけど。
2000年から2003年にかけて、雑誌『環』に連載された論考「東洋について」に一部加筆したものである。
著者は、近代日本の歩みに1850年、1930年、1980年という3つの画期を措定する。1850年というのは、1840年の阿片戦争、1853年のペリー来航、1859年の日本の開港、1860年の英仏連合軍による北京攻撃、と続く事件を集約するもので、日本および東アジアが、欧米先進諸国の軍事的圧力によって、「世界秩序」に組み入れられた時期を象徴する。
次に1930年代は、1931年の満州事変に始まり、日本が「国際政治の主要プレーヤー」=「東亜および大東亜の地域リーダー」と自己を位置づけ、欧米中心の「世界秩序」の再編成を積極的に要求していく時代である。
そして1980年代から1990年代にかけて、冷戦構造の解体とグローバリゼーションに見る経済の流動化は、ようやく古い「世界秩序」に終わりが訪れたことを告げている。
著者は1945年を画期と呼ばない。それは画期であるべきだった。しかし、敗戦後の日本は、すぐさま西側「世界秩序」の有力メンバーに復活し、圧倒的な経済力を背景に、アジアに君臨する地域リーダーという、戦前そのままの認識図式を、暗黙裡に維持してきてしまった。(そう、「戦後処理責任」というのは、国家による賠償とか謝罪だけの問題でなくて、日本国民の「認識の転換」の問題であったはずなのだ。)
では、ようやく訪れた、古い「世界史=世界システム」の終わりに、我々は何を転換すべきなのか。著者は提言する。「われわれにとっての『世界史』の終わりとは、『国家』を歴史における行為の正当化の究極的な根拠としてきた時代の終わり」でなければならない、と。
以上は、著者の基本的な視座を語る「第I章」の要約である。その他の章は、福沢諭吉の『文明之概略』、新渡戸稲造の『武士道』、内藤湖南、廣松渉、そして『国民の歴史』に至るまで、具体的なテキストを厳しい視線で読んでいく。
日本人が(日本以外の)アジア諸国に向ける視線には、西洋人がアジアに向ける視線(オリエンタリズム)が内在化されていることは、しばしば語られてきた。私は、西洋におけるオリエンタリズムの形成にヘーゲル哲学が大きな影響を与えていることを、本書を読んで初めて知った。
それから、私などは全く無自覚に使っている「東アジア=東亜」という言葉の来歴も。この言葉が、帝国日本に利用された地政学的概念であることは、はっきり記憶しておかなければならない。しかしながら、同時に、中国・朝鮮・日本そしてベトナムという、中華文化圏と呼んでも差し支えない地域を「東アジア」と名指すことは、文化の多元性へ視野を開く可能性を含んでいる。
思想史家である著者が語る歴史は、ストイックであり過ぎるかもしれない。「国家」を行為の根拠にしないのなら、代わりに何を根拠とするのか、という疑問も残る。この点について、著者の答えは必ずしも明確でない。私自身は、この答えを「近代国家以前」の歴史の中に探りたいと思っているのだけど。