見もの・読みもの日記

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同胞でなく友人と共に/日本・映像・米国(酒井直樹)

2007-10-25 23:48:26 | 読んだもの(書籍)
○酒井直樹『日本/映像/米国:共感の共同体と帝国的国民主義』 青土社 2007.7

 本書の主張は、最終章「まとめに代えて」を参照するのが分かりやすい。日本の戦後処理問題、とりわけ従軍慰安婦問題について、誠実な対応とは如何なるものかを著者は示している。戦後生まれの「日本人」は、日本軍による戦争犯罪に関して、直接の刑事的責任を負うものではない。しかし、我々「日本人」は、中国人や韓国人からの「問いかけ(責め)」に「応答」する義務を負っている。――ここまでは、高橋哲哉さんの「戦後責任」の論じ方と似ている。

 が、著者の主張は、より厳しい。「ポスト・コロニアル」という用語を論じて言う。「ポスト」とは、単に時間的先後を意味するのではなくて、「後の祭り」の「後」である。「日本人」に生まれた我々が、応答の義務を引き受けなければならないのは「歴史の刻印」であり、逃れようのない事態なのだ、と。

 そして、戦争犯罪に関する真に責任ある応答とは、犯罪者を日本国民の中から「はっきりと、突き出す」ことであり、戦争犯罪を告発する人々に対して「私は、同胞ではなく、友人であるあなたがたとこれから永く共に生きることを選ぶ」と示すことだという。”日本人の国民主体を立ち上げなければ戦後責任を果たすことができない”という議論の生ぬるさを著者は糾弾し、むしろ「日本人の国民的統合を尊重している限り、人は、歴史の責任を果たすことはできない」と厳しく反論する。

 うわー過激だなあ...と思って、私はちょっと背筋を冷やした。私は、前の首相のように、お手軽な歴史認識を基に、国民的同一性をありがたがる論調は大嫌いだ。いつかは、著者の主張のように「国民的同一性によって限定された社会関係から、国民的同一性とは違った主体的立場によって限定された関係へ」世界が移行することを願っている。また、本書がこの結論に至るまでに用意した『慕情』『ディア・ハンター』『ビルマの竪琴』などの映像作品の分析にも深く共感した。植民地支配者の傲慢な欲望、「支配者の欲望を盗み取る」被支配者の卑しい媚態。それらは、植民地支配というものを憎悪し、恥じ入るに十分な根拠である。

 しかし、にもかかわらず、日本人としての国民的統合を敢えて棄てよ、という呼びかけを、本気で考えれば考えるほど、私はたじろいだ。いやー私は当面、そんなに強い主体にはなれないよ。それは、酒井さんが、アメリカの大学で研究者として認められるような特別な人だから言えるんじゃないの? 本書は、知的読みものとしては十分刺激的である。しかし、戦争犯罪、従軍慰安婦の問題に関しては、思考モデルではなくて、普通の日本人が受け入れられる「責任の取り方」を示していく必要があるのではないかと思われた。
コメント
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