○泉屋博古館(京都) 平成19年度秋季展『住友コレクション 文人の世界~中国書画と文房具~』
http://www.sen-oku.or.jp/kyoto/
中国の書画に惹かれて訪ねてみたのだが、片面の壁に並んだ軸物には、あまり面白いものがなかった。あれー期待外れかな?と思って、テンションが上がらないまま、ホール内をまわった。ちょっといいと思ったのは、清の八大山人の『酔翁吟』という書。禿筆を用いた肥痩の少ない書体で、サインペンで書いたような大らかな味わいがある。
続いて視界に飛び込んできたのは、色紙を綴じたような、正方形に近い画帖。広い余白の中央に、蕪形の花瓶と、花一輪。どう説明したらいいだろう。極限までデザイン化された形態は、児戯と天才の紙一重。中国の書画というより、光悦や宗達や若冲に近い。『安晩冊(瓶花図)』(八大山人筆、1694=康煕33年)というキャプションが添えられていた。さきほどの『酔翁吟』と同じ作者である。これはすごい。あんまり面白かったので、帰りに受付で収蔵品カタログを眺めたら、画帖に収められたほかの作品もすごいということが分かった。
さっき、ネットで調べてみたら、松岡正剛さんの「千夜千冊」サイトに、『安晩冊』(あんばんさつ=安晩帖)は、「これを見ないでは京都にいる甲斐がない」と紹介されていることが分かった。それを聞いた白洲正子さんが「けだし名言」と応じた由。興味を持った方は、ぜひ自分の目で確かめていただきたい(→写真多数)。いやーこの展覧会、見に来てよかった。
そのほかは、墨・筆・硯など。先月、旅行したばかりの中国・安徽省(文房四宝のふるさと)を思い出すような品々である。珍しかったのは、明代の鍍金魁星像。「魁星」は文運を司る星の神様で、鬼のような姿をしている。日本・中国の古い書籍の冒頭には、これをデザインされた朱印が押されていることが多いが、立体像は初めて見た。それから、木の枝に瓢箪を結んだものは、これが文房具?とフシギに思ったが、よく見ると先端がY字形になっている。軸物を掛けるときに使う道具だそうだ。
印鑑と印材もたくさんあった。最も印象的だったのは、田黄というキャラメル色の印材2点と、濃緑の翡翠印材1点のセット。黄楊(つげ)のお盆(印材台)に載っている。田黄には獅子形の紐(ちゅう:もちて)が付いているが、印はまだ刻まれていない。翡翠は完全に無刻の直方体である。あまりに完璧な美しさに物怖じして、誰も印を刻むことができなかったのだろう。無機物とは思えないみずみずしさ。口に含んだら、甘味が溶け出るのではないかと思われた。福建省の寿山で産する田黄は「印材の王」とも呼ばれるそうである。また、浙江省の青田石の一種、燈火凍石の印材も美しかった。「凍れる燈火」の名にふさわしい透明度である。オレンジゼリーのようにも見える。
これまで中国に旅行するたびに、さまざまな印材を見てきたが、魅力を感じたことは一度も無かった。生まれて初めて「石って美しい!」ということに気づいてしまった次第である。どうしよう。齢四十を過ぎて、書に目覚め、陶磁器に目覚め、とうとう石に目覚めてしまったかも知れない。帰りに泉屋博古館の収蔵カタログ『印材』を買ってしまった。いま、新たな「美」の世界を勉強中である。
このあと、細見美術館で琳派展X『神坂雪佳-京琳派ルネサンス-』を見て1日を終了(記事省略)。
http://www.sen-oku.or.jp/kyoto/
中国の書画に惹かれて訪ねてみたのだが、片面の壁に並んだ軸物には、あまり面白いものがなかった。あれー期待外れかな?と思って、テンションが上がらないまま、ホール内をまわった。ちょっといいと思ったのは、清の八大山人の『酔翁吟』という書。禿筆を用いた肥痩の少ない書体で、サインペンで書いたような大らかな味わいがある。
続いて視界に飛び込んできたのは、色紙を綴じたような、正方形に近い画帖。広い余白の中央に、蕪形の花瓶と、花一輪。どう説明したらいいだろう。極限までデザイン化された形態は、児戯と天才の紙一重。中国の書画というより、光悦や宗達や若冲に近い。『安晩冊(瓶花図)』(八大山人筆、1694=康煕33年)というキャプションが添えられていた。さきほどの『酔翁吟』と同じ作者である。これはすごい。あんまり面白かったので、帰りに受付で収蔵品カタログを眺めたら、画帖に収められたほかの作品もすごいということが分かった。
さっき、ネットで調べてみたら、松岡正剛さんの「千夜千冊」サイトに、『安晩冊』(あんばんさつ=安晩帖)は、「これを見ないでは京都にいる甲斐がない」と紹介されていることが分かった。それを聞いた白洲正子さんが「けだし名言」と応じた由。興味を持った方は、ぜひ自分の目で確かめていただきたい(→写真多数)。いやーこの展覧会、見に来てよかった。
そのほかは、墨・筆・硯など。先月、旅行したばかりの中国・安徽省(文房四宝のふるさと)を思い出すような品々である。珍しかったのは、明代の鍍金魁星像。「魁星」は文運を司る星の神様で、鬼のような姿をしている。日本・中国の古い書籍の冒頭には、これをデザインされた朱印が押されていることが多いが、立体像は初めて見た。それから、木の枝に瓢箪を結んだものは、これが文房具?とフシギに思ったが、よく見ると先端がY字形になっている。軸物を掛けるときに使う道具だそうだ。
印鑑と印材もたくさんあった。最も印象的だったのは、田黄というキャラメル色の印材2点と、濃緑の翡翠印材1点のセット。黄楊(つげ)のお盆(印材台)に載っている。田黄には獅子形の紐(ちゅう:もちて)が付いているが、印はまだ刻まれていない。翡翠は完全に無刻の直方体である。あまりに完璧な美しさに物怖じして、誰も印を刻むことができなかったのだろう。無機物とは思えないみずみずしさ。口に含んだら、甘味が溶け出るのではないかと思われた。福建省の寿山で産する田黄は「印材の王」とも呼ばれるそうである。また、浙江省の青田石の一種、燈火凍石の印材も美しかった。「凍れる燈火」の名にふさわしい透明度である。オレンジゼリーのようにも見える。
これまで中国に旅行するたびに、さまざまな印材を見てきたが、魅力を感じたことは一度も無かった。生まれて初めて「石って美しい!」ということに気づいてしまった次第である。どうしよう。齢四十を過ぎて、書に目覚め、陶磁器に目覚め、とうとう石に目覚めてしまったかも知れない。帰りに泉屋博古館の収蔵カタログ『印材』を買ってしまった。いま、新たな「美」の世界を勉強中である。
このあと、細見美術館で琳派展X『神坂雪佳-京琳派ルネサンス-』を見て1日を終了(記事省略)。