○和田敦彦『書物の日米関係:リテラシー史に向けて』 新曜社 2007.8
知らない人は知らないだろうが、アメリカの一部の図書館には、びっくりするほど豊富な日本語コレクションが所蔵されている。議会図書館の115万点を別格に、10万点以上の日本語図書を有する大学図書館が14ヶ所。アメリカ人が、そんなに日本語文献を必要としているとは思えないのに、不思議なものだ。
本書は、アメリカに現存する日本語図書のコレクションが、いつ、どのように形成されてきたかを歴史的に検証したものである。大学ごとの沿革史を基本としながら、書物を取り巻く「全体状況」の歴史を、繰り返し参照する形式になっている。実際、日本語図書のコレクションは、しばしばA大学からB大学へと移動しているし、それにかかわる人々(大学教員、ライブラリアン、書店主、政府関係者、軍関係者など)も、組織を超えて移動し、連携し、影響を与え合っていることが多い。
最もスリリングな一段は、第二次世界大戦中、米海軍に設けられた日本語学校のエピソードだろう。1941年10月(つまり、真珠湾攻撃の直前)、海軍は高度な日本語能力を有する「言語士官」を養成するための教育プログラムを、ハーバード大学とカリフォルニア大学バークレー校で開始する(のち、コロラド大学へ移設)。対象者は全米から集められた英才たち。最初の2週間を過ぎると教室での英語は一切禁止。半年後には菊池寛の「父帰る」全文を読み、草書体の読み書きを習う。1年後には文語体の読み書きが加わる。14ヶ月終了後には、容易に新聞を読み、流暢に日本語を交わし、日本語のラジオ放送を理解することが求められた。
興味深いのは、このような日本語漬けの結果、彼らは必然的に「言語に宿る価値観」を身体化してしまったことだ。平たく言えば、日本人に対する奇妙な共感を抱くようになったのである。戦後に活躍する日本研究者、ドナルド・キーン、サイデンステッカー、ド・バリーらは、いずれもこの海軍日本語学校出身者である。
戦後は、占領地日本の統治スタッフを養成するため、ミシガン大学に民政官養成学校(CATS)が設けられた(のち、イエール、ハーバード等にも拡大)。各大学には、こうした軍関係の日本語教育プログラムに関連する蔵書や文書が今も残されている。また、これらの教育プログラムで育った人々が、のちに日本語図書の収集に果たした役割も大きい。
私は、アメリカの大学と軍の関係が、こんなにダイレクトであるとは思っていなかったので、ちょっとびっくりした。そして、その痕跡が、世間の動きとは没交渉のように見える図書館の蔵書に残っているということにも。むろん、このこと(国家戦略と図書館の蔵書の相関関係)は「日米」に限ったものではない。アメリカのかつての朝鮮半島政策、現在の中東政策にも、同様のことが言える。
戦後のアメリカには、大量の日本語図書が流入した。この時期の面白いエピソードに、米議会図書館の「日本語図書整理計画」がある。議会図書館の日本語図書の整理を手伝うべく、各大学から集められたスタッフは、郵便袋から取り出した図書を既存の目録と照らし合わせる。新出の図書であれば、その目録情報を作成しなければならない。しかし、既存の蔵書と重複すると分かったときは、その図書を大学のために「貰う」ことができる。また、A大学が目録を作成した図書の重複をB大学が発見したときは、その図書を「貰う」権利はA大学が有する。当時は、日本語図書の需要の高まりに対して、質のいいコレクションを入手する方法が限られていたので、各大学のライブラリアンは、競って仕事に励んだという。
本書は、このほかにも各大学の日本語コレクションが持つ、興味深い「歴史の烙印」を紹介している。去年、アメリカの大学図書館を見学に行く前に読んでおきたかった。まあ、今後もそういう機会があるだろうと思うので、座右の1冊にしておきたい。
知らない人は知らないだろうが、アメリカの一部の図書館には、びっくりするほど豊富な日本語コレクションが所蔵されている。議会図書館の115万点を別格に、10万点以上の日本語図書を有する大学図書館が14ヶ所。アメリカ人が、そんなに日本語文献を必要としているとは思えないのに、不思議なものだ。
本書は、アメリカに現存する日本語図書のコレクションが、いつ、どのように形成されてきたかを歴史的に検証したものである。大学ごとの沿革史を基本としながら、書物を取り巻く「全体状況」の歴史を、繰り返し参照する形式になっている。実際、日本語図書のコレクションは、しばしばA大学からB大学へと移動しているし、それにかかわる人々(大学教員、ライブラリアン、書店主、政府関係者、軍関係者など)も、組織を超えて移動し、連携し、影響を与え合っていることが多い。
最もスリリングな一段は、第二次世界大戦中、米海軍に設けられた日本語学校のエピソードだろう。1941年10月(つまり、真珠湾攻撃の直前)、海軍は高度な日本語能力を有する「言語士官」を養成するための教育プログラムを、ハーバード大学とカリフォルニア大学バークレー校で開始する(のち、コロラド大学へ移設)。対象者は全米から集められた英才たち。最初の2週間を過ぎると教室での英語は一切禁止。半年後には菊池寛の「父帰る」全文を読み、草書体の読み書きを習う。1年後には文語体の読み書きが加わる。14ヶ月終了後には、容易に新聞を読み、流暢に日本語を交わし、日本語のラジオ放送を理解することが求められた。
興味深いのは、このような日本語漬けの結果、彼らは必然的に「言語に宿る価値観」を身体化してしまったことだ。平たく言えば、日本人に対する奇妙な共感を抱くようになったのである。戦後に活躍する日本研究者、ドナルド・キーン、サイデンステッカー、ド・バリーらは、いずれもこの海軍日本語学校出身者である。
戦後は、占領地日本の統治スタッフを養成するため、ミシガン大学に民政官養成学校(CATS)が設けられた(のち、イエール、ハーバード等にも拡大)。各大学には、こうした軍関係の日本語教育プログラムに関連する蔵書や文書が今も残されている。また、これらの教育プログラムで育った人々が、のちに日本語図書の収集に果たした役割も大きい。
私は、アメリカの大学と軍の関係が、こんなにダイレクトであるとは思っていなかったので、ちょっとびっくりした。そして、その痕跡が、世間の動きとは没交渉のように見える図書館の蔵書に残っているということにも。むろん、このこと(国家戦略と図書館の蔵書の相関関係)は「日米」に限ったものではない。アメリカのかつての朝鮮半島政策、現在の中東政策にも、同様のことが言える。
戦後のアメリカには、大量の日本語図書が流入した。この時期の面白いエピソードに、米議会図書館の「日本語図書整理計画」がある。議会図書館の日本語図書の整理を手伝うべく、各大学から集められたスタッフは、郵便袋から取り出した図書を既存の目録と照らし合わせる。新出の図書であれば、その目録情報を作成しなければならない。しかし、既存の蔵書と重複すると分かったときは、その図書を大学のために「貰う」ことができる。また、A大学が目録を作成した図書の重複をB大学が発見したときは、その図書を「貰う」権利はA大学が有する。当時は、日本語図書の需要の高まりに対して、質のいいコレクションを入手する方法が限られていたので、各大学のライブラリアンは、競って仕事に励んだという。
本書は、このほかにも各大学の日本語コレクションが持つ、興味深い「歴史の烙印」を紹介している。去年、アメリカの大学図書館を見学に行く前に読んでおきたかった。まあ、今後もそういう機会があるだろうと思うので、座右の1冊にしておきたい。