見もの・読みもの日記

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三味線は近世の音色/うたのほん(天理ギャラリー)

2009-06-02 00:11:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
天理ギャラリー 第137回展『うたのほん-箏・三味線音楽を中心に-』(2009年5月17日~6月14日)

 この時期、東京・神田にある天理ギャラリーには、前年の秋に天理図書館で行われた展覧会(の一部)が巡回してくる、と知ったのは最近である。天理図書館の展覧会は、古書好きにはいつも垂涎の企画なのだが、関東からは行きにくいので、巡回展は本当にありがたい。本展は、2008年秋に天理図書館で行われた開館78周年記念展で、同館が所蔵する近世期の歌謡資料の中から、地歌・箏曲、義太夫節、歌舞伎音楽など、箏(こと)・三味線音楽関係書を中心に展示している。

 「永禄年間といわれる三味線の渡来によって、日本音楽の近世が始まる」というパネルの説明に、なるほど~と思った。永禄年間は1558~70年。Wikiによれば、豊臣秀吉が淀殿のために作らせた三味線「淀」が現存するという。へえ、TVドラマでも見てみたいものだ。風俗画や祭礼図屏風など、安土桃山~江戸初期の絵画資料を見る時も、この年代を忘れないでおこう。

 寛文4年(1664)刊行の『糸竹初心集』は、近世邦楽最古の公刊楽譜である。上中下巻それぞれが、一節切(ひとよぎり)、箏、三味線の3種の楽器の楽譜になっている。箏と三味線の巻が開いていたが、描かれている演奏者はいずれも男性。僧形の男性(盲人?)が、ちょんまげの男性に教えている。三味線が妙にデカく感じられるのは、絵が稚拙なのか、実際に今より大型だったのか。箏を、片膝立てた姿勢で演奏しているのも興味深い。箏の楽譜には「三テン四テン六テン…」という文字が並ぶが、これで演奏できるのかしら。かと思えば、安永8年(1779)序刊『箏曲大意抄』の楽譜には、大小の○◎が並び、天文図か星取表みたいだった。

 歌舞伎・浄瑠璃には「正本(しょうほん)」というものがあって、詞章に誤りがないことを太夫みずから保証したものをいう。刊本『烏帽子折』の巻末の丁がパネルで掲げてあり、「右之本令今覧頌句音節墨譜等残毫厘令加筆候可有開版也/竹本筑後掾」とあり、竹本筑後掾(=義太夫)の壺印と朱印が押してある。続けて「重而予以著述之本令校合候畢全可為正本者歟/近松門左衛門」とあり、「正本」の意味がよく分かった。しかし、邦楽の用語は門外漢には難しい。うーんと、「唄本(しょうほん)」とは違うんだっけ?

 浄瑠璃の興盛に関連して、貞享2年(1685)、京都から進出してきた宇治加賀掾を、大阪道頓堀に一座を構える竹本義太夫が迎え撃ち、人気を競った逸話を知った。映画『花の生涯-梅蘭芳』みたいだ。いつの時代も演劇人は熱い。近世初期、上方文化の洗練に対して、江戸はまだ野蛮だった。江戸で好まれた金平浄瑠璃の正本「金平本」は、単純で分かりやすいマンガちっくな絵入り本で、「うたのほん」というよりも、読みものとして子供から大人まで読まれた、というのも納得。

 なお、展示品には、幕末明治の外交官アーネスト・サトウの蔵書印(英国 薩道蔵書)や日本学者バシル・ホール・チェンバレンの蔵書印(英 王堂蔵書)が押されたものもある。なぜ王堂?と思ったら「basil=王、hall=堂」から名付けたそうだ。いつも静かな展示室には、隅に置いたCDラジカセから音曲が流れていて楽しかった。

■参考:『素人控え操り浄瑠璃史』「竹本座」の櫓揚げ(※個人サイト)
http://homepage2.nifty.com/hay/rekisi09.html

■参考:箱根・宮の下温泉(※チェンバレンの王堂文庫跡地あり)
http://www.hakone.or.jp/japan/17yu/area_mnos.html
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