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見もの・読みもの日記

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談合でつくる平和/差別と日本人(野中広務、辛淑玉)

2009-06-17 22:01:48 | 読んだもの(書籍)
○野中広務、辛淑玉『差別と日本人』(角川Oneテーマ21) 角川書店 2009.6

 政治にも政治家にも興味のなかった私が、魚住昭氏の『野中広務:差別と権力』(講談社、2004)を読んでみようと思ったのは、たまたま朝日新聞で短い書評を目にしたためである。そのことは以前の記事に書いた。面白いとかつまらないでは言い表せない、砂を含まされたような後味の1冊だった。

 あれから5年。本書は、在日朝鮮人として、自らもさまざまな差別を体験してきた辛淑玉(シン・スゴ)氏が、野中広務氏にインタビューし、さらに注釈をつけたものである。

 本書の評価は、この辛淑玉氏による注釈をどう感じるかによるだろう。たとえば、関東大震災当時、朝鮮人だけでなく、被差別民への迫害が行われたこと(→Wiki:福田村事件)など、必要な情報が提供されているのは有り難い。だが、野中氏の発言に対して「父の時代の男性は、一般的にいって、自分の人生で起こった事実については語れても、その時に感じた心情の深い部分や心の内面のひだを表現することは下手だ」という理由で、「そのことばを聞いたとき、野中さんは息も時間も止まったはずだ」とか「うめき、時には叫び、時には声がもれないようにすすり泣きもしただろう」「消えてなくなりたいと思ったかも知れない」等々、妄想全開の「解説」を繰り広げているところでは、うんざりして本書を投げ出しかけた。でも、こういう補足があるほうが「分かりやすい」と感じる読者もいるんだろうな…嗚呼。

 後半では、辛淑玉氏のほうが、自分の母親のこと、事実婚だったパートナーのことなどを話し始め、「時に嗚咽を堪えながら」という状態だったようだ(野中氏「あとがき」による)。野中氏は「彼女の気持ちが痛いほど分かり」「心と心、魂が触れあうような気がした」と慇懃に(?)相手をいたわり、「僕、こんなに話したの初めてです」とおっしゃっているけれど、自分を語りたいという欲望に流された辛氏の姿が目立つのみで、政治家・野中広務の腹の底には全く迫り切れていない。私には物足りない本だ。

 それでも、辛氏の注釈で印象的だったのは、「『野中広務』という政治家は、談合で平和をつくりだそうとする政治家だった」という人物評である。オバマは演説で平和をつくる政治家である。小泉純一郎も、大きく分ければ同じカテゴリーで、演説で平等をつくろうとした。ただし、小泉純一郎は、機会の平等には固執するが、結果の平等には関心がない。野中は、人間の欲望や利権への執着を知り抜いているからこそ、結果の平等にこだわり、「談合と裏取り引きで、平和も、人権も、守ろうとしたのではないだろうか」という。その結果、野中の姿勢は、一見屈折が多くて、非難されやすい面もある。しかし、「これはこれであっぱれな生き方」だと私も思う。
コメント
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