○丸善インフォメーション:丸善×松岡正剛=松丸本舗 松岡正剛氏プロデュースの丸の内本店の中の書店、「松丸本舗」が丸の内本店4階にオープン!(2009/10/23)
書評サイト『千夜千冊』の執筆者である松岡正剛氏と、丸善が共同プロデュースによる『松丸本舗』が10月23日(金)、丸の内本店4階にオープンした。前日に行われた記者会見で、丸善社長の小城武彦氏は、こんなふうに語っている。
「書店はこれまで、すこしさぼってきました。書店の本の陳列の方法は永く変わってきませんでした。本の形態であったり、出版社名であったり。外形表示にしたがって並べることをずっとやってきました。進化を怠ってきました」
実際には、そんなことはなくて、本は「社会科学」とか「文学」とか、もっと大きい書店であれば「日本経済」「金融」「格差問題」など、細分化されたジャンルにしたがって並べられている。だが、小城社長の言いたいことはよく分かる。このジャンル別の陳列自体が、うんざりするほど「外形的」なのだ。互いに何の内的な関連性も持たない本どうしが、たまたまタイトルに同じ一語(たとえば「日本」)を有するがために、ミソもクソもごちゃごちゃと並んだ書架は平板で、魅力に乏しい。しかも、全く異なるジャンルの接近遭遇という、楽しいハプニングは絶対に起こりえない。
図書館の分類別配架も、同じ宿命を背負っているわけだが、書店には、もっと冒険をしてもらいたいと思う。「松丸本舗」は、写真を見ると、ディスプレイにもいろいろ配慮がされているようだ。高さの一定しない書架。押し込まれたり、積み上げられたりした本。管理の悪い図書館みたいだなあ。いや、愛書家の書斎のイメージか。天井まで本でいっぱいだったり、書架と書架の間が狭くて、使いづらそうなのが嬉しい。そうなのだ、本屋や図書館が好きという人間は、一度行って、全てが飲み込めるような、使い勝手のいいところには居着かない。適度に使いづらくて、「私だけが、配列の”内的論理”を理解している」という感覚が味わえるほうが居心地いいのである。
asahi.comの今日の記事だと、この週末は、かなり盛況の様子。少し人が減った頃に行って見たいと思う。そのときは、4階のカフェで、東京駅に出入りする電車を眺めるのも、この書店の楽しみのひとつ。
書評サイト『千夜千冊』の執筆者である松岡正剛氏と、丸善が共同プロデュースによる『松丸本舗』が10月23日(金)、丸の内本店4階にオープンした。前日に行われた記者会見で、丸善社長の小城武彦氏は、こんなふうに語っている。
「書店はこれまで、すこしさぼってきました。書店の本の陳列の方法は永く変わってきませんでした。本の形態であったり、出版社名であったり。外形表示にしたがって並べることをずっとやってきました。進化を怠ってきました」
実際には、そんなことはなくて、本は「社会科学」とか「文学」とか、もっと大きい書店であれば「日本経済」「金融」「格差問題」など、細分化されたジャンルにしたがって並べられている。だが、小城社長の言いたいことはよく分かる。このジャンル別の陳列自体が、うんざりするほど「外形的」なのだ。互いに何の内的な関連性も持たない本どうしが、たまたまタイトルに同じ一語(たとえば「日本」)を有するがために、ミソもクソもごちゃごちゃと並んだ書架は平板で、魅力に乏しい。しかも、全く異なるジャンルの接近遭遇という、楽しいハプニングは絶対に起こりえない。
図書館の分類別配架も、同じ宿命を背負っているわけだが、書店には、もっと冒険をしてもらいたいと思う。「松丸本舗」は、写真を見ると、ディスプレイにもいろいろ配慮がされているようだ。高さの一定しない書架。押し込まれたり、積み上げられたりした本。管理の悪い図書館みたいだなあ。いや、愛書家の書斎のイメージか。天井まで本でいっぱいだったり、書架と書架の間が狭くて、使いづらそうなのが嬉しい。そうなのだ、本屋や図書館が好きという人間は、一度行って、全てが飲み込めるような、使い勝手のいいところには居着かない。適度に使いづらくて、「私だけが、配列の”内的論理”を理解している」という感覚が味わえるほうが居心地いいのである。
asahi.comの今日の記事だと、この週末は、かなり盛況の様子。少し人が減った頃に行って見たいと思う。そのときは、4階のカフェで、東京駅に出入りする電車を眺めるのも、この書店の楽しみのひとつ。