○加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 朝日出版社 2009.7
加藤陽子さんの本は、難しくて最後まで読めたことがない、という読者(私もそのひとりである)にお薦め。本書は、東大で日本近代史を講ずる著者が、神奈川県の私立栄光学園(男子校)で、歴史研究部を中心とする、中学一年生から高校二年生までの17名の生徒を相手に行った講義がもとになっている。(1)日清戦争、(2)日露戦争、(3)第一次世界大戦、(4)満州事変と日中戦争、(5)太平洋戦争という章立ては、たぶん5日間の講義の順序を反映しているのだろう。平易な口語、時々挟まれる生徒の素直な反応は、なごやかな緊張に満ちた、教室の雰囲気を髣髴とさせる。
生徒諸君は、心せわしい年末年始に、こんな重いテーマを考えさせられて、大変だったろうなあ。でも、きっと楽しかったに違いない。著者の講義は具体的で、個性的な人物が次々に登場し、印象的な名言を残す。それも、巷間に広まっているステレオタイプな名言でなくて、著者が史料や先行研究から見つけ出したものだ。山県有朋が、意外や日露開戦に消極的で、「戦争開始の論は老生は承知いたさず」と桂首相に書き送っていたり、松岡洋右が「日本人の通弊は潔癖にあり」なんて、案外まともなことを言っていたりする。
何といっても衝撃的なのは、中国の学者、外交官でもある胡適の「日本切腹、中国介錯」論だろう。アメリカとソ連を日本に敵対させるには、まず中国が日本との戦争を引き受け、二、三年間、負け続けなければならない。国土の過半を占領され、長江を封鎖され、中国が膨大な犠牲を出してはじめて、米ソは介入せざるを得なくなり、日本に壊滅的な打撃を与える(切腹を迫る)ことができる、というのだ。実に凄まじい「暗澹たる覚悟」である。ちなみに中国語版GoogleのBook検索で「日本切腹、中国介錯」を検索すると、原文を読むことができる(胡適日記全集、第245頁)。
能天気な連想で申し訳ないが、私は、金庸の『鹿鼎記』で、呉三桂討伐を決意した若き康煕帝が「最初の五、六年は負けてもいい」と語るのを思い出した。まさか金庸は、胡適の言を踏まえてはいないだろうが、この態度は、どこか中国人的心性に発するところがあるのではないかと思う。奇襲・先制に活路を見出そうとする日本人の覚悟と対照的である。
以上のような小説的なエピソードだけが、本書の読みどころではない。実証的なデータ、史料に残された多様な立場の人々の声、偏見に捉われない視点から、「戦争」の真の姿が現われてくるところは、とてもスリリングだ。また、平時の外交が、実は「戦争」以上に厳しい闘争の場であることも、あらためて感じた。
太平洋戦争の「責任」を問う最後の段は、静かな迫力に満ちている。数々の悲劇を生んだ満州の開拓移民を徴集するに際して、助成金のばらまき政策(今と同じだ)が取られたこと。けれども見識ある地域の長はそれに乗らなかったこと。開拓団の中でも、賢明な団長に率いられたグループは、中国農民と良好な関係を築き、最も低い死亡率で日本に引き上げることができたこと。これらは飯田市歴史研究所編『満州移民』という本に載っているそうだ。
軍の指導者にだけ、戦争責任があるのではない。もしも、自分がその場にあったら、助成金ほしさに隣人を満州に送り出そうとする村民の側にあったのではないか、と冷静に想像してみる姿勢の大切さを説いて、本書は結ばれている。
加藤陽子さんの本は、難しくて最後まで読めたことがない、という読者(私もそのひとりである)にお薦め。本書は、東大で日本近代史を講ずる著者が、神奈川県の私立栄光学園(男子校)で、歴史研究部を中心とする、中学一年生から高校二年生までの17名の生徒を相手に行った講義がもとになっている。(1)日清戦争、(2)日露戦争、(3)第一次世界大戦、(4)満州事変と日中戦争、(5)太平洋戦争という章立ては、たぶん5日間の講義の順序を反映しているのだろう。平易な口語、時々挟まれる生徒の素直な反応は、なごやかな緊張に満ちた、教室の雰囲気を髣髴とさせる。
生徒諸君は、心せわしい年末年始に、こんな重いテーマを考えさせられて、大変だったろうなあ。でも、きっと楽しかったに違いない。著者の講義は具体的で、個性的な人物が次々に登場し、印象的な名言を残す。それも、巷間に広まっているステレオタイプな名言でなくて、著者が史料や先行研究から見つけ出したものだ。山県有朋が、意外や日露開戦に消極的で、「戦争開始の論は老生は承知いたさず」と桂首相に書き送っていたり、松岡洋右が「日本人の通弊は潔癖にあり」なんて、案外まともなことを言っていたりする。
何といっても衝撃的なのは、中国の学者、外交官でもある胡適の「日本切腹、中国介錯」論だろう。アメリカとソ連を日本に敵対させるには、まず中国が日本との戦争を引き受け、二、三年間、負け続けなければならない。国土の過半を占領され、長江を封鎖され、中国が膨大な犠牲を出してはじめて、米ソは介入せざるを得なくなり、日本に壊滅的な打撃を与える(切腹を迫る)ことができる、というのだ。実に凄まじい「暗澹たる覚悟」である。ちなみに中国語版GoogleのBook検索で「日本切腹、中国介錯」を検索すると、原文を読むことができる(胡適日記全集、第245頁)。
能天気な連想で申し訳ないが、私は、金庸の『鹿鼎記』で、呉三桂討伐を決意した若き康煕帝が「最初の五、六年は負けてもいい」と語るのを思い出した。まさか金庸は、胡適の言を踏まえてはいないだろうが、この態度は、どこか中国人的心性に発するところがあるのではないかと思う。奇襲・先制に活路を見出そうとする日本人の覚悟と対照的である。
以上のような小説的なエピソードだけが、本書の読みどころではない。実証的なデータ、史料に残された多様な立場の人々の声、偏見に捉われない視点から、「戦争」の真の姿が現われてくるところは、とてもスリリングだ。また、平時の外交が、実は「戦争」以上に厳しい闘争の場であることも、あらためて感じた。
太平洋戦争の「責任」を問う最後の段は、静かな迫力に満ちている。数々の悲劇を生んだ満州の開拓移民を徴集するに際して、助成金のばらまき政策(今と同じだ)が取られたこと。けれども見識ある地域の長はそれに乗らなかったこと。開拓団の中でも、賢明な団長に率いられたグループは、中国農民と良好な関係を築き、最も低い死亡率で日本に引き上げることができたこと。これらは飯田市歴史研究所編『満州移民』という本に載っているそうだ。
軍の指導者にだけ、戦争責任があるのではない。もしも、自分がその場にあったら、助成金ほしさに隣人を満州に送り出そうとする村民の側にあったのではないか、と冷静に想像してみる姿勢の大切さを説いて、本書は結ばれている。