○橘木俊詔『東京大学:エリート養成機関の盛衰』 岩波書店 2009.9
「国家の須要ニ応ズル学術技芸ヲ教授シ及其薀奥ヲ攻究スル」ことを目的に創立され、官僚、政治家、学界、経済界、医療、文人など、さまざまな分野の指導者を輩出してきた東大について、「エリート養成機能」の実態と功罪を、統計データを用いて検証するとともに、起こりつつある変化に注目し、今後の展望(東大生が活躍できる分野はどこか?!)をも示している。
読みどころのひとつは、東大と権力の関わりを、経済学部に焦点をしぼって描き出した段。土方成美(国家主義)・河合栄治郎(自由主義)・大内兵衛(マルクス主義)の三大派閥による熾烈な抗争は、竹内洋や立花隆の著書でも興味深く読んできたが、本書では、著者が経済学専攻であることを活かし、「派閥抗争を、学問上の対立と当時の政治・経済状況との双方に注目して」論じている。また、戦前の対立・抗争が、戦後にどのような展開を示したかを、長い目で追っている点も新鮮だった。
戦前、最も権力の近くにいた土方は、戦後、東大を去り、逆に戦前に大学を追われた大内は復職した。大内のグループは、復興政策を政府に建策することを期待された。つまり、戦後日本の経済復興と高度経済成長は、保守政権とマルクス経済学者の共同作業によって成し遂げられたのである。あ~こんなふうに明快な分析に触れたのは初めてだけど、やっぱりそうなんだ、と思った。1950~60年代、旧帝大の経済学部では、マルクス主義経済学が主流だった。東大出の高級官僚や企業経営者は、資本家と労働者の所得格差を広げない政策が望ましいと考える態度を、学生時代に身につけていたのではないか、と著者は推察する。そう聞くと、現在のマルクス主義経済学の著しい衰退は、やや残念な気がする。
また、東大卒業生の進路を、豊富な統計データで論じた段も面白い。東大に限らず、日本の指導者層がどのような人たちなのかが、半世紀ほどの変遷を含めて、見えてくる。一昔前の官僚の世界における東大出(特に法学部)の占拠率が、呆れるほどすごかったことはよく分かった。経営者は、かつては財務・労務に強かったり、官僚に顔が利くことが重要だったが、現在はコミュニケーション能力や営業実績が重視されるようになり、結果として、東大出よりも慶応大や京大(へえ!)が目立っている。政治家も、かつては、東大法→高級官僚→国会議員というコースが確立されており、東大出の首相も多かった。しかし、二世・三世議員が輩出する現在、東大出の議員は減少し、ここでも慶応出の増加が目立っている。
慶応と東大については、親の年収比較が興味深かった。平均家計所得は、慶大生が少しだけ高いが、ほとんど差がない。しかし、家計所得分布図を見ると、慶大生のほうが高所得層の比重が高く、東大生は(慶大生と比較して)低所得層の比重が高い。これは「貧乏人の子弟は国立大学に通う」という伝統が、まだ少しは残っているということで、ちょっと安心した。
巻末に、濱田純一総長へのインタビューを収録。「格差是正」「公平性」「世界に通用する競争力」といった具合に、相反する課題に同時に取り組まなければいけない東大も大変だと思うが、大風呂敷を広げることをしない、濱田総長の誠実さが感じられる。
ちなみに著者の橘木さんは、小樽商科大卒、大阪大学修士修了で、東大では短期の客員教授しかしたことがないそうだが、学界で出会う東大出身者に優秀な人が多いことを率直に認め、東大生の「学力が落ちた」とか「教養がない」という批判に対しても、大学生をとりまく全体状況を踏まえて、公平な判断を下している。変なひがみやそねみのない東大論で、読後の印象がさわやかである。
※東洋経済オンライン:書評「怪しくなっているなんでも一番という東大像」(2009/10/19)
私の好きな竹内洋先生による本書の評。
「国家の須要ニ応ズル学術技芸ヲ教授シ及其薀奥ヲ攻究スル」ことを目的に創立され、官僚、政治家、学界、経済界、医療、文人など、さまざまな分野の指導者を輩出してきた東大について、「エリート養成機能」の実態と功罪を、統計データを用いて検証するとともに、起こりつつある変化に注目し、今後の展望(東大生が活躍できる分野はどこか?!)をも示している。
読みどころのひとつは、東大と権力の関わりを、経済学部に焦点をしぼって描き出した段。土方成美(国家主義)・河合栄治郎(自由主義)・大内兵衛(マルクス主義)の三大派閥による熾烈な抗争は、竹内洋や立花隆の著書でも興味深く読んできたが、本書では、著者が経済学専攻であることを活かし、「派閥抗争を、学問上の対立と当時の政治・経済状況との双方に注目して」論じている。また、戦前の対立・抗争が、戦後にどのような展開を示したかを、長い目で追っている点も新鮮だった。
戦前、最も権力の近くにいた土方は、戦後、東大を去り、逆に戦前に大学を追われた大内は復職した。大内のグループは、復興政策を政府に建策することを期待された。つまり、戦後日本の経済復興と高度経済成長は、保守政権とマルクス経済学者の共同作業によって成し遂げられたのである。あ~こんなふうに明快な分析に触れたのは初めてだけど、やっぱりそうなんだ、と思った。1950~60年代、旧帝大の経済学部では、マルクス主義経済学が主流だった。東大出の高級官僚や企業経営者は、資本家と労働者の所得格差を広げない政策が望ましいと考える態度を、学生時代に身につけていたのではないか、と著者は推察する。そう聞くと、現在のマルクス主義経済学の著しい衰退は、やや残念な気がする。
また、東大卒業生の進路を、豊富な統計データで論じた段も面白い。東大に限らず、日本の指導者層がどのような人たちなのかが、半世紀ほどの変遷を含めて、見えてくる。一昔前の官僚の世界における東大出(特に法学部)の占拠率が、呆れるほどすごかったことはよく分かった。経営者は、かつては財務・労務に強かったり、官僚に顔が利くことが重要だったが、現在はコミュニケーション能力や営業実績が重視されるようになり、結果として、東大出よりも慶応大や京大(へえ!)が目立っている。政治家も、かつては、東大法→高級官僚→国会議員というコースが確立されており、東大出の首相も多かった。しかし、二世・三世議員が輩出する現在、東大出の議員は減少し、ここでも慶応出の増加が目立っている。
慶応と東大については、親の年収比較が興味深かった。平均家計所得は、慶大生が少しだけ高いが、ほとんど差がない。しかし、家計所得分布図を見ると、慶大生のほうが高所得層の比重が高く、東大生は(慶大生と比較して)低所得層の比重が高い。これは「貧乏人の子弟は国立大学に通う」という伝統が、まだ少しは残っているということで、ちょっと安心した。
巻末に、濱田純一総長へのインタビューを収録。「格差是正」「公平性」「世界に通用する競争力」といった具合に、相反する課題に同時に取り組まなければいけない東大も大変だと思うが、大風呂敷を広げることをしない、濱田総長の誠実さが感じられる。
ちなみに著者の橘木さんは、小樽商科大卒、大阪大学修士修了で、東大では短期の客員教授しかしたことがないそうだが、学界で出会う東大出身者に優秀な人が多いことを率直に認め、東大生の「学力が落ちた」とか「教養がない」という批判に対しても、大学生をとりまく全体状況を踏まえて、公平な判断を下している。変なひがみやそねみのない東大論で、読後の印象がさわやかである。
※東洋経済オンライン:書評「怪しくなっているなんでも一番という東大像」(2009/10/19)
私の好きな竹内洋先生による本書の評。