○江戸東京博物館 企画展『140年前の江戸城を撮った男 横山松三郎』(2011年1月18日~2011年3月6日)
看板の特別展よりも、私が楽しみにしていたのはこっち。幕末から明治にかけて活躍した写真家、横山松三郎(1838-1884)を紹介する企画展である。私が彼の作品を初めて見たのは、たぶん東博16室(歴史資料)で2006年6月27日~8月20日に行われた特集陳列『日本の博物学シリーズ・日本の城郭』だと思う。私は、このシリーズ、ほぼ欠かさず見に行っているのだが、レポートは忘れてしまうことも多い。にもかかわらず、確認できたのは、東博が当時の紹介ページを残しておいてくれたおかげ。嬉しいっ!
上記のページにも掲載されている、明治4年(1871)撮影の『旧江戸城写真帖』にはびっくりした。まるで化け物屋敷のような荒廃ぶりである。ただ、このときは、撮影を実現させた蜷川式胤の名前だけ印象に残って(さすが、文化官僚としていい仕事するなあと思って)、撮影者・横山松三郎の名前は記憶に残らなかったような気がする。
横山の名前に再び出会ったのは、神奈川県立近代美術館(葉山)で行われた『画家の眼差し、レンズの眼』展。ここで初めて、横山ら初期の写真家が、同時に洋画家でもあったことを知る。「目に見えたものを残す(再現する)」アート(技術/芸術)という点で、写真と洋画に大きな懸隔はなかった。
それにしても不思議な人物だ。だいたい、択捉(えとろふ)生まれって…そんな僻地に生まれて、のちには箱館に移住したにしても、どうやって当時の最先端技術に触れ得たのか、と思って、年譜を読んでみると、安政6年(1859)に箱館は開港してるのか。京都や大阪より、かえって世界に近かったんだな。にしても、文久4年/元治元年(1864)には上海に渡航して、欧米の洋画・写真を見聞している。なんつー行動力。当時、新しい日本の政治体制の実現のために命をなげうつ人々もいたが、こんなふうに、自分の学びたい「技術」を求めて、ひょいと海を飛び越えていく若者もいたのだ。
展示作品は、まず人物像。横山が自分の興味で撮っているのか、当時の写真にしては形式ばっていなくて、被写体の表情がやわらかい。セルフポートレートはかなりオシャレ。自分のスタジオ風景を残しているのも面白い。明治2、3年の日光撮影時も、撮影隊の仕事の様子を写真に残している。岩の上で意気揚々と帽子を振る横山の姿が微笑ましい。写真機指物師と題した、ちょんまげ姿の職人を写した写真もあって、彼の写真術に対する愛着を感じさせる。
江戸城撮影では、360度のパノラマ撮影も試みている。のちに気球に乗ってみたり、サイアノタイプ(青写真、日光写真)、カーボン印画、ゴム印画など、さまざまな技法を試し、最後は「写真油絵」という、ほとんど反則みたいな超絶技巧の技を生み出す。これって、日本画や中国絵画でいう「裏彩色」だと思った。
展示品は、国立博物館蔵と江戸東京博物館蔵に加えて、個人蔵の比率も高い。最後の雑誌『方寸』(明治41年5月)に掲載された追悼記事は、ものに構わなかった横山の人となりを伝えていて面白いので、ぜひ足をとめてお読みください。
看板の特別展よりも、私が楽しみにしていたのはこっち。幕末から明治にかけて活躍した写真家、横山松三郎(1838-1884)を紹介する企画展である。私が彼の作品を初めて見たのは、たぶん東博16室(歴史資料)で2006年6月27日~8月20日に行われた特集陳列『日本の博物学シリーズ・日本の城郭』だと思う。私は、このシリーズ、ほぼ欠かさず見に行っているのだが、レポートは忘れてしまうことも多い。にもかかわらず、確認できたのは、東博が当時の紹介ページを残しておいてくれたおかげ。嬉しいっ!
上記のページにも掲載されている、明治4年(1871)撮影の『旧江戸城写真帖』にはびっくりした。まるで化け物屋敷のような荒廃ぶりである。ただ、このときは、撮影を実現させた蜷川式胤の名前だけ印象に残って(さすが、文化官僚としていい仕事するなあと思って)、撮影者・横山松三郎の名前は記憶に残らなかったような気がする。
横山の名前に再び出会ったのは、神奈川県立近代美術館(葉山)で行われた『画家の眼差し、レンズの眼』展。ここで初めて、横山ら初期の写真家が、同時に洋画家でもあったことを知る。「目に見えたものを残す(再現する)」アート(技術/芸術)という点で、写真と洋画に大きな懸隔はなかった。
それにしても不思議な人物だ。だいたい、択捉(えとろふ)生まれって…そんな僻地に生まれて、のちには箱館に移住したにしても、どうやって当時の最先端技術に触れ得たのか、と思って、年譜を読んでみると、安政6年(1859)に箱館は開港してるのか。京都や大阪より、かえって世界に近かったんだな。にしても、文久4年/元治元年(1864)には上海に渡航して、欧米の洋画・写真を見聞している。なんつー行動力。当時、新しい日本の政治体制の実現のために命をなげうつ人々もいたが、こんなふうに、自分の学びたい「技術」を求めて、ひょいと海を飛び越えていく若者もいたのだ。
展示作品は、まず人物像。横山が自分の興味で撮っているのか、当時の写真にしては形式ばっていなくて、被写体の表情がやわらかい。セルフポートレートはかなりオシャレ。自分のスタジオ風景を残しているのも面白い。明治2、3年の日光撮影時も、撮影隊の仕事の様子を写真に残している。岩の上で意気揚々と帽子を振る横山の姿が微笑ましい。写真機指物師と題した、ちょんまげ姿の職人を写した写真もあって、彼の写真術に対する愛着を感じさせる。
江戸城撮影では、360度のパノラマ撮影も試みている。のちに気球に乗ってみたり、サイアノタイプ(青写真、日光写真)、カーボン印画、ゴム印画など、さまざまな技法を試し、最後は「写真油絵」という、ほとんど反則みたいな超絶技巧の技を生み出す。これって、日本画や中国絵画でいう「裏彩色」だと思った。
展示品は、国立博物館蔵と江戸東京博物館蔵に加えて、個人蔵の比率も高い。最後の雑誌『方寸』(明治41年5月)に掲載された追悼記事は、ものに構わなかった横山の人となりを伝えていて面白いので、ぜひ足をとめてお読みください。