見もの・読みもの日記

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絶賛!NHK土曜ドラマ『TAROの塔』

2011-04-02 23:57:10 | 見たもの(Webサイト・TV)
NHK土曜ドラマ『TAROの塔』(2011年2月26日~4月2日、全4回)

 テレビドラマはあまり見ないのだが、年に1作くらいは良作にあたることがある。この作品は、岡本太郎とその両親(かの子、一平)に関心があったこと、万博の1970年という時代に興味があったこと(私は小学生だった)、そして、脚本が『風林火山』の大森寿美男氏であることから、見てみようと判断した。

 前半は、芸術家の業に生きた岡本かの子の恐ろしさと魅力を、寺島しのぶが怪演。夫・一平の情けなさと懐の深さを演じた田辺誠一もよかった。2話と3話の間で東北地方太平洋沖地震が起き、放送が2週間延期され、3話はL字画面に地震速報テロップも出るという、惨憺たる有様だったが、それでも一本芯の通ったドラマは、びくともしないものだ、と感じた。後半は、敏子を演じた常盤貴子が好演。特に、母・かの子の存在に捉えられていた太郎を開放し、新たな岡本太郎を生み出す「戦友」として、二人の関係が決定づけられる3話の演技は鳥肌ものだった。

 「結局、人の愛し方というのは、その人間の意志というより能力によって決まるんだ。たとえどんなに努力をしようと、その人間にしか出来ない愛し方をするより、仕方ないんだ」というのは、かの子を失った後の一平が、平凡な幸せを捨てて、太郎と共に生きる決意をした敏子に語ったもの。何か書かれた材料があるのかと思って聞いていたが、大森脚本のオリジナルなのだろうか。4話は、世間に誤解され、難病に苦しんだ晩年の太郎と、それを必死に支えた敏子の関係が中心となり、万博のエピソードはやや後景に退く。そのため「俗に流れすぎ」という批判もネットで見たけど、ひととき「戦友」を超えて、介護される夫と介護する妻の、平凡な愛情が垣間見えたあたり、胸がつまった(太郎の没後、敏子は再び戦闘モードに入っていくのだけど)。

 かの子と敏子という二人の女性に祝福され、支えられ、創造された岡本太郎という芸術家。ドラマの冒頭が、なぜ沖縄の巫女集団の神事イザイホーのフィルムでなければならなかったかの意味が、しみじみと分かってくる。ああ、いいドラマだった。主役・岡本太郎を演じた松尾スズキが、ドラマの公式サイトに「あのなにもない日本のまっただなかで、火だるまになりながら、それでも芸術の必然性を主張し続けてくれていた」と書いている。「火だるまになりながら」というのは、表現者でなければ分からない共感だと思う。

 三輪明宏の歌う主題歌『水に流して』もよかった。歌詞が作品のテーマにぴったり合っている。かの子の死に際のポーズが、太郎の最後の絵画作品『雷人』に重なっているなんていう演出も芸が細かい。でも、ドラマの伏線って、本来こういう、何度も見なおしたり科白を聞き直して初めて気づくものを言うんだよなあ。NHKに受信料を払う意味が見いだせるドラマだった。
コメント
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