見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

隠れた絶景/タモリのTOKYO坂道美学入門(タモリ)

2011-04-30 22:19:43 | 読んだもの(書籍)
○タモリ文、写真『タモリのTOKYO坂道美学入門』 講談社 2004.10

 昨年のゴールデンウィークだったか、秋の行楽シーズン前だったか、たまたま新宿の書店で本書を見た。2004年刊行だから、けっこう古い本だが、私は知らなかった。そのときは、いったん買い控えたが、ずっと気になっていて、とうとう買いに行ってしまった。

 著者のタモリさんはあとがきに「ほとんど誰も興味を持たない『坂道』の連載(※雑誌「TOKYO★1週間」に1年半近く連載)という快挙を成し遂げ、あまつさえ単行本にまでするという暴挙」に出た、講談社の関係者に感謝を捧げている。私が購入したのは、2009年の第7刷だから、その「暴挙」を歓迎し、読み継いでいる読者が一定数はいることになる。

 内容はタイトルのとおり。「坂道」をこよなく愛する著者が、東京中心部の9区から37の坂を紹介している(あわせて周辺の小さな坂もコラムで紹介)。港区、文京区、新宿区など、東京都心部が多いのは、著者の考える「よい坂」の条件に「まわりに江戸の風情がある」が挙げられていることと、東京東部の江戸川区、江東区などは、低湿地帯で坂が少なく、東京西部は、逆に丘陵地帯のため、景観が茫漠とし過ぎて風情のある坂が少ないのだと思う。両者の複雑な交差点が都心部になるわけだ。

 文章に添えられた写真がどれもいい。ほんとにタモリさん撮影なの? 美人を美人として捉えるカメラマンの技量があるように、美「坂」の魅力を最大限に引き出したベスト・ショット揃いである。だいたいは人影のない、無人の風景が選ばれているが、ずいぶん待って撮影しているんだろうなあ。影が長く伸びた(朝か夕方?の)写真が多いように思う。「見下ろし」「見上げ」のどちらの構図を選ぶかは、坂によって違うんだろうな。

 私はタモリさんをテレビで何十年も見てきたが、文章を読んだのは初めてのことだ。まえがきのエッセイは、おもしろかった。子ども時代、幼稚園に行きたくないと主張して、親に認められはしたものの、日中、遊び相手がいないので、家の前の坂道を上り下りする人たちを眺めてくらしたという。なんだか中世のお伽草子に出てくる少年みたいだ。

 私は東京下町の生まれなので、子ども時代はほとんど「坂道」を知らなかった。中学校から都心部へ電車通学するようになり、初めて「坂道」が記憶の中にすべりこんでくる。著者は、あるとき酔った勢いで、人間の思考、思想は「傾斜の思想と平地の思想に大別することができる」と屁理屈をこねたエピソードを告白しているが、あながち、間違いではないような気もする。

 かたい話はさておいて、分かりやすい地図、ルートガイド(距離と所要時間)、飲食店などのお立ち寄りSPOT情報もついて、東京散歩のお供にはお手頃。ただし2004年刊行だから、もはや変わってしまった風景もあることは覚悟の上で。
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極上のアクション/映画・孫文の義士団

2011-04-30 13:25:57 | 見たもの(Webサイト・TV)
○ピーター・チャン制作/テディ・チャン監督『孫文の義士団』(シネマスクエアとうきゅう)

 気になっていた映画をようやく見ることができた。2009年、中国では、建国60周年を記念し、大作映画の制作が相次いだ中で、いちばん見たかった作品である。原題の『十月圍城(十月囲城)』で検索をかけ続けたが、なかなか日本公開の情報が上がってこない。ちょっと忘れかけていたら、こんな日本語タイトルで公開が始まっていた。

 舞台は、1906年10月、イギリス領香港。日本亡命中の革命家・孫文が、中国各地の同志と会談するため香港を訪れる。その情報を聞きつけた西太后は、香港に総勢500人の暗殺団を放つ。一方、香港の活動家たちは、孫文を守るための手立てを打つ。港から密談の場所まで孫文を送り届け、そのあとは、影武者を載せた人力車を引いて、孫文の母の家へ向かうと見せかけ、暗殺者との死闘を1時間耐えぬく決意を固めた。

 前半は、この孫文ガード計画にかかわることになった人々の人間模様が描かれる。国家の将来を憂い、心から革命蜂起を支持する活動家もいれば、むしろ友情や家族愛に引かれて、計画を支援せざるを得なくなった者もいる。孫文が何者であるかも知らないまま、ただ自分が愛し、信頼する者のため死地に赴く者。ずっと死にどころを求め続けていた者。暗殺団の首領にも、清朝国家に忠誠を誓った「義」がある…。むろんこの前半にも、豪快なアクションシーンが随所に挟まれていて、飽きない。

 後半、いよいよ孫文が港に到着し、暗殺団が牙をむくと、動体視力が追いつかないようなアクションシーンの連続。爆発シーンもあるけど、基本的には肉体勝負のカンフーとソードアクション(殺陣)である。うう、すごい。見せ方がすごい。そして、ボディガードたちは、ひとり、またひとりと倒れていく。この乾いた感じが好きだ。

 ネタバレをすると、死闘の前面に立った若者たちは全て死し、中年過ぎの活動家と老年の商人だけが残される。革命同志との会談を終えた孫文は、何事もなかったかのように帰っていく。最後の画面に、翌年以降、中国各地で相次いだ蜂起と、辛亥革命に至る年譜が表示され、この日の孫文の会談が実を結んだこと、したがって、若者たちの死が無駄ではなかったことが、なんとなく示される。とは言っても、その後の日々を、遺された家族たちが、どう過ごしたかは分からない。基本はエンターテイメント作品なので、あまり気にする必要はないのだけど、大文字の「歴史」に対する諦念みたいなところが、中国の伝統的な死生観に連なっている感じがする。好みは分かれると思うが、私は好きだ。

 どこかの映画評ブログにも書いてあったけど、男性客が多かった。やっぱり女性には受けないのか、こういう映画。実はイケメン俳優も出てるんだけど、見事に汚れた格好してるものなあ。ニコラス・ツェー(謝霆鋒)は車引きのあんちゃんだし、レオン・ライ(黎明)なんか道に寝転ぶレゲエのおじさん(ホームレス)ですからね。私はフー・ジュン(胡軍)が好きなんだが、今回は暗殺団の首領役で、見事に怖い。

 見どころとして落とせないのは、20世紀初頭の香港の街並みを再現した美術のすごさ。公式サイト(日本語)の「特別動画」によれば、当時の写真を参考に8年かけて(!)構想されたもので、各棟の住民の数、家族構成まで、細かく指定されており、カメラに映らない部分まで完璧を期しているという。私は一度だけ香港に行ったことがあるので、お、あの坂道には見覚えが…なんて、古い記憶をたどっていたのだが、全てセットだった。こういうものを「つくる」ことに対して、中国人の本気はすごい。保存は気にかけないのが国民性なんだけど。

『十月圍城』公式サイト(繁体中文版、簡体中文版、英語版へ)
ん? 繁体中文版(大陸向け)と、簡体中文版(台湾向け)・英語版で、BGMが異なるのが面白い。

中国語:百度百科「十月围城」
配役、見どころ、原型となった人物と事件などについて、詳しい。
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始原へ遡る/建築史的モンダイ(藤森照信)

2011-04-30 01:29:28 | 読んだもの(書籍)
○藤森照信『建築史的モンダイ』(ちくま新書) 筑摩書房 2008.9

 いや相変わらず面白いなあ、藤森先生。もともと近代建築史が専門だった著者が、日本の近世や中世の古建築についてコメントしていることには気づいていたが、いつの間にか、中世ヨーロッパ建築、初期キリスト教建築に関心を広げ、ローマとギリシャとエジプトは軽くすませ(著者の表現)、さらにその先の新石器時代の建築(!)へと遡り、人類の「建築的想像力」の始原まで探究を進めている。おそるべき「力技」である。

 その「始原への旅」の途中にも、いろいろと興味深い寄り道モンダイがころがっている。たとえば、宗教的施設のタテヨコ問題。著者によれば、初期キリスト教会は円形だったと思われるが、次第に縦長(バシリカ式)になる。一般に宗教建築は「正方形か円形か縦長」になるのだが、日中韓ベトナムだけは横長。これは中国仏教が、祀る対象を超越的な存在と考えず、住宅(横長が基本)の形式を当てはめたためではないかという。なるほど。うまい説明だが、日本や中国でも、大きな寺院では、お堂とお堂の連なり方は「縦長」だと思う。

 日本建築の防火問題。これも面白い。大正9年、日本初の建築法を定めるにあたり、防火の項を起草したのは内田祥三だったが、江戸っ子の内田は「子供の時分から火事が大好き」だったという。えええ~。内田は、永年の火事場体験に基づき、木造家屋の表面を不燃材で覆うことを義務づける。結局、延焼は免れないが、延焼のスピードは鈍る。その間に人は逃げることができる。

 このほか、居間の成立(大正期に生まれ、戦後に間取りの中心となった)、茶室における炉(洗練された文化空間に火を持ちこむことの前衛性)、引っ張りに耐える鉄筋コンクリート、長崎の煉瓦のルーツなど、興味の尽きない問題が満載である。「私は、けっして自分の関心を計画的に配置したことはなかった」というのは「あとがき」にある著者の言葉だが、探究心が次の問題を呼び寄せる。こういうのが、研究者人生の醍醐味だと思う。

 「超高層ビルは不滅」というのも、びっくりする話だった。9.11事件の発生まで、世界中でこれまでに生まれた超高層ビルで、倒壊や焼失、建て替えによって、この世から消えた例はほとんどなかった。だから建築界では「超高層ビルは不滅である」と、なんとなく信じられていたという。専門家にそう告白されると、かえって素人のほうがびっくりする。そうなのか。じゃあ、今、私が目にしている新宿の超高層ビル群(東京育ちの私には非常になじみ深い風景なのだ)は、周囲の風景がどう変わるにせよ、50年後、100年後もあのまま立ち続けているのか…。ヨーロッパの街並みの中に残る中世の教会みたいに。
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