○国立公文書館 平成23年度春の特別展『国立公文書館創立40周年記念貴重資料展I 歴史と物語』(2011年4月2日~4月21日)
恒例の春の特別展。今年は、国立公文書館創立40周年の記念展だというので、貴重書が揃うことは予測できたが、逆に総花的すぎて、面白くないのではないか、と危惧していた。会場のオモテ側、入ってすぐの展示ケースには、まず古事記と六国史。家康が公家や寺社が秘蔵する古書古記録類を書写させた「慶長御写本」が並ぶ。文字が大ぶりで、行間がゆったりしていて読みやすい。紺表紙なんだな。そのあとも教科書に載るような歴史書・歴史物語が続く。
ロ字型の展示ケースに沿って、ウラにまわる頃から雰囲気がやわらかくなる。『秋夜長物語』は男色を主題とする稚児物語の代表作(永青文庫が絵巻を所蔵)。参考に『慕帰絵詞』から、美少年の稚児の肩を抱く、にやけた表情の僧侶の図が並べられ、主人公の覚如(親鸞の曾孫)は類まれな美少年で、延暦寺の宗澄の稚児となったが、三井寺の浄珍が武力で覚如を強奪した、という解説が添えられている。へえー知らなかった。隣りの『大乗院寺社雑事記』(重文)は、興福寺塔頭、大乗院の門主尋尊の日記。展示の紙背文書には、僧能信が、蚊帳の内で門跡(尋尊)が稚児を寵愛したことを思い出してせんずり(自慰)をしたという記述がある。わざわざ翻刻を隣りにおいて、原文が解読しやすいように配慮してくれる念の入れよう。なお、無料配布の展示図録では、具体的な記述は知らぬ顔でカットしているのが可笑しい。
そういえば、『日本三代実録』の解説にも、伴善男の応天門放火事件の箇所を開きながら、「実は藤原氏による他氏排斥の謀略だったとか。」としれっと書いてあって、「とか」はないだろう、「とか」は…と笑ってしまった。この一文も展示図録にはなし。
「武力の世界」のセクションは、誘拐・人買い・刈田狼藉が横行し、強い大名は豊かになり、弱い大名は消えていく「リアルな戦国の世界」を史料で紹介する。『続群書類従』に掲載された江戸期の資料ではあるが、『甲斐国妙法寺記録』には、信濃国志賀城を落した小山田信有(羽州殿)が、城主笠原清繁の妻を貰い受けたことを記す。これは大河ドラマ『風林火山』の美瑠姫のことか!
「戦国の女性」の実像を知るために展示された『おあむ物語』は強烈。石田三成の家臣の娘が、後年、関ヶ原の戦いの様子を語った追憶談の筆録だそうだが、挿絵には、男たちの獲ってきた敵方武将の首を、戦後の恩賞のため、少しでも見栄えよく化粧する女たちの姿が描かれている。背景には作業の済んだ(?)生首がごろごろ。大阪城の落城に立ち会った『おきく物語』も壮絶。帷子三枚、下帯三枚を着込んで逃げた、などのディティールが生々しい。TVドラマがいかにそらぞらしいつくりものであるかを、あらためて思う。
「歴史と物語」では、歴史的な事実から物語が生まれていく過程を、年代順に史料を読んでみることで検証する。豊臣秀次の場合、後世の史書ほど「残虐な性格」が強調されていくことが分かる。お江については、保科正之(秀忠の庶子)の出生を取り上げる。嫉妬深い(といわれた)お江を憚り、保科正之を引き取って養育したのは、見性院(武田信玄の次女)だったのか。「私は女にこそ生まれましたが、弓矢の駆け引きで世に知られた信玄の娘、少しも心配はいりません」という見性院の言葉は、会津藩士がまとめた史書『千歳の松』から。どうもこの展示の担当者は、武田びいきなのではないかと思われる。
中国古籍は、四大奇書とそのもとになった正史を分かりやすく解説。最後に、学者大名・市橋長昭(1773-1814、仁正寺藩主)が湯島聖堂に献納した貴重書(宋元版30部、うち21部が現蔵)を紹介する。「顔氏家訓曰、借人典籍、皆須愛護、先有缺壞、就爲補治。此亦士大夫百行之一也」という大振りな朱印が押されたものが多く、調べたら「顔氏家訓に曰く、人の典籍を借らば、皆須く愛護し、先ず缺壞[けっかい]有らば、就きて爲に補治すべし。此れ亦士大夫百行の一なり」と読み、借りた本は大切にしなさい、もし破れたり、題箋が剥がれかけたりしていたら、直しておく。これは(つまらないことのようだが)士大夫の行いである、というような意味らしい。なかなか味わい深い。
恒例の春の特別展。今年は、国立公文書館創立40周年の記念展だというので、貴重書が揃うことは予測できたが、逆に総花的すぎて、面白くないのではないか、と危惧していた。会場のオモテ側、入ってすぐの展示ケースには、まず古事記と六国史。家康が公家や寺社が秘蔵する古書古記録類を書写させた「慶長御写本」が並ぶ。文字が大ぶりで、行間がゆったりしていて読みやすい。紺表紙なんだな。そのあとも教科書に載るような歴史書・歴史物語が続く。
ロ字型の展示ケースに沿って、ウラにまわる頃から雰囲気がやわらかくなる。『秋夜長物語』は男色を主題とする稚児物語の代表作(永青文庫が絵巻を所蔵)。参考に『慕帰絵詞』から、美少年の稚児の肩を抱く、にやけた表情の僧侶の図が並べられ、主人公の覚如(親鸞の曾孫)は類まれな美少年で、延暦寺の宗澄の稚児となったが、三井寺の浄珍が武力で覚如を強奪した、という解説が添えられている。へえー知らなかった。隣りの『大乗院寺社雑事記』(重文)は、興福寺塔頭、大乗院の門主尋尊の日記。展示の紙背文書には、僧能信が、蚊帳の内で門跡(尋尊)が稚児を寵愛したことを思い出してせんずり(自慰)をしたという記述がある。わざわざ翻刻を隣りにおいて、原文が解読しやすいように配慮してくれる念の入れよう。なお、無料配布の展示図録では、具体的な記述は知らぬ顔でカットしているのが可笑しい。
そういえば、『日本三代実録』の解説にも、伴善男の応天門放火事件の箇所を開きながら、「実は藤原氏による他氏排斥の謀略だったとか。」としれっと書いてあって、「とか」はないだろう、「とか」は…と笑ってしまった。この一文も展示図録にはなし。
「武力の世界」のセクションは、誘拐・人買い・刈田狼藉が横行し、強い大名は豊かになり、弱い大名は消えていく「リアルな戦国の世界」を史料で紹介する。『続群書類従』に掲載された江戸期の資料ではあるが、『甲斐国妙法寺記録』には、信濃国志賀城を落した小山田信有(羽州殿)が、城主笠原清繁の妻を貰い受けたことを記す。これは大河ドラマ『風林火山』の美瑠姫のことか!
「戦国の女性」の実像を知るために展示された『おあむ物語』は強烈。石田三成の家臣の娘が、後年、関ヶ原の戦いの様子を語った追憶談の筆録だそうだが、挿絵には、男たちの獲ってきた敵方武将の首を、戦後の恩賞のため、少しでも見栄えよく化粧する女たちの姿が描かれている。背景には作業の済んだ(?)生首がごろごろ。大阪城の落城に立ち会った『おきく物語』も壮絶。帷子三枚、下帯三枚を着込んで逃げた、などのディティールが生々しい。TVドラマがいかにそらぞらしいつくりものであるかを、あらためて思う。
「歴史と物語」では、歴史的な事実から物語が生まれていく過程を、年代順に史料を読んでみることで検証する。豊臣秀次の場合、後世の史書ほど「残虐な性格」が強調されていくことが分かる。お江については、保科正之(秀忠の庶子)の出生を取り上げる。嫉妬深い(といわれた)お江を憚り、保科正之を引き取って養育したのは、見性院(武田信玄の次女)だったのか。「私は女にこそ生まれましたが、弓矢の駆け引きで世に知られた信玄の娘、少しも心配はいりません」という見性院の言葉は、会津藩士がまとめた史書『千歳の松』から。どうもこの展示の担当者は、武田びいきなのではないかと思われる。
中国古籍は、四大奇書とそのもとになった正史を分かりやすく解説。最後に、学者大名・市橋長昭(1773-1814、仁正寺藩主)が湯島聖堂に献納した貴重書(宋元版30部、うち21部が現蔵)を紹介する。「顔氏家訓曰、借人典籍、皆須愛護、先有缺壞、就爲補治。此亦士大夫百行之一也」という大振りな朱印が押されたものが多く、調べたら「顔氏家訓に曰く、人の典籍を借らば、皆須く愛護し、先ず缺壞[けっかい]有らば、就きて爲に補治すべし。此れ亦士大夫百行の一なり」と読み、借りた本は大切にしなさい、もし破れたり、題箋が剥がれかけたりしていたら、直しておく。これは(つまらないことのようだが)士大夫の行いである、というような意味らしい。なかなか味わい深い。