見もの・読みもの日記

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現実はゆっくり変わる/メディアと日本人(橋元良明)

2011-04-05 22:43:36 | 読んだもの(書籍)
○橋元良明『メディアと日本人:変わりゆく日常』(岩波新書) 岩波書店 2011.3

 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震発生以来、メディアについて考えることが多かった。動画サイトでは、衝撃的な動画を何度も見た。出所はさまざまだったが、もとをたどれば、プロのジャーナリストではなく、被災者や、災害現場に居合わせた人が記録したものが多かったように思う。こうした「災害報道」を体験したのは、初めてのことだ。

 一方、こんなに長時間テレビを見たのも久しぶりだった。本書によれば、「いちはやく世の中のできごとや動きを知るメディア」として、テレビは、まだまだ「揺るぎぎない地位を保っている」という。今回の震災体験がなかったら、私はこの分析を懐疑的に受けとめたと思うが、今は非常に了解できる。インターネットは、自分から能動的に情報にアクセスできる点が強味だが、そこから知り得る「世論の雰囲気」は、自分の趣味や希望的観測で、独自に編集している可能性が強い。その危険性を、どこかで察知している人間は、「様々な争点に対する大まかな国民的感情」を知りたいとき、テレビを選ぶのだ。

 しかし、NHKの震災報道番組が、Ustreamやニコニコ動画に開放されていることが分かると、一人暮らしの私は、テレビの受像機よりも、動画サイトで放送を見ることを好んだ。ひとりで災害報道に向き合うのは、つらい。感情的につらいというより、情報の是非判断の負担が大きいのだ。Ustやニコ動だと、コメントやtwitterの書き込みが流れるので、ほかの視聴者が放送内容に対してどんなスタンスを取っているか、「ほう」「なるほど」と納得しているのか、「嘘くせえ」「何か隠してる」と批判的に見ているのかが分かる。このノイジーな付加情報がけっこう貴重だったと思う(サイトが検閲を加えていたかもしれないが、何もないよりはいい)。

 本書は、1995年以来5年おきに『日本人の情報行動調査』を実施している著者が、そのデータをもとに、主要メディア(新聞、雑誌、テレビ、インターネット等)の利用実態の変化を論じたもの。その前提として、近世以来の日本人独特のメディアに対するメンタリティ(技術受容のすばやさ、器用さ)も紹介されている。

 なので、本書には、この1、2年の新たなメディアの出現をもって、古いメディアが今すぐ消滅する!?というような「煽り」はない。「煽り」がないので、読みものとしては、正直、あまり面白いとは言えなかった。しかし、世代差をならしてみれば、人の行動は意外と保守的なもので、信頼できる実証的な研究とは、こういうものかもしれない。

 インターネット利用について「マタイの法則」が指摘されているのは面白かった。聖書の「富む者はますます富み、貧しい者はますます奪われる」を踏まえたもので、外向的な人はネット利用によって、さらに社会参加が活発になり、ますます情報資源を拡大して豊かになっていく。逆に内向的な人は、ネット利用によってますます孤独感が増すという。それから、これはネットに限らないが、集団討議は、個人が単独で決定を行うより、より勇ましい結論になりやすい(逆もあり。正確には、個々のメンバーの持っている特性が強められた結論が出やすい)と言われており、ネット議論の特性になっているという。

 それから、「クラウド・コンピューティング」志向は、われわれの知識のありかたに変更を迫るだろう、という指摘も面白かった。有史以来、知識の記憶力は、知力を構成する大きな要素であった。しかし、今後は、いかに早く目的とする情報にアクセスできるか、その情報を編集できるかが、重要な社会的スキルとなってくる。にもかかわらず、いわゆる学力が、相変わらず記憶力で測定されている現状は(わけのわからない人間力とか言っているのと同じくらい)大きな問題であると思う。

 また、インターネットは何も新しいものを付加していないという指摘も、今回の震災報道で実感した。マスメディアの取材力によらなければ、現場の情報の入手や編集(信頼できる解説委員の配置など)は困難だったと思う。その点でも、インターネットという「回路」のビジネスモデルを早急につくらなければ、われわれの情報環境は荒地化を避けられないと思う。
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