○諸星大二郎『西遊妖猿伝・西域篇』3 講談社 2011.6
舞台は相変わらず伊吾国。架空のオアシス都市・粟特城でひと悶着。悟空は、羊力大仙の娘、アマルカの計略にかかり、屍鬼(ドゥルジ・ナス)を祆教(ゾロアスター教)の神殿に引き入れ、聖火を穢してしまう。謎を残したまま、玄奘一行は伊吾城(ハミ)に到着。巨大な羊にまたがった妖少女アマルカが、悟空の前に再び姿をあらわす…。
1年ぶりの続巻刊行。少しストーリーに速度が加わってきた感じでうれしい。羊の屍肉(それも数匹分が合体)を原型に、切っても切っても再生して増えていく、軟体系の怪物ドゥルジ・ナスは、いかにも諸星ワールドの住人。ヒエロニムス・ボスの絵に出てきそうな、羊の頭蓋骨に短い手足をつけたドゥルジ・ナスと、それを追う悟空が、四角い土壁の家の並んだ、オアシス都市の夜の道を疾走する場面には、痺れた。
西域の街並みの描き方には、意外と「実感」がある。悟空が立ち回りを演ずる伊吾城のお屋敷は、土を固めたドーム状の丸屋根の中心に穴が開いていて、空が見えるように描かれているが、新疆ウイグル自治区を旅行したとき、こんな建物を見た覚えがある。ええと、ただし、一般の家屋ではなくて、モスク寺院だったような気もするけど…。でも、遺跡や考古資料を巧みに取り入れていて、楽しい。白茶けた土づくりの家並みと青い空の記憶がよみがえる。また行きたいなあ、西域。
「羊力大仙」は原典・西遊記にも登場する妖怪の名前。作者はカバーの折り返しで「元来の『西遊記』とはどんどん違う世界へ向かっているような気もするのですが、さてどうでしょう?」なんてつぶやいているが、もともと玄奘三蔵の旅を、全て漢民族の伝統世界に落とし込んでしまった西遊記が一種の「捏造」なんだから、先祖返りと思っていいのではないかと思う。
双子のハルとアム、ぶち犬のワユは、緊迫した屍鬼との戦いの中でも、笑顔を誘う癒しキャラ。こういう役は、大唐篇にはいなかったような。しかし、悟空は年を取らないなあ。本のオビに「読む者の少年心を揺り起こす」というけれど、私にとっては、鉄腕アトムと並ぶ永遠の少年である。
![](http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Ke-z7KtML._SL160_.jpg)
1年ぶりの続巻刊行。少しストーリーに速度が加わってきた感じでうれしい。羊の屍肉(それも数匹分が合体)を原型に、切っても切っても再生して増えていく、軟体系の怪物ドゥルジ・ナスは、いかにも諸星ワールドの住人。ヒエロニムス・ボスの絵に出てきそうな、羊の頭蓋骨に短い手足をつけたドゥルジ・ナスと、それを追う悟空が、四角い土壁の家の並んだ、オアシス都市の夜の道を疾走する場面には、痺れた。
西域の街並みの描き方には、意外と「実感」がある。悟空が立ち回りを演ずる伊吾城のお屋敷は、土を固めたドーム状の丸屋根の中心に穴が開いていて、空が見えるように描かれているが、新疆ウイグル自治区を旅行したとき、こんな建物を見た覚えがある。ええと、ただし、一般の家屋ではなくて、モスク寺院だったような気もするけど…。でも、遺跡や考古資料を巧みに取り入れていて、楽しい。白茶けた土づくりの家並みと青い空の記憶がよみがえる。また行きたいなあ、西域。
「羊力大仙」は原典・西遊記にも登場する妖怪の名前。作者はカバーの折り返しで「元来の『西遊記』とはどんどん違う世界へ向かっているような気もするのですが、さてどうでしょう?」なんてつぶやいているが、もともと玄奘三蔵の旅を、全て漢民族の伝統世界に落とし込んでしまった西遊記が一種の「捏造」なんだから、先祖返りと思っていいのではないかと思う。
双子のハルとアム、ぶち犬のワユは、緊迫した屍鬼との戦いの中でも、笑顔を誘う癒しキャラ。こういう役は、大唐篇にはいなかったような。しかし、悟空は年を取らないなあ。本のオビに「読む者の少年心を揺り起こす」というけれど、私にとっては、鉄腕アトムと並ぶ永遠の少年である。