○永青文庫 夏季展示『細川家の本棚から~中国古典籍の世界~』(2011年5月28日~7月31日)
永青文庫は、細川家と熊本の藩校時習館に由来する漢籍28,000冊を所蔵し、そのほとんどを慶應義塾大学附属研究所斯道文庫に寄託している。本展は、斯道文庫教授の高橋智先生監修のもと、漢籍(および和刻本漢籍)約30点を紹介。
会場入口に置かれた展示品リストをざっと見て、明清本が中心であることを理解する。しかし、冒頭の『陶淵明文集』(清・康煕33/1694年、汲古閣刊本)は、宋版の写しをもとに復刻されたもので、ゆったりと大らかな版面が、原本の趣きを彷彿とさせる。陶淵明、東坡先生の肖像あり。隣りの『金瓶梅』(清:18~19世紀)は、版型が小さく、色の濃い、一見粗悪に見える紙、狭い行間に詰め込まれた細かい字など、いかにも時代が下った本の姿である。
清史好きとしては、清朝の大学者・紀(きいん)の識語が記された『文心雕龍』にテンションが上がってしまった。おお! 巻十の末尾に「乾隆辛卯(※1771年)八月初六日閣筆暁嵐記」と朱筆で記されている。その下には、熊本出身の漢学者「古城貞吉」の旧蔵印。巻一の巻首の上段にも朱筆でたくさん書き入れがあったが、あれも紀先生の筆なのかな。
あと、さりげなく紀の詩文集『我法集』が出ていたのも嬉しかった。解説(季刊・永青文庫)にも「珍しい」というけど、私も初めて見た。試しに「全国漢籍データベース」を引いてみたら、国内に4件しか所蔵がない(しかも東北大の1件は刊年が間違っているのだが…まあいいか)。冒頭の「老景頽唐、旧交零落、惟閉門与筆墨書巻為縁」云々は、眺めていると、なんとなく意味が分かるようで、しみじみする。
筆や硯塀など、明清の文房具も取り交ぜて展示してあったが、袁世凱の白玉印(4点セット)にはびっくりした。「項城袁氏」の4文字印が2点。「民罔常懐于有仁」の「懐」を繰り返した8文字印が2点(出典は孟子?)。
価値がよく分からないままに、とりあえずびっくりしたのは『皇明文海』の稿本(手書き本)。全175巻のうち、170巻が永青文庫に伝わるそうで、展示ケースにどさどさと積んであった(→雄松堂アーカイブズの解説)。
著名人の手書き本や手沢本は、なんとなく慕わしい。学問好きでメモ魔の殿様(→『細川サイエンス』展)細川重賢による三国志人名の抜書ノートがあったり、林羅山が訓点をつけた『史記』があったりした。後者はリストに「江戸時代」とあったので、和刻本?と思ったけど、巻末に「宏遠堂熊氏増補繍梓行」とあって、中国刊本らしい。
会場の隅にひっそり展示されていた『論語』天文2/1533年刊本は、跋文「天文癸巳八月乙亥金紫光禄大夫拾遺清原亜朝臣宣賢法名宗尤」と読めた。もっと光を当ててあげていい資料だと思っていたのに、私の思い違いかな?と首をひねったくらい、地味な扱い。展覧会の客層を考えて、書誌学的に面倒くさい解説は遠慮したのだろうか。画像と高橋智先生の解説はこちらで。
漢籍の世界をよく知らなくても、これはすごい!と分かりやすいのは、敦煌本『文選注』(唐・7~8世紀)。えええ、どうしてこんなものが永青文庫に?!と驚いたが、東洋の美術・文物に造詣が深かった細川護立(1883-1970)が購入したらしい。本展には、探検家オーレル・スタインが、メッセージ入りで護立に送った『敦煌壁画図説』(英文)も展示されている。肝腎の『文選注』は、裏面の文字の映りが濃くて、会場では読みにくいが、明快な筆跡が紙面をびっしり埋めている。「閩越王」「南越王」「太子嬰」などの単語を拾い読むことができた。
ちなみに、2階の展示室には、護立と交流のあった羅振玉の額が掛けてある。これらの漢籍、細川家が代々伝えてきたものもあるけど、やっぱり(書画と同じで)清末に日本に流れ込んだものが多いのかなあ、と思った。
永青文庫は、細川家と熊本の藩校時習館に由来する漢籍28,000冊を所蔵し、そのほとんどを慶應義塾大学附属研究所斯道文庫に寄託している。本展は、斯道文庫教授の高橋智先生監修のもと、漢籍(および和刻本漢籍)約30点を紹介。
会場入口に置かれた展示品リストをざっと見て、明清本が中心であることを理解する。しかし、冒頭の『陶淵明文集』(清・康煕33/1694年、汲古閣刊本)は、宋版の写しをもとに復刻されたもので、ゆったりと大らかな版面が、原本の趣きを彷彿とさせる。陶淵明、東坡先生の肖像あり。隣りの『金瓶梅』(清:18~19世紀)は、版型が小さく、色の濃い、一見粗悪に見える紙、狭い行間に詰め込まれた細かい字など、いかにも時代が下った本の姿である。
清史好きとしては、清朝の大学者・紀(きいん)の識語が記された『文心雕龍』にテンションが上がってしまった。おお! 巻十の末尾に「乾隆辛卯(※1771年)八月初六日閣筆暁嵐記」と朱筆で記されている。その下には、熊本出身の漢学者「古城貞吉」の旧蔵印。巻一の巻首の上段にも朱筆でたくさん書き入れがあったが、あれも紀先生の筆なのかな。
あと、さりげなく紀の詩文集『我法集』が出ていたのも嬉しかった。解説(季刊・永青文庫)にも「珍しい」というけど、私も初めて見た。試しに「全国漢籍データベース」を引いてみたら、国内に4件しか所蔵がない(しかも東北大の1件は刊年が間違っているのだが…まあいいか)。冒頭の「老景頽唐、旧交零落、惟閉門与筆墨書巻為縁」云々は、眺めていると、なんとなく意味が分かるようで、しみじみする。
筆や硯塀など、明清の文房具も取り交ぜて展示してあったが、袁世凱の白玉印(4点セット)にはびっくりした。「項城袁氏」の4文字印が2点。「民罔常懐于有仁」の「懐」を繰り返した8文字印が2点(出典は孟子?)。
価値がよく分からないままに、とりあえずびっくりしたのは『皇明文海』の稿本(手書き本)。全175巻のうち、170巻が永青文庫に伝わるそうで、展示ケースにどさどさと積んであった(→雄松堂アーカイブズの解説)。
著名人の手書き本や手沢本は、なんとなく慕わしい。学問好きでメモ魔の殿様(→『細川サイエンス』展)細川重賢による三国志人名の抜書ノートがあったり、林羅山が訓点をつけた『史記』があったりした。後者はリストに「江戸時代」とあったので、和刻本?と思ったけど、巻末に「宏遠堂熊氏増補繍梓行」とあって、中国刊本らしい。
会場の隅にひっそり展示されていた『論語』天文2/1533年刊本は、跋文「天文癸巳八月乙亥金紫光禄大夫拾遺清原亜朝臣宣賢法名宗尤」と読めた。もっと光を当ててあげていい資料だと思っていたのに、私の思い違いかな?と首をひねったくらい、地味な扱い。展覧会の客層を考えて、書誌学的に面倒くさい解説は遠慮したのだろうか。画像と高橋智先生の解説はこちらで。
漢籍の世界をよく知らなくても、これはすごい!と分かりやすいのは、敦煌本『文選注』(唐・7~8世紀)。えええ、どうしてこんなものが永青文庫に?!と驚いたが、東洋の美術・文物に造詣が深かった細川護立(1883-1970)が購入したらしい。本展には、探検家オーレル・スタインが、メッセージ入りで護立に送った『敦煌壁画図説』(英文)も展示されている。肝腎の『文選注』は、裏面の文字の映りが濃くて、会場では読みにくいが、明快な筆跡が紙面をびっしり埋めている。「閩越王」「南越王」「太子嬰」などの単語を拾い読むことができた。
ちなみに、2階の展示室には、護立と交流のあった羅振玉の額が掛けてある。これらの漢籍、細川家が代々伝えてきたものもあるけど、やっぱり(書画と同じで)清末に日本に流れ込んだものが多いのかなあ、と思った。