見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

果てしない反復/三陸海岸大津波(吉村昭)

2011-06-28 22:40:16 | 読んだもの(書籍)
○吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫) 文藝春秋社 2004.3

 「吉村記録文学の傑作」として、本書の存在は知っていたが、3月11日の震災が起こらなければ、たぶん手に取ることはなかっただろう。

 著者の愛する三陸海岸は、はるか古代から、繰り返し津波に襲われてきた。昭和45年(1970)に執筆された本書は、明治29年(1896)、昭和8年(1933)、昭和35年(1960)の三度の大津波を、記録と証言で再現したものである。

 明治29年6月15日の津波(執筆当時から74年前)については、87歳と85歳の二人の男性から直接話を聞いているが、あとは、もっぱら当時の報道や記録文書から再構成したもののようだ。そのためか、著者の筆致はきわめて抑制的で、却って不気味な迫力を感じさせる。衝撃的だったのは『風俗画報 大海嘯被害録』から再録された図版。海中に網をおろして五十余人の死体を挙げる図や、泥田の中に逆さに両足だけ突き出した死体の図、申し訳に菰を被せた半裸の死体が幾体も幾体も並んだ図など、凄まじい有り様が捉えられている。

 以下、かなり陰惨な箇所を引用する。泥や砂に埋没した死体の捜索は困難をきわめたが、次第に経験を重ねた作業員は、死体を的確に探し出せるようになった。地上一面に水を流すと、ぎらぎらと油が浮いてくる箇所があり、そこを掘り返すと、必ず死体が埋まっているという。ほかにも、人肉を好むカゼという魚が死体の皮膚一面に吸いついていたとか、野犬と化した犬が死体を食い荒らしていたとか、脂汗の出るようなエピソードが、淡々とした文体で語られている。

 今回の東日本大震災でも多くの人が亡くなった。震災直後の混乱した時期こそ、○○海岸に数十、数百の遺体が流れ着いている、というニュースを見たように思うが、あれだけ膨大な動画や写真が流通していても、「死」の生々しさを感じさせるものは無かったように思う。現場に、生々しい「死」がなかった筈はないので、どこかで「自粛」規制が働いていたわけだ。私たちは、報道やネット情報だけで、震災の全てを知っているように思ってはいけないのだ、という認識を新たにした。

 昭和8年(1933)3月3日未明の津波については、村民の生活作文や、小学校の生徒の作文が残っていて、緊迫した雰囲気を伝える貴重な記録になっている。著者は、作文を書いた生徒の何人かを探して会っている。住居や家族を失った子どもたちが、明るく成長した姿で登場するのは、ほっとする箇所だが、被災から37年経っても、地震が来ると必ず山へ逃げるという姿には、胸に迫るものがある。

 昭和35年(1960)5月24日未明の津波は、南米チリで起きた大地震の余波が到着したもので「チリ地震津波」とも呼ばれる。日本沿岸では、全く地震が観測されなかったにもかかわらず、突然、水が引き始め、「のっこ、のっこ」と津波がやってきたというのは、怖いなあ…。本書解説の高山文彦氏は、津波を大怪獣ゴジラに喩えているが、この理不尽な恐ろしさは、妖怪に近いと思う。

 本書には、明治29年と昭和8年に壊滅的な被害を受けた田老町(岩手県宮古市)が、毎年、昭和8年の津波に由来する3月3日に、町を挙げての避難訓練を行っていることが紹介されている。それも、昭和8年の津波発生時刻と同じ午前2時31分のサイレンで開始されるのだという。この「本気」の避難訓練は、今年まで続いていたのだろうか…。スーパー堤防の効力よりも、そっちのほうが気になる。

 三度の大地震を記述したあと、著者は「津波は自然現象である。ということは、今後も果てしなく反復されることを意味している」と記している。この冷静な分析は、不幸にして、いや当然のこととして、当たってしまった。しかし、明治29年以来の災害を経験してきた古老が、三度の津波で次第に死者や被害が減じていることを根拠に語った言葉「津波は時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で警戒しているから、死ぬ人はめったにいないと思う」は、本当に残念ながら、当たらなかった。後者の言葉を実現するには何が必要なのか、今一度考えなければならないと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする