○サントリー美術館 開館50周年記念「美を結ぶ。美をひらく。」II『不滅のシンボル 鳳凰と獅子』(2011年6月11日~7月24日)
はじめ、不思議な取り合わせだと思った。中国なら、皇后の象徴たる鳳凰に対しては、皇帝の象徴・龍である。仏教なら、文殊の獅子に対しては、普賢の白象だろう。実際、本展でも、鳳凰と獅子をペアにした作品は少ない。しかし、どちらも日本文化全般にわたり、華麗で装飾的な造形表現を残してきたという点では、たしかに双璧の霊鳥・霊獣である。「鳳凰チーム」も「獅子チーム」も、よくぞこれだけ集めてきたなあ、という名品が多数。所蔵者(館)のバラエティを見ているだけで楽しくなる。
展示は「鳳凰と獅子」「獅子」「鳳凰」…というテーマ設定で、12のセクションに分かれる。面白かったのは、まず「第2章 古代における鳳凰と獅子」で、計6点、唐時代の銅鏡や飛鳥時代の塼(せん)を展示する。大和文華館の『銅製貼銀鎏金双鳳狻猊文八稜鏡』は、めずらしく狻猊(さんげい=獅子)と鳳凰を同一面に描いたもの。素人の感想で申し訳ないが、よく見つけたなあ、これ、と思った。光線によっては、七色に輝いて美しい。
「第3章 獅子舞と狛犬」には、またあのもふもふした獅子頭(正倉院宝物模造品)が来ていた。爆笑だったのは『信西古楽図』の獅子舞図。「新羅狛」ってなんだよ、これ~。獅子が立ち上がって、その手足にも獅子の顔がついてるし~(→写真:草岡神社奉賛会)。展示品は、江戸時代の模本(東京芸大蔵)だが、藤原通憲(信西)による原典があるということか。遊行寺の獅子鼻(→※これ)の展示方法は、かわいすぎて反則。
「第6章 よみがえる鳳凰」はマイ・ベスト。中国・明時代の鳳凰図が3点(うち1点は相国寺蔵)。朝鮮王朝時代ものが1点。そして、若冲の『旭日鳳凰図』(三の丸尚蔵館)と並ぶ。私は、若冲の鳳凰を見たのがいちばん早く、はじめはヘンな(気持ち悪い)鳳凰だなあ、と思った。それから、中国、さらに朝鮮半島に類例があることを知り、一見、孤立した個性のように見える若冲も、ある程度「東アジアの伝統」の中におさまるということが分かるようになった。しかし、やっぱり若冲作品は(超現実的な装飾性のこだわりなど)突出して個性的でもある。…と、若冲の絵画について考えるには格好の題材。この組合せは6/27までで、あとは少しずつ展示替えあり。
おまけ(?)で若冲の『樹花鳥獣図屏風』(静岡県立美術館)も来ている(~6/20)。私は、この屏風、意外と縁がなくて、初見かもしれない。正直、あまり感心しなかった。プライスコレクションの『鳥獣花木図屏風』は、はじめは、えっと驚くが、だんだん腑に落ちていく感じがある。しかし、この作品は最後まで違和感が残る(キノコみたいな遠景の木とか)。模倣作、もしくは若冲工房の作じゃないかなあ、と思う。
屏風絵では、彭城百川の『天台岳中石橋図』がスゴイ。あと長沢蘆雪の『唐獅子図』。先だって、MIHOミュージアムで見た、ワカメを頭に載せたネコみたいな獅子かな?と思ったら、これはまた別物。八曲一双屏風に、向かい合う2頭の獅子を描くが、左隻の立ち上がりかけた獅子が、あまりに人間臭い(オッサンくさい)顔で、ヴァンパイヤみたいだと思った。
小品だが見逃せないのは、『青楼絵本年中行事』(冊子)の挿絵に描かれた妓楼の風景。壁いっぱいに大きな鳳凰が描かれつつある。「鳳凰の絵は張見世の場面によく登場する」のだそうで、皇后の印だった中国文化とはえらい違いだなあ、とあらためて思った。
はじめ、不思議な取り合わせだと思った。中国なら、皇后の象徴たる鳳凰に対しては、皇帝の象徴・龍である。仏教なら、文殊の獅子に対しては、普賢の白象だろう。実際、本展でも、鳳凰と獅子をペアにした作品は少ない。しかし、どちらも日本文化全般にわたり、華麗で装飾的な造形表現を残してきたという点では、たしかに双璧の霊鳥・霊獣である。「鳳凰チーム」も「獅子チーム」も、よくぞこれだけ集めてきたなあ、という名品が多数。所蔵者(館)のバラエティを見ているだけで楽しくなる。
展示は「鳳凰と獅子」「獅子」「鳳凰」…というテーマ設定で、12のセクションに分かれる。面白かったのは、まず「第2章 古代における鳳凰と獅子」で、計6点、唐時代の銅鏡や飛鳥時代の塼(せん)を展示する。大和文華館の『銅製貼銀鎏金双鳳狻猊文八稜鏡』は、めずらしく狻猊(さんげい=獅子)と鳳凰を同一面に描いたもの。素人の感想で申し訳ないが、よく見つけたなあ、これ、と思った。光線によっては、七色に輝いて美しい。
「第3章 獅子舞と狛犬」には、またあのもふもふした獅子頭(正倉院宝物模造品)が来ていた。爆笑だったのは『信西古楽図』の獅子舞図。「新羅狛」ってなんだよ、これ~。獅子が立ち上がって、その手足にも獅子の顔がついてるし~(→写真:草岡神社奉賛会)。展示品は、江戸時代の模本(東京芸大蔵)だが、藤原通憲(信西)による原典があるということか。遊行寺の獅子鼻(→※これ)の展示方法は、かわいすぎて反則。
「第6章 よみがえる鳳凰」はマイ・ベスト。中国・明時代の鳳凰図が3点(うち1点は相国寺蔵)。朝鮮王朝時代ものが1点。そして、若冲の『旭日鳳凰図』(三の丸尚蔵館)と並ぶ。私は、若冲の鳳凰を見たのがいちばん早く、はじめはヘンな(気持ち悪い)鳳凰だなあ、と思った。それから、中国、さらに朝鮮半島に類例があることを知り、一見、孤立した個性のように見える若冲も、ある程度「東アジアの伝統」の中におさまるということが分かるようになった。しかし、やっぱり若冲作品は(超現実的な装飾性のこだわりなど)突出して個性的でもある。…と、若冲の絵画について考えるには格好の題材。この組合せは6/27までで、あとは少しずつ展示替えあり。
おまけ(?)で若冲の『樹花鳥獣図屏風』(静岡県立美術館)も来ている(~6/20)。私は、この屏風、意外と縁がなくて、初見かもしれない。正直、あまり感心しなかった。プライスコレクションの『鳥獣花木図屏風』は、はじめは、えっと驚くが、だんだん腑に落ちていく感じがある。しかし、この作品は最後まで違和感が残る(キノコみたいな遠景の木とか)。模倣作、もしくは若冲工房の作じゃないかなあ、と思う。
屏風絵では、彭城百川の『天台岳中石橋図』がスゴイ。あと長沢蘆雪の『唐獅子図』。先だって、MIHOミュージアムで見た、ワカメを頭に載せたネコみたいな獅子かな?と思ったら、これはまた別物。八曲一双屏風に、向かい合う2頭の獅子を描くが、左隻の立ち上がりかけた獅子が、あまりに人間臭い(オッサンくさい)顔で、ヴァンパイヤみたいだと思った。
小品だが見逃せないのは、『青楼絵本年中行事』(冊子)の挿絵に描かれた妓楼の風景。壁いっぱいに大きな鳳凰が描かれつつある。「鳳凰の絵は張見世の場面によく登場する」のだそうで、皇后の印だった中国文化とはえらい違いだなあ、とあらためて思った。